King of Foreign
蛙の王さま
完訳グリム童話集1「蛙の王さま」(Der Froschkönig oder der eiserne Heinrich)を読み直した。
「蛙化現象」、「現象」じゃなくて「感情」だろ。お前が選んだんだよ。
私はそう思うのだが、そういったことについて考え直すたびに読み返している。
これは「金の鞠」惜しさに、蛙と嘘の約束を交わした後の姫の内心である。
内心とは別に、姫は蛙にそう言った。蛙はその言葉を真として泉に潜り、まりをとってきてあげた。蛙は肺呼吸なので水死することができるが、特にそのことを説明しない。こういった局所的地獄そのものは、グリム兄弟の生きた時代よりずっと前から産まれ続けているんだろう。
姫は最終的に
と言いながら蛙を壁に投げるのだが、その後、なぜか蛙は王子に変わり、なぜか姫と結婚し、「姫の他には誰も自分を泉から救い出せなかった」(呪いを解くことはできなかった)のだと話す。
こうなると、蛙には「徹底した無理解を行いながら利を取りに行くタイプのド汚さが好き」みたいなヘキがあるのだと私は思うが、呪いというのは、すべてそういう性質を持っているのかもしれない。
すべての蛙は人間の可能性がある。
すべての人間は人を王にも蛙にもできる。
異郷の人々が交易を行っている。
忘却の川を渡ると泉に着く。
蛙たちはそこに棲む。
乾杯、乾杯、乾杯、さよなら。乾杯、乾杯、乾杯。
ゲロゲロ。
臆病の罪は、生まれ変わるためにあったレテの水、真実を酒に変える。
誰かのために流されるなら、あなたの涙も彼岸の泉。
誰かにとって真実の水になれるはずだったもので、
飲み交わせるなら、交易は続くだろう。
ただ飲み干すならば枯れるだろう。
花留めも花であるということには
お気づきにならないようで
あなたがたも光だったことには
お気づきにならないようで
お客様はすべてをお忘れになられました。
お支払いはできなかったようです。
此岸のためだけの、お渝わりない涙を流しておられます。
涙
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?