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vǽmpaiər -吸血鬼-

「どうしても、血を呑むのがやめられないんです……」

彼女の声は、どこか切羽詰まっていた。
まるで、今すぐにでも助けが必要だと言わんばかりの必死な響き。

だから、私は彼女と会うことにした。

待ち合わせ場所に現れた女性は、透き通るような色白の肌に、艶やかな長い髪。まるで物語の中から抜け出してきた妖精のような美しさを持っていた。

しかし、その微笑みの奥には、どこか冷ややかな気配が漂っている。

あまり感じる事のない、妙な違和感を覚えた。

なんというか、私への警戒心がまるでない。だが、それは決して信頼とは違う。

普通なら、非力な女性が私のような胡散臭い男と会うのなら、多少なりとも警戒するはずだ。なのに、彼女は最初から用心する様子もなく、むしろ自然体でいる。

初対面の男と話すことに慣れているのか、それとも自分の対応力に絶対の自信があるのか。

彼女の服装は、夜の街で碌でもなさそうな男たちが、好みそうなものだった。

ボディ・コンシャスなワンピースがスタイルの良さを存分に引き立てている。しかし、肌の露出は抑えられ、上品さも漂わせている。単なる挑発的な装いではなく、一般社会に馴染むように計算された美しさがそこにあった。

だが、それ以上に目を引くのは、その余裕だ。

「ヤクザの娘なんです」などと言われても、違和感なく受け入れてしまいそうな妖艶な雰囲気がある。

まるで、いざとなれば相手を一撃で屠れる強力な武器を隠し持っているかのような、不気味な威風感の正体を全身で感じ取っている時だった。

彼女がゆっくりと口を開きつぶやいた。

「私は……男の人たちと契約を結んでいるんです」

🩸

落ち着いて話を聞くために、彼女が行きつけだというカフェレストランへ向かった。

都心の高層ビルの一角にあるその店は、エントランスからして洗練されていた。ガラス張りの自動ドアが静かに開くと、ふわりと漂うのは上質なコーヒーとほのかに甘いバニラの香り。

奥へ進むと、吹き抜けの高い天井に間接照明がやわらかく灯り、シックなインテリアが広がっていた。店内は落ち着いた雰囲気で、テーブルごとの間隔もゆったりと取られている。静かに流れるジャズピアノの音色が、心地よい。

席に着いて、私はコーヒーを、彼女はサングリアを注文した。

🩸

「この時間からワインですか?」

そう問いかけると、彼女は軽く笑った。

「ワインは好きなの。それに……気を落ち着かせたいので」

ゆっくりと微笑んだ、彼女の瞳をじっと見つめる。

透き通るように澄んだ、美しい瞳。とても悪い人間には見えない。それどころか、どこか怯えているような。まるで虐待でもうけてる小動物のような目をしている。

それなのに、何故か彼女から感じる妙な威圧感。

この弱さと怖さが共存して居る違和感の正体を突き止めたい。

私は彼女の言葉をひとつひとつ拾いながら、意識を深く沈めていく。

🩸

グラスの縁を指でなぞりながら、彼女は静かに語り始めた。

「私は契約を結んだ男性の血を飲んだり、身体の一部を食べさせてもらったりしているんです」

まるで日常の出来事を話すかのように、さらりとした口調だった。

「写真を見ますか?」

そう言って、彼女はスマホの画面をこちらに向けた。

そこに写っていたのは、一人の男。

肩の一部が目玉ほどの大きさでぱっくりと欠け、黒い糸で縫われた傷跡が痛々しく浮かび上がっていた。

私が無言で画面を見つめていると、彼女は淡々とした声で続ける。

「もちろん全部、合意の上ですよ」

その言葉はまるで、自分が危険な人間ではないと弁明してるかのように聞こえた。

何よりも気になったのは彼女の視線だ。

彼女は、私がどんな表情をするのか、注意深く観察している。まるで、自分の存在が受け入れられるのかを測るように。

私にとって彼女は特別恐ろしい存在ではなかった。

人間の肉や血を口にした事はないが、私はこれまで亡者の魂を喰らい、いくつもの存在を消滅させてきた。

私が悪だと判断した生者に対しても、プライドをへし折り、権力を捥ぎとって絶望を与えて来た。

それらと比べれば、彼女の行為は、理性のある人間らしい食事の一形態に過ぎない。

契約を結び、人間としての理性を保ちながら、お互いに欲求を満たしている。

彼女の行為は、ただの本能的な暴力ではない。

むしろ、知的生命体として完成された理性的な捕食に感じた

私はスマホの画面から目を離し、彼女をじっと見つめた。

「なるほど」

全く怖がらない私に安心したのか、彼女は堰を切ったように自分の生い立ちを語り始めた。

「最初は……ただのプレイのつもりだったんです。お金も稼げるし、面白い経験かなって。でも……」

彼女はグラスの中の氷をくるりと回す。

「今では、血を飲まずにはいられなくなってしまって….」

熱がこもった溜め息混じりのその言葉が、グラスの氷を溶かす。

「しかも、お酒を飲むと記憶をなくしてしまうみたいで……。気づいたら、相手の肉を噛みちぎっている。でも、私は何も覚えていないんです」

彼女はふっと目を伏せると、思い立ったように顔を上げ、慌てながら手を振って笑顔で釈明した。

「私は非力な女だし、男の人が本気で抵抗すれば大丈夫だと思います」

その子供のような慌てた様子が、かえって私の背筋を凍らせる。

(コイツ…..私の事を喰おうとしてるな….)

