絵のモデルをしてた頃
日曜日午前、掃除洗濯と植物たちの世話をすませ、いつもより少していねいに淹れたコーヒーと好きな音楽を部屋に流してこの文章を書いています。今日が良いお天気なら最高ですが、東京の曇り空もまたよし。秋を感じる少し肌寒い2021年9月最後の日曜日の朝です。
ここ最近、仕事でもプライベートでもガツっと凹む事がこの数週間続きまして(まあお察しください ハハハ)連休を利用し人間関係や自分の部屋、もちろん自分自身の甘ったれた心もちも色々なことを整理した一週間だった。その中であらためて思ったのは、大人になると様々な外部ダメージがダイレクトに響かなくなってきているな、ということ。私は今ミドサーですが、同じような事態を20代で、思い出せるだけで少なくとも2回は経験しました。当時のダメージはお恥ずかしながら・・もう本当にこの比ではなかった。心臓がそのまま抉られてしまうかのように苦しみ、大きく後悔もしました、若かったあの頃…(by 神田川)
今も、そう言う意味で深く傷つき悲しんでいる自分もいるのですが、どこかでそんな自分を俯瞰して見ている別の自分もいて、きちんとお腹も減る。笑 若い頃はむき出しだった「感受性」というものを、一枚一枚丁寧に薄皮を重ねていくように上手に隠していく術を、大人になるにつれ着実に身につけているんだなあ・・とあらためて感じました。それは少し寂しいことではあるけれど、きっと人間の生命力の素晴らしさでもある。だってそうしないことには私たちは、この長く厳しい人生というマラソン大会を走りきれないから。私の敬愛するかの村上春樹氏もおっしゃってます。響くなあ…。
そんなわけで(?) 、今朝は少しいつものオタク話を休んでふいと思い浮かんだ昔の思い出話を書いてみます。タイトルにもあるように、「絵のモデルをしてた頃」のおはなし。私の父は美術に関わる仕事をしておりまして、子供の頃の私はよく父の描く絵のモデルをしていました。これ、当たり前過ぎて特に自分では変わったこととは思っていなかったのですが、大人になってみると「絵のモデル」ってなかなかの特殊経験なんだなって気付きました。笑 ので、どういう感じなのか、ここで少しだけシェアしてみたいなと思います。
父の絵のモデルといっても、素っ裸になるとかではなくて笑、特に私はポーズをとったりとかはしていないのです。私の何でもない日々の様子、遊んでいる様子、寝転がっている様子、本を読んでいる様子・・を、ただただ父は暇に任せて観察してスケッチしていました。たまに油絵にもしていましたが、デッサンは毎日のように。気づくと、さっさっさっと珈琲を飲みながらデッサンする父のやわらかな鉛筆の音が聞こえる、それが日常でした。生まれた頃からそうだったので、特に何も思わず、何を描いてるの見せて!ということも全くなかったです。父は絵を売ることを仕事にはしてませんでしたので、完全に道楽絵です(たまに、欲しいという方に差し上げてはいましたが)。絵のモデルは私と弟、あとは母を描いていました。冬になるとシクラメンの花をよく買ってきて花の形を追うように熱心にデッサンしていました。あとは雲の形が好きだったようです。夏は夏山によく連れ出されて、頂上で雲のかたちを書いてました。あまりに綺麗な空なので、水彩で色をつけることもしていました。なかなか綺麗な絵でした。当時我々子供達は父の描く絵にはほぼ興味なく、自然の中で遊んでいましたが。懐かしいな。
ドガと踊り子、ロセッティとジェーン・モリス、ピカソと(元)妻たち、バルテュスとフレデリック・・・等々、モデルと芸術家の間での恋愛や濃密な関係が様々に取りざたされますが、さもありなんと思います。画家と注文主という職務関係を超えて、自分の描きたいモチーフを「自由に」自己決定できるようになった近代以降の芸術家であればなおさらです。また、モデルと芸術家をめぐるこの親密性には、絵画の場合は特に、対象の形やその隠された本質を、画家自身の目を通して写し取る(二次元に取り込む)という作業自体に潜むエロティシズムが大きく作用しているのではないかと思います。それだけ、画家とモデルの間に生まれる「親密な共犯関係」(それが恒常的なものであればなおさら)は、説明すると言っておきながら身もふたもなくて恐縮ですが、まさに体験してみないとわからない・・・とても不思議なものです。私は生まれた時から、しかも子供だったのでそこまで不思議には感じませんでしたが、これが恋人同士であったとしたら・・これ以上の幸福なコミュニケーションはないのではないでしょうか。けれどその濃度が高すぎて、、なかなかしんどいかもな、、とも思います。天才的な画家とモデルとの間で、穏やかに終わる関係が少ないのはこのせいでは・・・と私は推測しています笑(ちなみにうちの父は、子供たちが中高に上がる位から人物をモデルにした画をだんだんと描かなくなりました。自身の絵の方向性もあると思いますが、私も弟も思春期に突入してすれ違いが多くなったのもありますし、遠慮もあったのかなと。。。笑)
あの不思議な時間からもう20年近く!!経ってしまっていることに驚きます。そしてたまに思い出すと、あの時の感覚が無性に懐かしくなります。で、ふと今思い出したのが、私、父親以外の絵のモデルを、成人以降ではからずも一度だけしてしまったことがありました。
大学を卒業してすぐ、きちんと就職もせず(今当たり前のようにいわゆる「大企業」でいっぱしの社会人風ふかしている私ですが、そういう空白のような不思議な時期がありました、なつかしい。この時期のこともいつか記事に書きたいな…)父のコネもあり都内の小さな美術ギャラリーでアルバイトのようなことをしていた、二十代半ばの我がプー太郎時代。語学が少しできたので、海外から招聘したアーティストのアテンドをよくやっていました。あるアーティストを成田まで送ってグッバイして、一人東京に戻るその帰り道。お金はなくても時間だけは有り余るほどあったので、一番安い各駅停車で京成本線でゆっくりと電車に揺られて帰りました。
平日の正午近く、車内はほぼ貸切状態、外は良い天気の田園風景。完全に社会からは切り離された、真空のような美しい不思議空間、ぼーっと金色に光る窓の外を眺めていました。ふときづくと、前に座る美大生のような20歳位の女の子が私のことを熱心にデッサンしていました。何を描いているか見えませんでしたが、あ、これ私のこと描いてるなと、すぐに気づきました。だてに描かれ慣れてません私。笑 彼女とはすぐに目が合いましたが、アイコンタクトで「続けて」と促し、彼女も何かを悟ったのかそのまま描き続けました。途中で彼女は下車しましたが、別れ際にスケッチブックをこちらに一瞬見せて、にこっと笑顔でさっていきました。自分で言うのもなんですが「美しい」デッサンでした。不思議な出会いでした。
あの娘、今どうしているのだろう。そして今自分は何をやってるのか。もう10年も前の話です。父が私の絵を描いてたのは20年前の話。でも確かに、その見ず知らずの娘さんにも、父にも、なんとなく久しぶりに会いたい、元気だろうか。今彼らに自分を描いてもらうことに、私は耐えられるだろうか?そしてそもそも彼らは今の私を描きたいと思ってくれるだろうか?その描かれた自分を、私は直視できるだろうか・・??そんなことをつらつらと思う、秋を感じる少し肌寒い、2021年9月最後の日曜日の朝なのでした。