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米共和党議員『進撃の巨人』改変のヘイト映像をめぐって

最初にご注意を。こちらの記事はタイトルの通り、『進撃の巨人』を扱いますが、ハッピーな内容では全くありません。というよりむしろ、結構重苦しい内容です(ヘッダーのイメージの通り笑)。先日アメリカで起きた『進撃の巨人』をめぐる一連の出来事をキッカケに、私の中で生まれた問いや思考過程を、この記事を通じみなさんに共有できればと思っています。

そもそも、米国で何が起きたのか?

それでは本題、まず、先週アメリカで何が起きたのかを確認します。取り上げたいニュースはこちら(↓)

今月11月7日日曜日の夜(米国時間)、米共和党のゴサール下院議員が、『進撃の巨人』のアニメ映像を使って、与党・民主党のオカシオ=コルテス下院議員およびバイデン大統領に暴力を振るう内容のパロディー動画を自身のTwitterおよびInstagramに投稿しました。動画は約1分半の尺で、『進撃の巨人』の「紅蓮の弓矢」のオープニング映像と米南部メキシコ国境に集まる移民とみられる映像等を合成したものでした。「無垢の巨人」を移民やオカシオ=コルテス議員に、「超大型巨人」をバイデン大統領に見立て、ゴサール氏自身が巨人たちを倒して壁(国境)を守るという内容になっていて、「移民の攻撃」と日本語のタイトルまで付けられています。当該投稿は氏のアカウントからは削除済みですが、インターネット上で今も確認は可能です(あまり気分の良い動画ではありませんので、実見は非推奨です)。

当該の政治家の方たちのバックグラウンドを少し調べてみました。標的とされたアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏は、2018年の中間選挙で29歳と史上最年少の女性議員として当選。ニューヨーク生まれで、プエルトリコ出身の母親を持つ移民系議員です。気候変動対策運動にも力を入れており、民主党進歩派として特に若年層の圧倒的な支持を得ているとのこと。一方、動画を投稿したポール・ゴサール氏は、白人ナショナリズムを掲げる反移民派の極右議員、現在62歳の白人男性です。この経歴を見ただけでも、とてもクリアに二人の対称性が浮かび上がります。

Yahooニュースなどで日本の人々の反応を見てみましたが、著作権侵害の指摘や作品への冒涜だといった指摘、国際政治学専門の大学の先生たちは、本来ならニュースバリューすらないものだ、やれやれといった反応でした。事象としては、確かにアメリカの極右議員のおバカな行動に日本のアニメが利用された、けしからん・・で終わりのニュースにも見えますが、この事件、案外、重要な問題提起が潜んでいるじゃないか?、というのが、このニュースを目にした時に私が感じた、一つのひっかかりでした。

指摘されてきた「危険性」

『進撃の巨人』と極右ナショナリズムや白人至上主義思想との「親和性」は、以前から指摘されていたことで特に新奇な話ではありません。アメリカのThe New Republic紙の下記の記事では、タイトルの通り、なぜ『進撃の巨人』はalt-right(オルタナ右翼)のお気に入りの漫画なのか?が論述されています。

こちらの記事では、作品を読む大半の人々が、『進撃の巨人』という作品にファシズムや人種差別に対する明確な批判を読み取るとしながらも、アメリカの一部のalt-right(オルタナ右翼/ネット文化を背景に比較的若年層を中心に拡大したいわゆる「ネトウヨ」的な層)に聖典のようにも扱われている事実を指摘。記事中で紹介のある4chanという匿名掲示板の進撃スレッドをみると、『進撃の巨人』から画像をとった政治的コラージュ画像や人種差別発言、多くのヘイト感情にあふれていてげんなりとします。ヒトラーのような口髭をつけたエレン、壁の外から侵略してくる移民たち、....(こちらも閲覧は非推奨)。

アメリカのネトウヨ層になぜこれほど進撃は支持されるのか?記事はその大きな原因として、「諌山氏の複雑な人種的コード化(Isayama’s convoluted racial coding )」を挙げています。『進撃の巨人』には、現実世界に共通する多くの事象が物語内に記号的に用いられています。この類比から、alt-right(オルタナ右翼)は主人公の祖国エルディア帝国に、ナチスの目指す理想の第三帝国を見出すのだと記事は指摘します。彼らの目には、エルディア人は、西側諸国の白人である自分たち自身として映ります。祖先による非白人人種への過去の犯罪のために罰を受ける彼らは、自分たちの領土(米国)に侵攻しようする人間以下の巨人(移民)に包囲されている。巨人を駆逐するエレンは、彼らにとっての英雄であり、『進撃の巨人』に、白人至上主義のイデオロギーを正当化する物語(!)を読み取るのだ、と。

