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『急急如律令/はよやりん』

◉あらすじ
平安時代中期。のちに天下に知られる陰陽師、安倍晴明なるものが、諸国修業時代に三河額田の荘の官吏の屋敷に逗留していた。ある日、屋敷の雑色の女が高熱を発して斃れた。病(天然痘)が村に広まってゆく。困ってしまう官吏は晴明に助けを求める。晴明は加持祈祷やお札を使って鎮静化に努めるが効果を表さない。これは何者かの呪である。「長屋王」の祟りを疑い、術をなすと、痘瘡神があらわれ、その背後にスサノオがいることを知る。式神を駆使して激しい闘いののちに彼らを倒す。しかし、病の広がりは収まらない。官吏と晴明は村積山を訪ねることを決意する。
◉登場人物
安倍晴明
 式神 ふたり
 三河守・大江定基
 力寿
 三河介・紀雪雲
 宋からの女中医・般若
 雑色の女
 落葉
 小豆
 病人数人
 役人数人
 式神 三人

 痘瘡神
 スサノオノミコト(声)
◎シーン1 三河国・額田、紀雪雲の屋敷
●座敷にて、瓶子の酒を交わし、静かに話し合っている。そこにどかどかと賑やかに三河守の大江定基とその愛妾・力寿が入ってくる。
定基「菅生の川遊び、堪能したぞ。そちも来たらよかったに。」
雪雲「私は至って不調法なものですから。三河守様も、力寿様も梅の花で目を休められましたか?」
力寿「(無言でほほえみうなずく)」
定基「真面目に勤めるもそこそこに、な。空蝉。世は儚いのじゃ。わしは都を出る折りに、長年連れ添った妻を離縁して来た。儚い余生、力寿と存分に楽しむのじゃ。で、ところで、そちらの御仁は?」
晴明「(頭をさげる)」
定基「どこかでお会いしたな。」
晴明「一条で・・」
定基「おお? 一条、戻り橋・・そうか、晴明。安倍晴明。」
晴明「(肯定するように頭をさげる)」
定基「都の陰陽師がなぜ、鄙の国、三河に?」
雪雲「御所の陰陽寮に出仕する前の諸国漫遊のところ、無理を言って引き留め、都の話をお聞かせもらっております。」
定基「そうかそうか。(あまり興味なさそうに) ちと川屋に。(力寿に) そちの愛する三河守大江定基、留守をいたすが、力寿、寂しがるでないぞ、はっはは。」
力寿「ほほほほほ(面白そうに、扇で口元を隠す)」
⚫︎定基は座を立って下手に去る。残された晴明、雪雲、力寿に静かで白けた空気が流れる。
力寿「あなたが高名な陰陽師の・・? (ツン、とした嫌な感じ)」
晴明「あなたが、力寿様ですか。お若いのに・・うまく化かしましたな。」
雪雲「ん、ごほ。(誤魔化すように咳払い)。」
力寿「妾が殿様を化かしてしていると? そんなことはできませぬ。あなたのように狐の血を引いているわけではないもの。あのお噂はまことですか? まさかね、ほほほ。(扇で口もとを隠す)」
晴明「狐は化け上手ですが、化かすのは人間の方が一枚もニ枚もうわて、でございますよ。力寿様。」
⚫︎嫌な雰囲気が流れているところに、雑色の女中が新しい瓶子を持って下手より登場。御膳の上を片付けたりしている。
雪雲「このところ西の空にひときわ輝く彗星、何かわかりましたか。」
晴明「凶星。何か始まろうとする兆し。災いが。」
⚫︎その時、(かちゃん!)と食器の壊れる音がする。三人が驚き、音の方を見ると片づけをしていた雑色の女・枯葉が倒れている。その様子に驚いて駆け寄る晴明と雪雲。力寿は嫌そうに眉をひそめている。枯葉は額に手を当てて熱に耐えている様子。
雪雲「(枯葉の額に手を当てる) 熱い。すごい熱だ。」
晴明「(枯葉の腕を見る) 発疹。」
雪雲「もしや。」
●下手の川屋より、定基が戻り、異変にきづく。
定基「う、いかがした。熱? ん? そのもの、病か? (近づく) あ!その発疹は! 痘瘡! 天然痘ではないか?!」
その言葉に驚いて力寿は立ち上がり、上手に後ずさりする。今までの暢気な好々爺とした雰囲気は、厳しいものに変わっている。
定基「て、て、て、天然痘ではないか!」
●定基は力寿のもとに近寄り、力寿をかばうように枯葉との間に立ちはだかる。力寿をかばうように舞台前方から下手に移動して、命じる。
定基「紀雪雲(きのゆきくも)、大江定基、三河国司として命じる。額田一帯、天然痘蔓延の疑い有り、一切の立ち入り並びに出足(しゅっそく)を禁ずる。よいか、一切のじゃ。皆のもの『急急如律令』! 法に従って即座に対応せよ!!」
●そういいながら定基と力寿が足早に逃げるように下手に去ってゆく。下手より数人の役人が駆け寄り、手にした長い棒を晴明と雪雲の前で(かちゃん)と交差させる。
雪雲「いかがいたしましょう、晴明様。」
晴明「そうだな、まずは、追儺(ついな)の儀を行おう。」
雪雲「追儺の儀。節分の豆まきの儀式ではありませんか。」
晴明「そうだ、そもそもは厄疫退散の術。」
雪雲「そうか、そういえば。」

