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エッセイ7:私は別に成功したくない【序文…】

私たちは、自分自身の人生において、「成功」しなければならないのでしょうか。
大学生の私は、「成功」するために勉強しているのでしょうか。
そんな違和感から思ったこと。

成功強制社会

私たちがいつどこにいようが、情報を飲み込ませてくるこの情報社会。
情報にもいろいろあるけれど、特に大学生、進路に頭を抱える私たちの年代が目にする情報の多くは、「成功」するためのもの。

「絶対に就職成功できる面接術」
「就職活動、失敗しないための7つの方法」
「これをやる就活生は絶対に失敗します」

こんな謳い文句の本や投稿、よく見ますよね。
就活に焦っているわけでも、いわゆる就活ガチ勢でもないのに、何となく不安になってのぞいてみた人もいるのではないでしょうか。

それに、何も大学生だけの話ではなく、
「このまま会社勤めをしていたら人生終わるぞ」とか、「資産形成の方法を知らない人、人生大損です」とか、巷に溢れるそんな文言にヒヤッとした人もいるかもしれません。

というか、私がめちゃめちゃそうなっていました。

最近は、目に見えるように「成功」を掲げた本が売れたり、投稿がバズったりしていますよね。
それはつまりどういうことかというと、社会において「成功」の需要が高まっているということ。
昔から成功を欲することはあったと思うけど、情報化社会の最中で、その欲が表に出ている状態なのかもしれません。

みんなが「成功」を求める世の中の流れに、私の頭もグイッと流されて、同じように「成功」しなければならない、と思っていました。

大学生だけじゃなく、働いている方々もみんな、将来を不安に思うのはきっと、「成功」をしなければ、人生の意味がないという、そんな価値観があるからではないだろうか。
今の私たちは、成功を強制する社会にいるような感じがします。

人生の一挙一動の全てが、自分の「成功」に結びついていて、わずかでも足を滑らせると、失敗という奈落の底に落ちていき、人生の落伍者となりそうな気がしてしまう社会。

不安で、不安で、仕方がない。


ごめんなさい、今日は諸事情があって途中で終わってしまいます。
明日、もう一度しっかりとしたものをあげなおそうと思います。
中途半端ですが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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