彼女は、美しい美貌を有していた。

その艶やかな黒髪、透き通るような白い肌、柔らかな笑み。それでいて、自分を相手に受け入れられたいと渇望する承認欲求が、子犬のように表情から漏れ出ている。

きっと、多くの男たちを虜にしてきたことだろう。

だが、その美しさの奥には、どうしようもなく危険な棘が二本、鋭く生えている。

彼女の仕草や外観は男たちを惹きつけるために、努力して築いた飾りだけではない。

血を吸うために有利な条件が、自然と彼女は備わって産まれて来たのだろう。

・花に擬態するカマキリ。
・光で餌をおびき寄せるアンコウ。

彼らは意識的にそう進化したわけではない。ただ、そういう形で生き延びるように、生まれついた。

彼女もまた、そういう存在なのだ。

無自覚に、男たちを惹きつけ、捕らえ、喰らうために生まれた者。

私は内心、戦々恐々としていた。

「私は朝が早いので、お酒は滅多に呑まないが….記憶をなくすのは困りものだね」

そう伝えて、遠回しに「あなたとは絶対に飲みに行かない」と釘を刺しておいた。

🩸

彼女はグラスの縁を指でなぞりながら、ふと遠くを見るような目をした。

「普通の恋愛や結婚にも興味はあるんです」

ぽつりと呟いた声は、どこか寂しげだった。

「もう若くもないし……いつまでもオジサンたちの血を飲み続けるわけにもいかないって、頭では分かってるんです。でも、やめられないんですよね」

苦笑する彼女の唇は、ほんのわずかに赤黒い。まるで、ついさっきまで誰かの血を吸っていたかのように。

私は息を整え、精神を研ぎ澄ませる。

そして、ゆっくりと彼女の心の奥へと入り込んでいった。

🩸

よく、飼い猫が兎や鶏と一緒に過ごしていたり、猛獣と仲良く遊ぶ犬の話を聞く。

彼らは、餌が安定的に供給される環境で共に育ったため、本能的に「食べよう」とは思わないのだろう。

食欲が刺激されなければ、捕食の衝動も生まれない。ただそれだけのことだ。

それぞれの個性や、生きてる環境が変われば、全く別の状況になる。

満腹の飼い猫ですら、遊び感覚でネズミや鳥を襲う。そして、じゃれついているうちに、咥えたら、美味しくて、そのまま食べる。

捕食という行為は、生存のためだけではない。

「本能の衝動」と「経験の学習」

これら、さまざまな要因が絡み合い、脳が「生きるために必要な行動」だと判断したとき、人はそれを「快楽」へと認識を変える。

それは、単なる食欲だけではない。

狩りをする楽しさ、支配する優越感、所有する満足感。
そういった感覚もまた、快楽へと変化する。

そう考えれば、人間が人間を食べたいと感じることも、決して不自然ではない。

食べる という行為は、生存のための基本的な行動だ。

飢餓状態に陥れば、道徳や倫理は霧散し、捕食本能が剥き出しになる。

世界中で、人間が人間を食べた記述は残されており、生物として自然な欲求だろう。

しかし、もっと厄介なのは 「飢えとは無関係に、その行為が快楽として学習されてしまうこと」 だ。

一度その味を知り、脳がそれを「報酬」だと認識したら、もはや理性では止められない。

それは、単なる生存本能を超えた、嗜好品へと昇華する。

人は、飢えなくとも喰らう。

狩ることが楽しいと学習した猫のように。
殺すことに快楽を覚えた捕食者のように。

そして、彼女もまた、その境界線をとうに越えてしまったのだろう。

食欲とは別の欲求── 「知的好奇心」や「禁忌への興奮」 が引き金となり人間が「美味しい」と感じる瞬間を脳が学習してしまった。

彼女の場合は、提供された血を飲む事で、相手が喜んでくれ、なおかつ金まで手に入る。

『カニバリズム』が、自分自身が生きるために必要な行為で有り、誰かを幸せにする慈善行為にもなったのだ。

ここまで強く脳に『良い行動』と印象づけされると、その世界観を捨てて、新たな自分に生まれ変わり生きていくのは容易な事ではない。

煙草や酒。そしてギャンブルが辞められないように、血を求める欲求が定期的に溢れ出てくるのだろう。

🩸

幸いなことに、彼女は美しい女性の外観を有していた。

もちろん、その美貌を維持するための努力もあったのだろう。

しかし、もし彼女が小汚いオジサンの外見をしていたなら、話は違った。

欲求を満たすために、金塊を積んで買い付けるか、人攫いにでもなるしかない。

女は死ぬまで女だ。

どんなに年老いても、男は女性に恋をする。

それに、彼女のような存在に魅了され、むしろ喜んで自分の血を吸われたいと思う変態たちは、一定数いることだろう。

彼女がどれだけ年齢を重ねても、欲求を満たす事に弊害はないように思えた。

だが、問題はそこではない。

彼女が望んでいるのは、「普通の結婚」なのだから。

それは、誰にとっても最上級に高いハードルだ。

彼女がカニバリズムでなかったとしても、普通の結婚ができる保証などどこにもない。

そもそも、「普通の結婚」とは何なのか?