●暗転、幕が降りてくる。
◎シーン2 相撲(幕前)
●たくさんの民が苦しそうに呻きながら横たわって、助けを求めている。
幕の中央に鳥居が見える。石の鳥居でも気の鳥居でもよく見やすい色とする。
●舞台が薄暗く、提灯がぶら下がっている。
●ほら貝の鳴り響く音。
緑鬼(病)、黒鬼(猜疑心)、赤鬼(悪心)の三鬼。それぞれ手に金棒やさすまた、長槍を持って登場。下手から出てきて、「おおー」と叫びながら苦しんでいる病人たちを傷めつける仕草。
●上手より、翁の面をつけたものが登場し、鳥居より内部に入ろうとする三鬼の前で立ちはだかる。
●弓を手に付き従う紀雪雲。
雪雲「緑鬼、おのが病の源。懲らしめる。でませ!」
●緑鬼が金棒を振り回して強さアピール。存分に力を誇示したのちに、金棒を投げ捨て、翁に挑む。翁と相撲を取る。一進一退ののちに、翁は緑鬼を吹っ飛ばす。
雪雲「翁の勝ちー!」
●勝ち名乗りをあげる。
雪雲「黒鬼、でませ。おのが疑いの心。赤鬼、でませ。おのが悪しき心、すべてこの場にて懲らしめる。」
●二人の鬼がそれぞれ強さアピールをしたのちに、翁と対戦する。
●黒鬼は剣技でKO! 赤鬼は棒の手でKO!
●敗けた鬼は翁の前で整列し、しょんぼりと正座。
●雪雲は翁に弓を渡す。翁は弓に矢をつがえ、空に放つ。
●それを見て鬼たちは逃げまどい、やがて下手に逃げ込んでゆく。
●それを確認して翁は面を外すと、安倍晴明。
雪雲「晴明殿、厄疫退散の追儺の儀はすんだ。」
晴明「(うなづき) 首尾は万全であったが・・」
●晴明は舞台の上で斃れている病人たちの様子を見て回る。
雪雲「いかがか?」
晴明「(やっぱりというように) やはり術は効いておらぬようじゃな。」
病人たち「(それを聞いて悲鳴のようなうめき声をあげる。) うーうー。助けてくれ~、くるしい~」
雪雲「厄疫の三鬼とは別のものが災いしているのか?」
●晴明考え込む。
●下手より役人が走り込んでくる。
役人「岩津、中島、北野でも、つぎつぎと。」
晴明「すさまじき感染力!」
雪雲「(歯噛みするように) なすすべがない。」
役人「雪雲様、三河吉良や一色でも多くの病み人。村長(むらおさ)をはじめ次々と倒れております。」
雪雲「あちこちの村が全滅だ。晴明様、いかにすべきでしょう?」
晴明「追儺の儀で効果なくば、この流行病は何者かの呪詛によるもの。呪を行う元を断つしかあるまい。」
雪雲「呪詛。(考え込むように) 誰が?」
晴明「呪により藤原四兄弟が誅殺された例があります。」
雪雲「(天を見上げておもいだしつつ、ぼそぼそと長く) たしか、藤原四兄弟、武智麻呂 ・ 房前 ・宇合 ・麻呂・・中大兄皇子とともに大化の改新をなした藤原鎌足のお孫たち。鎌足様のお子の不比等様のお子たち。」
晴明「(深くうなずく)」
雪雲「四兄弟の讒訴により罪無くして死した悲劇の皇子、長屋王。」
晴明「(深くうなずく)」
雪雲「長尾王は死してのち、藤原四兄弟を天然痘で呪い殺した。はっ!しかも同じく天然痘。」
晴明「(深くうなずく)」
雪雲「いまなお、朝廷は満月の如き権勢を誇るは四兄弟藤原房前公の九代目、道長公。長屋王のお怒りをお鎮めすることはできますか。」
晴明「(少し考えて) 鬼役の人間を相手にした『追儺の儀』は所詮お遊び。これからは命のやり取りとなります。」
雪雲「命の。」
晴明「(呻く病人たちを見回して、考えたのち) やらずばなりませぬな。仕方ない、やってみましょう。」
⚫️晴明と雪雲が上手に去る時、病人たちが幽鬼の如くフラフラと立ち上がったり、這いずったりしながら晴明に縋るように従う。
⚫️幕がゆっくり上がってゆく
◎シーン3 護摩壇・加持祈祷
●中央に護摩壇。辺りは暗く赤い炎が護摩壇に上がっている。晴明が後ろ姿で正面に座っており、晴明が真言を唱えながら何かを火に投じると、火の粉が大きく上がる。
●スポットライト。上手に雪雲の立ち姿が見える弓を持っている。
●しばらくすると、下手に痘瘡神があらわれるが、初めは姿が見えない。
⚫️シャーンシャーンという鈴を鳴らすような音が聞こえてだんだん近づいてくるのだが、姿は見えない。
⚫️槍を立てて侍っていた二人の武士が突然頭に手を当ててふらつき始める。
武士1「あれれ、ふらふらしてきたぞ。」
武士2「僕も頭が痛くなってきた。」
⚫️二人はその場にへたり込み、やがて倒れてしまう。

