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愛してる、って言わないで

息子は純ジャパニーズなのに、感情表現が欧米的。そして妖精のようにピュアなんです。
出逢って間も無い頃にハッとしたことがありました。ごはん中、目にゴミか何か入ってしまった様子でしょぼしょぼし出したと思ったら、私の手を取って自分の目を擦ったのです。ひとの手の甲で、自分の目を擦るなんて。
あぁこの子は人との境界無い愛に満ち溢れた世界の住人だ、と感じたことをずっと憶えています。

最初の頃はおんぶに抱っこに、髪の毛は嚙むし、スカートには潜り込む、もう私と一体化したかの如くへばりついてました。
成長してからも、距離感は極近、キッスにハグ。子犬が大型犬になっても同じスタンスで向かってきます。
流石に体が私より大きくなりそうになった頃から、日本的距離に努めてますが、いまだに朝から抱っこはしてきます。キッスは投げキッスと、手にキッスになりました。
夜は夜で、布団を敷いてくれるのはいいけど添い寝して喋り倒してきます。
愛情表現は、言葉でも。毎日「大好き」「愛してる」を何十回と言ってくれます。


ほんとうは有難いことで、嬉しい行為なんだろうけど、へそ曲がり母はイチイチ返事するのも疲れてます。
それになぜかいつも苛立ってました。「やめなさい」とか「もう、そういうのいいから、」と。
正直に物凄い不快感だったんです。夏休みとか長く一緒に居る期間は、もうそれが原因で離れたい衝動に駆られてました。
でも絶対やめないので、ある時訊いてみました、「なんでやるの?」と。
息子のこたえは、「ほんとに大好きだし言うと気持ちいいから」。
意外でした。

幼い頃は、世話に追われて適当に返事して流してた気がする。
段々年月が経ってきて更に辛い、もう面倒くさいし、気乗りしないときは苛立つ。
私のそれは、何でなんだろう???

息子に申し訳なさ1,000%だし、私の鬱部分の治療もせねば。
と、ひとまず先制攻撃で「大好き×10回」気づいたら連射することにしました。その間に整理しよう。


「そんな事より、すべき事やってよ」という気持ちが真っ先にありました。
でも、すべき事って何だろう? それは息子本人にしか分からンことなのに、私がそう思うのはなんでだろう?
多分、勉強宿題うんぬんよりも、何かを習慣化する体験をして欲しくて、それが上手くいかずにうっぷん溜まっていた時、よくそう思ってました。
だから、そのことが解消されたら、もうそれは思わなくなりました。

「そんなに要求して来んといて」と大きな負担にもなっていました。
大好き愛してる、の見返りは求められてないし、返事が無くても息子は平気なくらいなのに。
勝手に、反射的にプレッシャー感じてしまってたことに気づいて、我ながら・・・。ヒネクレ過ぎ拗らせすぎなんです私。

それで一番奥には「愛の状態」になることを恐れていることにも気づきました。
無防備な状態になることに抵抗していました。
長きに渡り身構えて生きてきたから致し方ないです、PTSD級の色んな事があったなぁ、と改めて思い返しました。
といっても悲壮感はもうゼロなので、思い出すたび、おつかれお疲れ!と、やたら慰労会を催すことにしています。


今日もまた、大型犬の妖精が力任せにグイっと頬にチューして愛してるよ、です。
ヤイヤイヤイっという私の顔に笑いながら、嬉しそうに小走りで登校していきます。
こんな幸せの栄誉にあずかっても良いんだよ、愛に値するんだ、と自分に言い聞かせながら笑顔で見送ります。
こうやって受容れる治療をしながら、「愛を挟んで対極に在る母子とは、神さまも乙な事なさるなぁ」と思うのでした。



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