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このように見ていくと、まさに移民排斥を訴える極右ゴサール下院議員による『進撃の巨人』を用いたSNS投稿は、愚かな行動であることに違いはありませんが、彼自身の中では全く非論理的な引用行為ではない、ということが分かります。

諫山創氏は物語のコードを複雑に絡み合わせたストーリーテリングの名手であり、それは『進撃の巨人』という作品の最大の魅力の一つであると私は思いますが、皮肉にも、そのストーリーテリングの妙が、極右ナショナリストにも「自分の物語」を作中に読み取らせてしまう結果となっているのです。

Reading Gridを読み解く必要

『進撃の巨人』という作品の魅力と危うさについて、もう少し作品に則して掘り下げてみましょう。今度は欧州へ、フランスのラジオチャンネルFrance Interで今年7月15日放送に放送された『進撃の巨人』特集の一部をご紹介します。

France Interはフランス公共ラジオRadio Franceの運営するチャンネルの一つ。こちらの番組では、一般のフランスの視聴者を対象に、今若者たちの間で爆発的に流行っているMANGA、『進撃の巨人』とは何ぞや?を、ゲストを迎えて解説します。番組進行役Frédérick Sigrist氏とゲストでポップカルチャー専門家のAriane Dumont氏の間で、進撃における政治的テーマの考え方について会話が交わされているので見てみましょう。

(44:55頃〜)
Frédérick(以下、F)ー諫山創氏はファシズムを賞賛しているという批判がありますが、こういった作品解釈には、ひどい読み間違いはないのでしょうか?
Ariane (以下、A)ーそうですね、なぜこういった批判が出るかの背景を理解する必要があると思います。先ほどもお話にでた通り、進撃の巨人には多くの非常に軍事的な表象がみられます。例えば、有名な「SASAGEYO(「心臓を捧げよ」)」といった軍事国家的なモチーフですね。つまり、軍国主義、ファシズム、ナショナリズムといったものが、作中の随所でみられるのです。加えて諌山氏は、日本の歴史の好ましからざる影響についてしばしば批判を受けています。彼は、歴史上の実在の人物をモデルにしたピクシス司令と言うキャラクターを理由に、過去に殺人予告を受けています。ピクシスのモデルは、日本軍による韓国での暴虐の戦犯であり、非常に危険な人物です。同時にその人物は、日本の英雄であり小説やドラマ化もされています。そうした作品に、諌山氏も影響を受けているのです。そのため、諌山は極右だ、虐殺の肯定者だ、といった大きな批判があがり殺人予告を受けたのです。もちろん、ここで極論に陥ってはいけません。
Fー作品全体を見ねばならない。
Aーそうです、作品全体を見ねばならない。
Fーネタバレせずに説明をお願いしたいのですが、より難しいですね(笑)
Aーもちろん頑張ります・・(笑)。リーディング・グリッド(reading grid)を読み解いていかねばならないと思います。諌山氏の素晴らしい才能の一つは、リーディング・グリッドを多層化することができるという点です。諌山氏はファシズムを明確に賞賛する描写を描きながら、反対に非常に批判的でもある。概して日本の漫画家は「政治的」ではありません。政治的なフィールドに関わろうとしない。日本人は歴史的事実からも非常に平和主義者です。ここで確認せねばならないのは、諌山氏は決して彼が自分の作品で描いているものを栄光化してはいない、という点です。軍事的な表象や先ほど話したような洗脳教育は、明らかにファシスト国家のそれですが、彼がそういった表象を作品に用いているからといって、それを支持しているとは言えません。逆に、栄光化された愛国主義の中で人々が死に向かうまさにその瞬間、どんでん返しが起こる。彼らの死は、全く無意味なものとして描かれるのです。
Fーエルヴィン団長ですよね。彼は若者たちに向かって、巨人との戦いに向かうように熱弁を振るうけれど、リヴァイの前では驚くべき誠実さで心の内を明かしています。若者たちが決して生きて戻れないと知っておきながら戦いに送り出すという、自身のモンスター性を引き受けるわけです。彼はそれを実行する、それ以外に道がないから。いつもこの二項対立があります、戦場の賛美と、戦場のひどく惨めな現実と。
Aーそう、まさに、私が複数のリーディング・グリッドがあるとお話しした意味はそこにあります。巨人を殺さねばならない、敵を駆逐せよと、確かに愛国主義が前面に描かれていますが、その後にどんでん返しがある。この転換は登場人物たちに想起させるのです、で、結局何のために・・?と。

