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保育園ってこういう所だったんだ

田舎での、たぶん一般的でない体験を通して感じた独断と偏見の一意見です。
正直、私は園を含め学校生活を楽しめなかった方ですし、子どもを育てることは無縁だと思っていました。
それが、急展開で息子とのご縁ができ、何もかもに無知すぎ、母親として上手く立ち回れなかったことが大きな要因とも思っています。




のんびり息子の苦難の始まり

ゆっくり成長する純粋な息子は、保育園の頃から揶揄いの対象でした。意味の分からない言葉を投げつけられても、やはり傷つくものです。
仲間外れにされたり、色んなことがありましたが、大勢と同じようにできないことが悪いという教えの中で、息子なりに奮闘していました。
登園時も降園時も担任からお小言をもらうのが、母子ともに苦痛で、転園を考えたこともあります。
外遊びの時間に息子が寝てしまったためカリキュラムが進められないとクレームを受け、謝るしかありませんでしたが、本音では4~5歳の子にとって自然なことだと思っていました。
だから、帰り道の車中で息子には「ぜんぜん気にしなくていいよ、息子くんが眠たかったら寝れば良いし、思い切り好きなようにして大丈夫やよ、ママが謝って済むことだから大丈夫」と伝え、気晴らしに家でおやつパーティを開催。こんなことは多々ありました。


連絡帳とイベントのストレス

連絡帳に日々の生活を書いていましたが、昼寝が長すぎるのは夜遅くまで起きているに違いないという園の思い込みで早口でまくしたてられ、口下手な私は一言訂正するくらいしかできませんでした。

それに加え、季節ごとのイベントは私たちにとってストレスの強化期間で、先生も同様に口調がより厳しくなります。
演目について事前に指示してもらえば家でも練習すると申し出ても、「そこまではしなくていい」と言われ、相変わらず朝夕の叱責が続きました。
先生の話を聞いていると、靴を履き終えた息子が私の口を手で塞ぎ、会話を止めるのは毎日のことで、私を引っ張り早く帰ろうと促します。
年長さんになっても抱っこで登園・降園し、私の上着やストールに顔をうずめて髪の匂いを嗅ぐと、ホッとしたように全身が緩んでいたのを覚えています。
朝夕、涙がにじむ母子。先生方は昼にビールでも飲みたくなる気持ちだったかもしれませんが、私はこの頃、感情ジェットコースターに耐え切れず、メニエール病と顔面神経痛になりました。


シシャモ騒動

「集団生活が上手くできないと小学校で困るよ」という忠告だったのでしょうが、そういう個性なのだから無理して合わせなくて良いのではないかと思っていました。
給食も、好き嫌いは成長と共に変わると思っていたので、全部食べることを強制されるのは困っていました。
ある日は、どうしてもシシャモを食べさせたくてお説教されていたそうです。先生が目を離した隙に、息子はシシャモをゴミ箱に隠したらしく、その話を聞いて私は笑いそうになりましたが、園では大問題となり、「食べ物を粗末にしない」という緊急セミナーが即日開催されたとのこと。
まだ3歳4歳なのにそんな大袈裟な、と思いました。なんだってイイ健康で笑ってたらそれでOK、こういう私の大雑把な姿勢が、余計に腹立たしく感じられたのかもしれません。


登園の葛藤

パートが休みの日、登園すると息子がいつものように渋ります。行っても行かなくてもどっちでも良いけど、集団でしか感じられない学びもあるし、毎回迷います。
初めて授業参観した日に泣き縋る息子を無理やり引きはがした担任に、後ろ手でシッシッとされて退散したことがあって衝撃でした。それもあって、休めば、大勢で過ごすことに慣れた方が良かったかなと思うし、登園したら今頃泣いていないかと胸が締め付けられます。朝は車に乗った瞬間から死んだ魚の目で魂が抜けてるし、補助の先生の話では時々トイレへ抜け出してぼーっとしてリチャージしている様子を聞いていました。
あれこれ考えていると、担任先生が「大丈夫よ」と連れて行ってくれました。有難いと感謝し、その日は早めにお迎えに行くと、園長先生が出てきて「今日はお母さんとの絆を深めた方が息子君にとって良かったんだと思うよ」と大事件のように言ってきます。
昔からよくある女子のアレにスッポリはめられていました。私っていつもそう、かなりこの連係プレーにやられるタイプです。
この頃には息子が養子であることが広まっていたようで、「ボクってかわいそう?かわいそうなの?」と訊いてくるようになっていたので、冷たい鬼養母の舞台は整っていたようです。



思い込みシステム

入園時に事情は説明してあったし、その他も直接聞いてくれたら良いのに。思い込みだけで展開した結果を厳しく糾弾される、そういうシステムなんだと理解しました。
特別養子縁組に関する手続きについても園長先生は不満に思っていた様子で、籍が入って保育料を支払う段になると、職員室の窓を開けて大声で「わたしさん!来月から支払い始まりますからね!!」と朝夕叫ばれたこともありました。
そんな園長先生はとても評判の良い人情ある方だそうですが、誰にも言えません。


選択肢と誤解

保育園と幼稚園、当時ふたつの選択肢がありましたが、何となくのイメージと、幼稚園に通っていた知人が根ほりーな葉ほりーなだったことから保育園を選びました。
子育てサポートを主に、息子が日中のんびり過ごせる場所だと勘違いしていました。実際はチビ軍隊養成所で、息子も私もはみ出しまくり、たぶん掠りもしませんでした。
途中、堪らず転園を考慮しましたが、阻止され、本当に色々ありました。
息子よ、お疲れさまでした。でも、まだまだ小学校生活へと続くんだよ、一難去ってまた一難…


まだまだ続く…

まだまだありますが、長くなり過ぎたのでまた今度お話しします。良かったらまた聞いてくださいね。




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