アイホールでの出演作を振りかえってみた~遊気舎とトリオ天満宮チラシ集~
こんばんわ、劇団超人<正直に言います!>予備校主宰の魔人ハンター<お芝居始めて29年です>ミツルギです。
なんだか伊丹AIホールがピンチです。
詳しくはこちらをお読みください。
関西の小劇場拠点アイホール、伊丹市が用途転換検討 存続へ署名活動(毎日新聞)
伊丹アイホールで、演劇ができなくなるかもしれないということらしいです。
正直、劇場が無くなるのを何度も見ています。またかー・・・という気さえします。
しかし、ここで劇場がまた無くなるのを黙って見てはいられません。
だからと言って何をしていいのかもよくわかりません。
なので、とりあえず私はどれぐらいアイホールと関わってきたか?を辿ってみることにしました。
昔、私は遊気舎という劇団にいました。
1992年から2004年まで在籍してました。
当時、関西での本公演は扇町ミュージアムスクエアか?
伊丹アイホールでした。
その後、近鉄アート館が加わったりしました。
今回、私がどれだけの作品でアイホールに出演したか調べてみました。
ちょうど10本でした。
まず、遊気舎から。
1・遊気舎第12万回公演 『怪盗ダブリン4号』 1992/10/23(金)-25(日)全5公演
これが私の遊気舎デビュー作です。 ほんとのデビューはこの1か月前に芝居屋さんの教室『帽子屋さんのお茶の会』です(作・別役実 演出・田口哲 於・スペースゼロ)。 でも、遊気舎でデビューできたことが嬉しかったです。確か5ことぐらいしか台詞が無かったですが、嬉しかったです。 大学出て就職したのですが、5カ月で辞めて、お芝居を始めました。当時は変わった奴だと言われましたが、今はそうでもないですよね??? この頃はまだ『DONJURO』で出てます。
2・遊気舎Vol.15 『地元民は怪力 消えたン ゲマ大佐を追え』 1993/12/10(金)-12(日)全5回公演
アイルランドからアフリカに来ました。 そして、すでに『魔人ハンターミツルギ』になってます。 この作品の思い出は、セットの河原に葦を切りに行ったことですねー。 アイホールが高さがあるため、アフリカ風家屋に使う葦が莫大に入りました(『遊気舎10周年記念パンフ』での西田政彦さんの記事を引用すると 「15m四方くらい刈り取りました。」とあります)。 馬鹿デカいセットがいるのです。 建て込みに時間がかかりすぎ、直前のゲネプロ(本番同様の通し稽古)が最後までできなかったぐらいです。 初日凄い緊張感がありました。 私は余裕でした。ほぼ出番なかったもので。 客演で佐々木蔵之介さんに出てもらいました。 お芝居やってると言うと 「 誰か有名な人と共演した?」 とよく聞かれます。 そんなときは 「佐々木蔵之介!」 と言わせてもらってます。
3・遊気舎Vol.18 特別公演 『交響詩・大森良雄』 1994/12/23(祝)-25(日)全4公演
フルコーラスとの競演です。小劇場なのにです。 これ、アイホールの大きさと高さがないとできません。 それに舞台前のオーケストラピットもアイホールの可動式床だからできたものです。アイホールは床が各ブロックに分かれていて、上下できるのです。なので、舞台を上げて、オケピをやや下げているのです。 オープニングはオーケストラの皆さんがスタンバイすると舞台がググーッとせりあがるのでした。 そして、オーラスはオケピが舞台の高さまで上がり、役者とオーケストラ全員が舞台に並ぶのです。 観客の前で床が可動するのはこれ以外観たことないです。結構危険なので注意しなくてはならないことと、結構うるさいので、そこが問題なんだと思います。 あと遊気舎制作部プロデューサー、荻野達也さんのチラシの裏の文章がアイホールに対するラブレターのように思えます。そこだけ大きくして載せておきます。読みにくいかもしれませんが、頑張ってください。
4・遊気舎Vol.21 『ダブリンの鐘突きカビ人間』 1996/4/18(木)-22(月)全7公演
4年ぶりにダブリンに戻ってきました。相変わらず、ダブリンは伊丹に似てました。 のちにパルコプロデュースで上演されたりしますが、アイホールが初演です。 私の演じた役は再演してから無くなりました。 中島くん、重要な役だと思うのですが・・・。 この間に近鉄アート館でやるようになったので、毎年やっていたアイホール公演の間隔が空いているのです。
5・遊気舎Vol.24 『人間風車』 1997/12/18(木)-23(祝)全8公演
こちらもパルコプロデュースで上演し、何度も再演を繰り返してます。 これもアイホールが初演です。 これも私の役が無くなっちゃいました。 私の役は2人がデートで行くお店のテーブルでした。