雪雲「(異変に気づき鋭い声を上げる) 晴明様!」
晴明「(背中を向けたまま) でませ!」
⚫️晴明は叫ぶと、持っていた榊を下手に向かってふる。
●下手にスポットライトがあたる。
⚫️ぼろぼろの異形の衣装をまとっている痘瘡神がそこに立っている。
⚫️下手から送風機で風を送り、その衣装がなびく様子。宮古島の泥まみれの神・パーントゥのようなイメージ。
⚫️痘瘡神が前を通ると倒れていた武士二人はもがき苦しむ。
⚫️怯んで後退りする雪雲。
晴明「怯むな! 雪雲! 破魔矢を放て!」
⚫️雪雲は晴明に命じられて弓をつがえようとするが、痘瘡神を恐れて、怯え、手にした幾本かの破魔矢をバラバラと落としてしまう。
⚫️それを見て、晴明は初めて立ち上がり、正面を向く。晴明の顔にスポットライトがあたる。晴明は肩からかけていたポシェットからピルケースを取り出して中から紙形を取り出して丸めると痘瘡神にむかって投げる。
晴明「いでよ、我が眷属。忌まわしき病の神を封じるのだ。急急如律令! 急ぎ我が妙法に従うべし! 怨敵退散!」
⚫️下手まで飛んでゆく紙。そこから、三頭のモンスターが現れる。
⚫️三頭の式神モンスター(例えばウルトラセブンのミラクル、ウィンダム、アギラス。造形はそれぞれのイメージで作ってください)と痘瘡神はくんずほぐれつの戦いを繰り広げる。初め劣勢だった式神モンスターだったが、やがて三体相手に疲れてきた痘瘡神を取り囲むように抑えつける。
●それを見ながら晴明は麻縄をなっていて、一人の式神モンスターに麻の縄を手渡す。式神モンスターたちは晴明の麻縄でくるくる巻にして晴明の前に連れてくる。
晴明「でかした。」

