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今、思うこと。〜「マーレの腕章」商品化をめぐって

商品化を一度でも許してしまった時点で、私の中の最後の糸がプツリ・と切れてしまった感がある。・・・と、雑な導入で申し訳ありません。何の脈絡説明もなく、今の気持ちの純粋なぼやきです。察していただけた方のみ、以下ぐちぐち駄文ですが、よろしければお読みください。

「腕章」商品化の問題点はすでに沢山の方々が丁寧に言語化してくださっているので、私からあえて付け加えることはない。唯一、追加強調するとすれば、やはり「公式」と呼ばれるところの講談社をはじめとする「製作委員会」という組織体制のほころびについてだ。

ナチスドイツによる過去の蛮行を彼らが「知らなかった」は、絶対にありえない。私が一番問題に感じたのは、組織内の一人一人の人間が「考えること」を放棄していること、放棄させられていること、だ。問題はより根深く、深刻だと思う。

「なぜそれが通った?」、私の中で、今回の一件は単純にこれにつきる。外部へのライセンス商品ではなく、本家からの商品化というのもパンチ力がすごい。今私は、日本の一企業の勤め人として、この商品化がどういった意思決定プロセスの下でなされたのかに、嫌味なく純粋に興味がある。

“当該商品は、作中に登場するキャラクターの衣装を再現した商品として制作いたしました。しかし、作中で人種差別、民族差別の象徴として描かれたものを安易に商品化したことは配慮を欠いた行為であったと認識しております ” ー「進撃の巨人」製作委員会よりお知らせ 

ここで欠けていたのは「配慮」ではない、と思う。欠けていたのは、「考える」という、とても人間的な営みだ。

しかしなんとなく・・こういった「配慮を欠いた行為」が起きてしまった事情も、察せられなくもない。なぜならこの「思考停止」というものは、ある意味私たちが組織の中で仕事をする上で、(遺憾ながら)「割とよくあること」だからだ。正直、私自身もそれは日々痛感している(これが日本の組織特有の事象なのかはわからない。が、その傾向は他国に比べて強いのではないかと予想する)。けれどこの「思考停止」に、なんとしてもあらがい続けなければ、それこそ私たちは「家畜と同じ」じゃないか?

”全く思考していないこと、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ”   ーハンナ・アーレント

「思考すること」を停止した無数のアイヒマンたち…を思うと、はっきり言って、進撃の巨人ファイナルシーズンの今冬放送は今の製作委員会には時期尚早であると思う。それくらい深刻に、今回の件は一線を超えていた、と思う。

同時に、アイヒマン(モンスター)は、私の中にもきっとあなたの中にも、静かに潜んでいて、ある日ある場所ふとした瞬間に、突然顔を出すことがあるかもしれない……と、心あらたに自戒した。「思考すること」を、私たちは絶対に放棄してはならない。自由を希求する調査兵団の本来の理念ってそういうことだよね、と青臭くも「進撃の巨人」という自由の翼の物語をまだ信じたい自分もいる。

最後に少しだけ皮肉。そうシリアスになることないよ、どうせマンガでしょ?、という意見も多いかもしれない。ならばまあ多分、そうなのでしょう。くーるじゃぱん、万歳。

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