一見幸せそうに見える夫婦でも、家の中では大喧嘩をし、互いに顔を合わせるのも苦痛になり、最期は「一緒の墓には入りたくない」と言い出す。

そんな話は、どこにでも転がっている。

🩸

私は、そんなことを考えながら、コーヒーをひと口飲んでから口を開いた。

「貴方にとって血を飲むことは、生きるために必要な行為であり……同時に、自己の精神を浄化させる為に必要な慈善行為でもあるのですね」

彼女がクスッと微笑んだ。手に持っていたグラスが揺れて、深紅の液体が静かに波打つ。

「無理にやめる必要はないと思います。人の血を欲する体質でも、普通の生活ができなくなるわけじゃない。少し恋人探しは難航するかもしれませんが……」

私は静かに言葉を続けた。

「だが、もし貴方自身が本当に望むのなら、やめることもできると思いますよ」

彼女の指が、一瞬だけ止まった。

グラスを持つ指が微かに震え、彼女の視線が私を捉える。

探るような、疑うような、揺れる瞳。

「……そんな簡単なことじゃないんですよ」

彼女は苦笑しながら、ワインをゆっくりと口に含んだ。

「やめられるものなら、とっくにやめてる。でも、そうじゃないから……私は、こうしてここにいるんです」

彼女の言葉には、どこか諦めにも似た響きがあった。

長い間、彼女は自分自身に疑問を抱き葛藤しながら、人の血を求め生き続けてきたのだろう。

そのことに自分でも嫌気がさしているのかもしれない。

突然、彼女はグラスをテーブルに乱暴に置いた。

「……自分がこんな変な人間じゃなかったら、もっと幸せになれたはずなんです」

彼女の声が震える。

感情が高ぶったのか、今にも泣き出しそうだった。

私は、そんな彼女の表情をじっと見つめながら、静かに言葉を紡いだ。

「本当に“普通の人”になりたいんですか?」

その問いに、彼女は一瞬息を呑んだ。

ワインの赤が、グラスの中でゆっくりと揺れた。

🩸

もしも、彼女に悪魔が取り憑いていて、その存在が生き血を欲しているのなら──

お祓いをすれば、一瞬で治る。

彼女自身も、そんな希望を抱いて、私の元を訪れたのかもしれない。

「本当の私は違うんです」
「何かに取り憑かれているだけなんです」

そう言えば、楽になれる。

だが、現実は違った。

もしかしたら、彼女が血を飲むようになった最初のきっかけに霊的な作用が関わっていたのかもしれない。

しかし、それはもう彼女の中に深く根を生やし、完全に彼女と一体化していた。

今さら切り離せるようなものではない。

仮に、すべての原因を目に見えない悪魔のせいにして、それを祓ったところで──

残されるのは、「血を飲むことを我慢できるようになっただけの自分」。

姿形が変わるわけではない。
過去が消えるわけでもない。

突然、王子様が現れて、幸せな結婚生活が送れるようになるわけでもない。

彼女の本当の苦しみは、「血を飲む行為」ではなく、自分を受け入れ、希望を持って生きていく不安感にあるのだろう。

🩸

「血を飲んでいたって、少し……いや、かなり変わった趣味を持っていたって、貴女は魅力的ですよ」

彼女はグラスの縁を指でなぞりながら、静かに私を見つめた。

「貴女は絶対に幸せになれる。少なくとも、貴女に愛された人は、すごく幸せでしょうね」

私の言葉に、彼女はわずかに目を見開いた。

驚いたような、信じられないような、そして少し笑顔を見せた。

現に、私だって彼女が猿轡をつけてくれるなら、一夜を共に過ごすのもやぶさかではない。

そう思った瞬間。

── 心臓に鋭い痛みが走った。

私を呪っている悪魔が、「ふざけるな」とでも言うように、チクリと針を刺してきた。

思わずピクリと動く。

彼女はそれに気づかず、グラスの中の赤い液体をじっと見つめたまま、何も答えなかった。

そして、何かを吹っ切るように、ふっと息を吐いた。

「……ありがとうございます」

無理をしたような、ぎこちない笑顔だった。

けれど、その笑顔は、幸せを呼び寄せる作り笑いだ。

まだ時間はかかるかもしれない。

それでも、いつか彼女は「前向きに生きていく」ことができるだろう。

少なくとも、私はそう願っている。

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