⚫️褒められて嬉しそうにしながら、式神モンスターはVサインを客席におくりながらそれぞれ一枚の紙を撒いて上手と下手に消える。
⚫️紙を拾って丁寧にたたんでピルケースにしまい、ポシェットに仕舞う晴明。
晴明「ご苦労、良い仕事をしてくれた。」
⚫️怯んでいた雪雲は、呪縛から解けたように晴明に近づく。
雪雲「晴明様。見苦しいところをお見せしました。」
晴明「初めて対峙する異形の者。無理はない。」
雪雲「これが、天然痘を流行らせた痘瘡神か。」
晴明「(うなづく)」
雪雲「これで病は、おさまるか?」
晴明「禍々しき病の神は調伏致した、これで・・(大丈夫だろう、と言いかけて雪雲を向いた瞬間)」
痘瘡神「(大声で) 甘いわ! 甘いわ、甘いわ、甘いわ。」
晴明「なんと?」
痘瘡神「吾れは所詮、しもべにすぎぬ。木っ端の、こわっぱの走り使いに過ぎぬ。」
雪雲「しもべとな? 主(あるじ)がおるのか?」
痘瘡神「いるわさ。どでかい方が。貴様らにはその足元にさえ近寄れぬ方がな。」
●顔を見合わせ、不安を隠せぬ晴明と雪雲。痘瘡神が言っているうちに風が吹きすぎる音がし、影が舞台を覆う。月影が動き始める。(ざわめくような、効果音)
雪雲「どうしたことだ?(夜空を見上げる) 月が、欠けはじめた。」
晴明「怪し! 歴(れき)に無き皆既月食。」
⚫️舞台の背後の月が欠けていき、舞台はうすぐらくなる。
雪雲「こよみにない? どういうことだ、日、月、星はすべて天空の法則に従って輝き、弱まり、欠け、再び満ちる物ではないのですか?」
晴明「そうだ。しかし、唯いちにん、かつて、その法則を覆し、日輪を隠したものがいた。」
雪雲「日輪、太陽を隠したもの? あ、ま、まさか。」
晴明「(うなづく) 黄泉の大王。」
痘瘡神「えへへへ、ざまあ、みろ。その方かどうか? 吾は言わぬ。うほほほ。しかし、その名を口にして震えるがいい。でははは。そのお姿を思い描いて怯えるがいい。」
雪雲「スサノオ。」
痘瘡神「おいたわしや、あわれよのう、かわそうにのう。(からかうように) 」
雪雲「おのれ。」
痘瘡神「あの方に触れることもお会いすることもかなわぬ。虫けらめ、吾からの心ばかりの哀れみじゃ。この災いから逃れたくば、湧き水を探すがいい。美しい聖なる山の湧き水にのみ宿る湧き水の神、その名を湧神(ワクジン)。病み人や病にかかる人々皆に飲ませたらよい。でひひひ。」
雪雲「それどこに湧いておる。泉か? 清流か?」
痘瘡神「いえぬ、どこにあるかは言えぬ。だほほほ。わかるまい。虫けらども。這いずって探して、そのうちに痘瘡に侵されて野垂れ死ぬがいい。

⚫️痘瘡神消えかけながら。

痘瘡神「それともうひとつ。吾を冥界から呼び覚ましたのは誰あろう紀雪雲(きのゆきぐも)、(雪雲の顔の真ん前までちかづいて)、お前さんだよ。(晴明を見て) 仲間割れするがいい、疑い合うがいい。ふへへへへ。」
雪雲「何を言う、なぜ私が。」
痘瘡神「自分の胸に聞いてみな。ぐふふふ。」
●そういいながら痘瘡神は溶けるように消える。(黒い布でかぶされる)
雪雲「晴明様・・違う!」
晴明「(雪雲をちらりと見て) わかっている。鬼神は疑心を人の心に植え付けるもの。疑心暗鬼というであろう。」
⚫️晴明は意に介さぬように、方位を確認する仕草で、口で何か呪文を唱えながら印を結ぶ。

