一子相伝 奥義「破天荒」
これが当家に伝わる一子相伝の奥義「破天荒」じゃ。
しかと伝えたぞ。
はっ
なに故一子相伝の奥義であるかはわかるな。
決して当家以外の人間に漏らすことはできぬ秘技ぞ。
はっ
そうして鎧塚朔之進は師匠であり父でもある鎧塚喜三郎からついに奥義「破天荒」を伝授された。
朔之進の心は重かった。「破天荒」はたった一人で背負っていくにはあまりに重すぎる奥義だった。
鎧塚家は関ケ原の合戦で東軍に加わった三好稲村藩に七代に渡り仕えてきた由緒ある家系だ。
鎧塚家の身分は下士にすぎないが、代々御徒組頭を勤め、合戦となれば果敢に先頭に立ち敵陣へと突入していく勇猛果敢な血筋として他家からは一目も二目も置かれる存在だ。
そして鎧塚家には「破天荒」という代々伝わる一子相伝の奥義があり、それを受けて生き延びた者がただの一人もいない必殺の剣と言われていた。
朔之進が家老の栗原外記の私宅に呼び出されたのは、奥義の伝授を受けて3ヶ月程たった初秋だった。
御徒組は大手門や搦手門などの主要な門の警備、城内の通路の見回りなどが主な任務だ。御徒組頭といえども、藩の幹部たる家老から呼び出されることなどあるはずもない。
これは何かあったな。と朔之進は思った。
嫌な予感がした。
暗闇の中、夜気に冷えた畳の上で、朔之進は賀茂涼之助と向き合っていた。
静まった屋敷の中で二人の静かな息遣いだけが今聞こえている。
昨夕、勘定方に勤める賀茂涼之助は退城する上司の中山主膳の背後から近づくと、おもむろに抜刀し、上段の構えから一気に袈裟斬りで惨殺したという。
賀茂と中山のただならぬ仲を知らぬ者は城中にいなかった。
彼らの衆道は、もはや性愛を超え、むしろ年長者の中山が若者に武士としての教養や礼節を教える一環のようにすら捉えられていた。それほどの仲だったのだ。
それがなぜ中山を殺害するに至ったのか。
誰もが驚愕した。
そして、その夜賀茂は逃走した。
家老栗原外記より朔之進が受けた命は上位討ちだった。
主君の命を受け罪人を討つ。否の返事はありえない。
浄心流免許皆伝の腕前を持つ賀茂涼之介を討つには、並大抵の腕前ではダメだ。そこで無敵と言われる奥義を伝授された朔之進に白羽の矢が立ったのだ。
いったん帰宅した朔之進は、身を清めると、妻、父母に今生の別れとなるやもしれぬことを伝え、身支度を整えたうえ、夜陰に紛れ賀茂が立てこもる瑞巌寺そばの庄屋屋敷に単身乗り込んだ。
奥義を出す以上、戦いは誰にも見られてはならぬのだ。
朔之進が賀茂涼之介と正面きって対面するのはほぼ1年半ぶりだった。
一昨年末の御前試合で賀茂に敗れ、それ以来ということだ。
腕はほぼ互角。
まともに戦えば、どちらが勝っても、負けた方が確実に死に、勝った方も瀕死の重症、悪ければ死ぬことになるだろう。
やはり・・・ おぬしか。おぬしが来たか。
うむ。
しかし・・・ おぬしのその格好はどうしたんじゃ。
暗闇の中、灯台のほのかな明かりに照らし出された朔之進は、畳の上というのに下駄履き、腰には大きな巾着袋をぶらさげ、頭部は両目を覆うように薄絹の鉢巻を巻いていた。
それは言うな。拙者も奇妙な姿とは思っておる。
朔之進はそう言うと、巾着袋に手をつっこみ、取り出したものをパラパラと床に巻き始めた。
なんじゃ? おぬしはいったい何をしておるのだ?
ギヤマンを細かくくだいたものじゃ。拙者は下駄じゃが、おぬしは裸足じゃからの。裸足にくだいたギヤマンが刺さるとすごく痛いぞ。
うっっっ。卑怯千万!
それは言うな。わかってやっておるのだ。
朔之進は巾着袋から和紙で丸めたいくつか包を取り出すと、唖然としている賀茂の顔面めがけて次々に投げつけた。
ぶはーーーっ、ぶはーーーっ ううううーーー なんじゃこりゃあああ
賀茂がむせながら絶叫する。
かまどの灰にのう、鷹の爪を細かくきざんだのをたんと混ぜたものじゃ。
これが目に入ると痛うてよう見えんようになるからの。
拙者は薄絹の鉢巻で目隠しをしておるからの、全然平気じゃ。
ぐあああああ、目がーーー おっおのれーーーーー
賀茂が獣のように吠え、怒りに任せて朔之進に突進しようとするが、くだいたギヤマンを踏んづけ絶叫する。
ウギャーーーー
それにしても、ようやってくれた。あっぱれじゃ。
栗原外記は満足気に言った。
やはりあれか・・・例の奥義を使こうたのか?
はっ
じゃろうなぁ。あそこまで賀茂が無惨に成敗されるとは思わなんだぞ。さすが奥義「破天荒」じゃ。たいしたものじゃ。
はっ
栗原外記の私邸から帰ってきた朔之進は、その日の夕刻まで冴えない表情で道場にぽつねんと一人座り続けていた。
父であり師匠でもある鎧塚喜三郎はどう声をかけて良いのやらわからず、さんざん躊躇したあげく、こう尋ねた。
朔之進よ、この度の戦いで何か見えたものがあったのではないか?
はっ・・・ 何と言いますか・・・
何でもありなら、剣の腕ってあまり関係なくないですか?
長い沈黙の後、鎧塚喜三郎は一言だけ言った。
・・・・だよなぁ