6・遊気舎Vol.27 『世界で一番速い女』 2000/4/6(木)-10(月)全7公演
これが後藤ひろひと遊気舎最後の長編です。ここで初めて役をもらいました。今までも扇町ミュージアムスクエアや近鉄アート館では、それなりの役をもらってたのですが、アイホールでは役がもらえなかったのです。 それは私の滑舌ではアイホールでは通用しないと判断されていたのだと思います。たぶんこれ以前のアイホールで上映した作品は、10ことぐらいしか喋ってないと思います。 今回、かなりいい役でした。今までにやった中で一番重要な役だと思います。今まで経験したことのない苦しみと喜びを得ました。 8年かかって役者になったのかな?というか、それまで好き放題やりすぎていたのですけどね。
7・遊気舎生誕15周年 第30回記念公演 『俺バカ』 2002/2/28(木)-3/3(日)全5回公演
『石原正一ショー』の石原正一氏が作演出してます。 アイホールならではの演出では、人とセットが宙吊りになるところです。これは高さがある程度ないとできません。超能力が抑えきれなくなって全てを浮かせてしまうというちょっとしたネタに手間をかけたのです。 あとラスト近く、私が胴上げされるのですが、長身のわりに軽量なので、凄い長い時間空中浮遊してた気がします。これもアイホールの高さのせいです。
8・遊気舎Vol.31 『ゴーリキ』 2003/4/24(木)-27(日)全6回公演
後藤ひろひと体制から外れてから、初の久保田浩座長作演出です。 この作品でアイホールならではの演出は、床が抜けるところでしょう。アパートの2階の部屋の床が抜けるというシーンです。舞台に平台を並べるのですが、舞台の一部を下げていて、そこに穴開きの平台をセットし、床が抜けるようにしたのです。可動式床のおかげでできました。なければかなり苦労して舞台を上げないといけなかったでしょうねー。 そういえばこの頃、私、金髪だったなー(かなり抜けて赤毛になってましたが)。
ここからは私のユニット『トリオ天満宮』の作品です。
9・トリオ天満宮X 『巨大イカに襲われた街』 2003/8/15(金)-17(日)全4公演
私のユニット『トリオ天満宮』でもアイホールに出ました。何かアイホールに相応しいことをやろうと思ったので、巨大なイカを作りました。天井の辺りから舞台の床までです。頭の先から足の先までだと全長20mにもなります。清花也さんの渾身の美術です。 全編ネタだらけにしました。アイホールは天井が高く、笑いがすぐに消えます。なので、喜劇には不向きなような気がしたので、あえて喜劇にしました。 大学時代最も観た桂雀三郎さんと大先輩の淵野尚さんにゲスト出演してもらいました。ゲストというわりに主役です。出番も台詞も多かったです。今ごろですが、謝ります。すいませんでした。
10・トリオ天満宮ゴージャス
『豪華客船フラミン号、沈没せず!』
2005/7/1(金)-3(日) 全4公演
なぜかこの作品だけチラシみつからずです。 『巨大イカに襲われた街』とは違い、私は遊気舎を辞めております。超人予備校を作り、旗揚げを秋に控えておりました。この作品に超人予備校の主要メンバーが出てます。これがデビューのメンバーもいます。 今回は『タイタニック』的なコメディーを作ろうと思い、豪華客船を作りました。こちらが思ったよりも気合が入ったものができたのです。ほんとにゴージャスです。思ってた予算を軽く超えてしまいました。結果、大赤字になりました。タイトルは『豪華客船フラミン号、沈没せず!』ですが、ハンターは沈没しました。
舞台写真をどうぞ。豪華さ、わかります?
こちらはわかりますよねー。照明の葛西健一さんがくれた写真です。
前の細い人が私です。
以上、私のアイホールでの出演を振り返りました。 懐かしかったです。 これだけ育ててくれたので、アイホール残ってほしいです。「お前の思い出がどうした?」と思う人もおられるでしょう。でも、これ、私だけではありません。私同様の人達がそれはもうたくさんいるのです。そして、劇場がある限り、これからもたくさん生まれて行くのです。
映画館で映画を観たことのない人は、ほぼいないんじゃないかな?と思います。 しかし、劇場で芝居を観たことない人は正直、結構いるでしょう。 そういうものだとも思っています。 しかし、劇場に集う人達がある程度いることもわかっていただけませんでしょうか? 私の言いたいことは、それだけです。
もし、このアイホールに興味を持った人は、以下の部分も読んでください。よろしければご署名をお願いします。 8月20日までにたくさんの署名が必要となります。 どうかよろしくお願いします。
アイホールの存続を望む会(web署名もできます)
http://aisonzoku.com/
<参考及び引用>『遊気舎10周年記念パンフレット』