雪雲「そうか、疑心暗鬼。確かに。しかし。」
晴明「わかっている。それはそうと、ここより真北には何が? ・・山があるな? たおやかな霊気を放っている。」
雪雲「山? あ、真北には村積山。あ、又の名を三河富士。」
晴明「村積? 三河富士とまで呼ばれるに、耳慣れぬ。」
雪雲「この辺りでは花園山とも。」
晴明「花園? (しばし考えて) 花園の名付けは、持統天皇か? 」
雪雲「そうだ。確かそうです。」
晴明「解けたぞ。痘瘡神の謎かけが。いくぞ、雪雲、花園山に、三河富士に。」
雪雲「(尊称なしに呼ばれて、戸惑いながらも嬉しそうに笑う。)」
痘瘡神「(地鳴りのような声)口惜しや、なぜわかった。」
雪雲「天下の晴明だからだ。行こうぞ、晴明。いざ、花園、村積山に。」
⚫️暗転、幕が降りる。
◎シーン4 村積山 山の道(幕前)
⚫️草や木が幕の前に置かれる。鳥の声。舞台キリキリのところには花が咲き乱れている。上手に巨岩がある。
⚫️下手より晴明がスタスタと歩いてくる。上手てまえで雪雲に声をかけられる。
雪雲「晴明。まて、待ってくれい。雲にでも乗っているのか? なぜこの山道を滑るように。」
⚫️ 下手から登場、杖を突き登場。その声に晴明立ち止まり、雪雲を待つ。
晴明「ははは、若き日より、京の五山や紀伊吉野の修験の山々を歩き通しておるからの。この一件が終われば奥三河の設楽の山々をともに踏破しようぞ。」
雪雲「それはありがたく。」
晴明「ありがたく?」
雪雲「お断りする。」
晴明雪雲「はははは。」
晴明「それ、まもなく山頂じゃ。」
雪雲「少し休ませてくれ。」
⚫️雪雲は腰の竹筒を取り出し、栓を開けて、のどを鳴らして水を飲む。
雪雲「うまい。」
⚫️晴明も水を飲み、ほっと息をついた時に、細々とした水の音が聞こえる。
雪雲「晴明! 湧き水だ!」
晴明「うむ。」
⚫️二人は舞台前方の花を押し分けて岩を露出させる。水の音が大きくなる。
⚫️晴明は泉に向けて印を結び、何かをじっくりと聞いたあとで納得したようにうなずく。
晴明「これじゃ。この湧き水。痘瘡神の言っていた霊水。天然痘を快癒させる、湧き水の神、湧神(わくじん)の宿る湧き水に違いない。」
雪雲「やったな。晴明。」
晴明「ああ、これを飲めば天然痘になることはないし、天然痘にかかったものも苦しみが和らぐはず。」
⚫️そううなずきあって、ふたりはそれぞれの竹筒の水を捨てて、湧き水を詰める。
まさにそれをさあ飲もうとした時、下手から声がする。女の声。
般若「何の用事だ?」
雪雲「無礼な。何者。」
⚫️下手より、白い上っぱりを着た女性が背中に大きな竹籠を背負って登場。

般若
「こんなところで何してるんだ?」
雪雲「この、湧き水を飲もうとしていたところだ。」
般若「(慌てて) 飲むでない。」
⚫️般若は二人から竹筒をはたき落とし、取り上げて幕前の草むらに放り出す。
雪雲「何をする! 無礼な!」
⚫️雪雲は刀に手をかける。晴明が手にしていた扇で押し留める。
般若「勝手に山に入るな。この村積山は私のもの。」
雪雲「愚かな。三河は国司が治めている。木の葉一枚、草の根一本お前のものなどありはせね。」
般若「まあ、土地は国衙のものかもしれんが、ここで採れる薬草や薬石はすべて私が任されている。」
晴明「御主、この国のものではないな?」
般若「どこでもいいだろ。とにかくその水は飲んではならん。汲んではならん。」
雪雲「そうはいかぬ。国府の命により、この湧神の宿る湧水を汲み、痘瘡に苦しむ民に飲ませねばならない。」
般若「どういうことだ?」
晴明「昨夜、護摩を焚き、妙法により、この地を苦しめるものを召還した。」

般若「どなた? あなた。」
晴明「陰陽師、安倍晴明。」
般若「ふうん。」
雪雲「存じ上げんのか? 晴明様を。」
般若「知らん。どなた? あんた。」
雪雲「紀雪雲、三河の介。」