リーディング・グリッド(reading grid)とは、作品解釈の方法で使われる言葉で、ここでは「作品解釈の枠組み」という理解で良いと思います。Dumont氏のおっしゃるように、諌山作品の強みは、この枠組みの多層化、物語のコードの複雑化にまさにあると言えます。愛国を称揚しながら、同時にそこへの疑念も描き出す…、『進撃の巨人』は、物語内に複数の声が同時に並存する非常に「多声的」な作品なのです。

したがって、単一のイデオロギーから作品解釈を試みようとするアメリカのalt-right(オルタナ右翼)のそれは、とても一面的な底の浅い解釈であると言えます。一方で、こういった多様な解釈を可能とする『進撃の巨人』という作品の「懐の深さ」は、その一部を切り出した読みや誤解の危険性が非常に高いということを意味します。『進撃の巨人』は、今や世界中に出版・配信されていますが、実は、世界を舞台としたときの作品発信の難しさを、特にはらむ種類の作品であると言えます。ネット上にあふれる「Shingeki」を利用したヘイト画像や発言の数々は、まさにその証左と言えます。

「たかがマンガ」、のその先へ。

さて、ここまで見てきたように、好む好まざるに関わらず、作品のイメージやテキストはすでにインターネット上に無限にコピー&ペーストされて、今日も世界中で多くの差別発言や政治発言に利用・拡散されています。作品は作品として、現代社会と無関係に成立するというナイーブな考えをもつことは、もはや危険でしょう。多くの日本の読者は、東日本大震災直後の日本を、外部から突然巨人の急襲を受けた壁内人類の運命に重ねました。同じことは、今日もこの世界の誰かが感じていても全くおかしくないのです。それだけ『進撃の巨人』という物語には、普遍的なイメージ喚起力があるとも言えます。

ゴサール下院議員の議論に戻りましょう。ゴサール氏側のスタッフは、米紙ワシントン・ポストの取材に、次のように答えています。

「私たちはアニメビデオを作った。誰だってリラックスすることが必要だろう!左派はミーム文化を理解していない。楽しみを知らない彼らに未来はない。あれはただのマンガだ。ゴサールは飛ぶこともできないしライトセイバーも持っていない。暴力も賛美していない。真実のために戦うことを示したのだ。」

ネット上のオタクのミームカルチャーと、公人のSNS上での発言は全く次元の異なる話ですし、この回答には、『進撃の巨人』という作品へのリスペクトを微塵も感じません。「たかがマンガだ(It’s a cartoon. )」・・・という言葉にも、そもそもMANGAというカルチャーそのものを非常にバカにした空気を感じます。今回の件は、アメリカの極右議員の議論にすら当たらない愚行と捉えるのではなく、きちんと日本サイドはこの出来事に抗議の意思を見せること、そしていかなる人種差別にも反対する立ち位置を示すのもかっこいいと思います。そうした態度表明は、今後のMANGAというカルチャー全体を守ることにつながるはずです。

『進撃の巨人』に限らず、作品が世界規模のコンテンツに成長するほど、その影響力のネガポジ両面での拡大は避けられないことと言えます。オリジナルの作品にその意図はないとしても、社会や時代の変化で様々に受容の形は変わります。作品の届け方のアップデートやプレゼンスのマネジメントは、今後、MANGAが世界を舞台に成長を続けていくためにも絶対に必要です。「作品をブロパガンダに利用するな!」、「またアメリカのおバカな政治家の奇行か、やれやれ」・・で思考を止めるのではなく、その一歩先に踏み込んだ、現代世界の中でのMANGAをめぐる議論が必要な時期に来ているのではないかと思います。

以上、『進撃の巨人』のアメリカでのニュースをきっかけに、うだうだと考えていたことを書かせていただきました。長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました!ではではまた。




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