般若「面白そうな話だな。痘瘡神? だれだい? それは。」
晴明「病を流行らせる疫病神。」
般若「病を流行らせるのが神だと?」
晴明「いかにも。そのものは、天照大神の弟神であり、黄泉の大王。この世に疫病を蔓延させる災いの神の眷属。」
般若「わあー出た。スサノオかい?」
雪雲「いかにもいかにも、そして、長屋王。藤原一族により、とがなくして死した悲劇の皇子。」
晴明「(不思議そうに雪雲を見て考える。)」
雪雲「痘瘡神は消え去る直前に、湧神(わくじん)の宿る湧き水をすべての民と病人に飲ませよと。」
晴明「それで、霊山三河富士、村積山の湧き水を汲みに参った。」
般若「霊山? この村積山が?」
晴明「いかにも。富士(フジ)は不死につながる、言霊。」
般若
「は、はあ。」
雪雲
「しかも、ここは持統天皇が訪れ花園となづけた聖なる地。」
般若「私にとって花園はさまざまな薬草の採れる薬草の園。」
雪雲「そうか、やはり。いそいで湧き水を汲んでかえらねば。」
⚫️雪雲は般若の投げ捨てた竹筒を拾い上げ、急いで泉から汲もうとする。(湧き水の効果音)
般若「だからやめなって!」
晴明「なぜ邪魔をする。」
般若「なぜって、あれを見なよ。」
⚫️般若は上手の大きな岩を指差す。水晶のような突起のある赤い美しい石。
雪雲「奇麗な石だな。この石がどうした?」

⚫️雪雲はどうってことないよ、というように岩の表面を撫で触ろうとする。
●般若はその雪雲の手を叩く。
雲「何をする。」
般若「見てみなさいよ。その石の下からこの湧き水は出ている。」
晴明「それが、いかにした?」
般若「この石は辰砂。」
晴明「辰砂とは? 絵の具に使う顔料?」
般若「その利用もあるね。硫化水ぎ・・つまり(少し考えて)・・そう、つまり、毒石だ。」
雪雲「(驚いて) えっ! 毒?」
般若「そうだ。辺りの草木も何となく、枯れているだろ。その岩の上を飛べば飛ぶ鳥も落ちる。」
雪雲「(鼻を抑えながら) 確かに、ひどい匂いだ。」
⚫️舞台に蝶々の模型が投げ込まれ、雪雲拾う。
雪雲「あ、蝶々が」
⚫️つぎは鳥のぬいぐるみが落ちてきて、雪雲拾う。
雪雲「あ、カラスが。」
⚫️次はヘリコプターのおもちゃが落ちてきて、雪雲拾う。
雪雲「あ、ヘリコプターまでが。」
般若「猛毒だよ。」
晴明「毒石とは。(思わせぶりに)悪鬼の放つ死臭。おのれ、痘瘡神の呪物だな。たばかったな。」
般若「違うよ。だから、辰砂、硫化水銀ですよ。最悪の毒物。毒石の湧き水に湧神が宿っているから皆に飲ませよと痘瘡神が言ったのなら、痘瘡神は嘘をついている。嘘つくよね。だって、そもそも敵だから。どうして敵のいう事をやすやすと信じちゃうかなあ。」
晴明「信じることは良きこと。疑いは邪気を身に引き込む。猜疑心は黒鬼のする所業。」
般若「そうか、お兄さんたちは、『鬼は外、福はうち』を本気でやってるイタイ人たちなわけね。」
⚫️その言葉を無視するかのように晴明は毒石を見に上手に。
般若「あんたも、信じちゃっているわけ?」
⚫️雪雲、一瞬考えて、うなずく。
雪雲「痘瘡神の姿を確かにこの目でみた。スサノオノミコトの声。昨夜、晴明の祈る護摩壇の前にあらわれ、消えた。」
般若「幻術だね。あの、晴明さんとやら、オオバアサガオでも使ったんだろ。集団幻覚に誘導したんだね。あんたたちを騙されてるんじゃない。いや、たぶん晴明さん自身も信じちゃっているんだ。痘瘡神だのスサノオだのって護摩に焚き込んだ薬草が作用した集団幻覚だよ。」
雪雲「幻覚? あれが幻だと?・・では、どうしたらいいのだ。民は天然痘で苦しみ、次々に倒れ、死んでいる。放ってはおけぬ。」
般若「私にまかせられるか?」

⚫️晴明、毒石を調べている。般若の言葉に雪雲は返事に困る。背中をみせたまま、晴明が答える。
晴明「任せよう。」
●その声を聞いて、般若は雪雲と顔を見合わせ、舞台から観客席に向かって明るく叫ぶ。

般若「承知。では、急急如律令! すぐに私のやり方に従って。」
雪雲「いざ、出陣。」
◎シーン5  救護所
⚫️幕が上がっていく。舞台には戸板のベットに横たわった病人たち。大きな釜からたちのぼる湯気。白い着物をきた村人たちが顔にマスクをかけている。
●上手に柵がある。その中に般若の姿、声が聞こえ始める。
般若「だめ!患者さんの使った腕や箸はみんなそこの大釜に入れて煮立てる。」
⚫️上手の柵から女・落葉が手を差し伸べている。
落葉「小豆や、大丈夫かい。母ちゃんだよ。」
小豆「・・あ、母ちゃん。」
落葉「粥を作ってきたよ。」

⚫️小豆と呼ばれた子どもが戸板ベッドから起き上がり、母親の落葉の元に駆け寄ろうとするのを、般若が抱き止める。落葉の元に行こうとして小豆は暴れる。
般若「お待ち。小豆や。お前は母ちゃんが好きだろ。」
小豆「(うなずく) うん。大好き。」
般若「そうか。お前は母ちゃんが大好きだし、大事だろ。」
小豆「うん、だいじ。」
般若「だったら、小豆の病気が治るまで母ちゃんに近づいちゃだめだ。」
落葉「小豆や!」
⚫️その声を聞いて小豆は般若の腕の中で暴れる。
般若「いま、小豆の中で天然痘が暴れている。それが落ち着き、消え去るまでの我慢。熱をさげ、体をいたわり、病気を治してから母ちゃんのとこに行くんだ。」
小豆「いやだ、今行きたい。」
般若「だめだ。今はまだ。でないと小豆の母ちゃんはお前のせいで天然痘になっちゃう。少しの我慢ができずに大好きで大事な母ちゃんまで病気にしていいのかい?」
小豆「(うなだれて) 我慢する。」
落葉「小豆、顔を見せておくれ!」
⚫️般若は小豆を抱き止めたまま、母親を振り返る。
般若「お前もここに来てはならん。」
落葉「小豆と会えないまま、死ぬのなら、ここで殺しておくれ。」
⚫️揉めている様子を、いつの間にか雪雲が上手で見ている。落葉の肩を叩き、何か話す。その間、般若も駄々をこねる小豆に何かを話している。
⚫️話のまとまった雪雲は柵越に般若に声をかける。
雪雲「般若殿、この母親の落葉を国府で今、雇った。今から、般若殿の救護所で働いてもらう。」
⚫️それをきくと、落葉はたまらないように柵を越えて小豆の元に駆け寄り、般若の腕から小豆を取り戻して駆け寄る。
般若「待て、待て、働くのは良いがここでの決まりはこの布じゃ。」
⚫️そう言って般若は懐から口と鼻を覆う布をとりだして、落葉にわたす。
般若「このように、口と鼻を覆うのだ。そして病み人とは一間(両手を広げて)以上はなれるのだ、そして病み人に触れたものに触れた時にはすぐにそこの流水で丹念に洗い、うがいをするのだ。小豆に布や衣服は洗う。決して同じ椀で飲み食いしてはならん。それがたとえ命より大切な娘であってもだ。できるか?」
落葉「はい、できます。何でもお言い付け通りにします。小豆といられるのなら。」
小豆「母ちゃん(だきあう)」
般若「こら、それがあかんというのだ。すぐの手洗いとうがいと煮沸消毒をいたせ。」
●役人1と役人2が柵の中で病人の手当を手伝っている。落葉に役人1が布を渡し、役人2画桶を渡す。
役人1「これで」
役人2「これを」
落葉「どうするのですか?」
役人2「いろんなとこを拭くのだ。」
落葉「何でございますか? (と聞きながら、桶の匂いを嗅ぐ。ウっと顔をしかめる)」
般若「酢だ。お酢で病人の触った場所などを拭く。」
●雪雲は役人1と2に気づいて話かける。
雪雲「お主らは天然痘にかかっていたはずだが、大丈夫か?」
役人1「はい、般若様の薬湯を飲んで熱が下がり、膿疱も消えて。」
役人2「ほら(腕を見せる)。一度天然痘が治ったら、二度はかからんそうで。こうして病人の世話をしております。般若様のおかげです。」
般若「(満足そうにうなずく。)」 
●その姿を頼もしそうに見ている雪雲。
般若「どう?他の場所は?」
雪雲「お見事でござる、般若殿。三河の各地に用意した救護所や、飯を各家に配り、人の流れを断つことで病人の数はみるみる減りました。」
般若「もう一息の我慢。この波を乗り越えれば病の広がりは収まっていきます。(雪雲の後ろや衆を見回し) そういえば、朋友の晴明は? 」
雪雲「(下手の舞台前方を指さし) ほれ、あのように。」
●雪雲の指さす先にスポットライトが当たると、そこには晴明が着座しており。窟屋の中にいるよう。前に小ぶりの護摩壇、護摩木を焚きながら一心に何かを拝んでいる様子。前に麻縄に護符が張り付けてある。そこには「蘇民将来子孫」と書いてある。下から晴明の顔に赤い光が当たっている。
般若「え! あれからずっと?」
雪雲「あれからひと月、寝食をおしみ、ひたすら加持祈祷。お籠りしています。」
般若「すごいな。祈祷だの易だの風水だの呪術だの、どんな意味が?・・ (反応をうかがいながら) 晴明を信じておいでか? 」
雪雲「は、あ、もちろん。」
●そこに上手より、大江定基が転がり込んでくる。

定基「晴明、晴明殿、いや晴明様。力寿が私の力寿が・・お助けくだされ。」
晴明「どうなされた?」
定基「息を、力寿が息をしておらぬのじゃ。」
般若「まだ間に合うか? なんときほど前ですか?」
定基「なな。」
般若「なな?」
定基「七日前に! (嗚咽し泣き崩れる。)」
般若「なのか・・なのかぁ。(それはだめだというように大きく首をふる。)」
雪雲「さすがの『知恵の般若』殿も力が及びますまい。」
晴明「私の出番ですかな。参りましょう、力寿殿のもとへ。(立ち上がる)」
定基「(立ち上がった晴明の足元に縋り付き) お助けください。晴明様。」
晴明「わたくしにお任せください。定基様。」
●意気揚々と定基とともに上手に去ってゆく安倍晴明。
雪雲「一条戻り橋か。生き返らせることができるのか? さすが晴明。」
般若「無理だよ。死んだ者は生き返らない。」
雪雲「無理? (少し上手に歩み抱えて) ならば、なぜ晴明を止めない?」
般若「必要な人がいるからね。」
雪雲「何を?」
般若「幻を。」
雪雲「幻?」
般若「人は深い悲しみにとらわれた時、ほんのひとときでも、幻にすがりたいときもある。」
雪雲「ん。」
般若「あんたもそうじゃないか? 藤原家に御一統が排除され、都を追われる悲しみや恨みを長屋王に晴らしてもらいたかったのでは?」
雪雲「そうかもしれん、私がこの天然痘の災厄を呼び込んだ元凶かもしれんな。」
般若「(きっぱりと)ない、それは無いですよ。」
●雪雲はそれを聞いて、胸のつかえが下りたように微笑む。
雪雲「晴明は都に戻り出世するだろうな。三河の流行病を鎮めた天下一の陰陽師として。そして力寿殿を一時なりと生き返らせた功労者として。」
般若「あなたもその船にお乗りになればいい。京の都に戻れますよ。」
雪雲「わたしか、私はここでよい。いや、私はここがよい。さあ、最後の仕上げ。落葉や小豆たちの暮らしが立つよう暮らしを復旧せねばならん。」
般若「おお、育ったね。三河の介、紀雪雲。」
雪雲「ああ。おかげで。・・急急如律令。急ぎ自分の生き方をなせ。」
●救護所はそれぞれも持ち場で、救民のための看護を続ける。
                 おわり  2024・3・23

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