意見の意味
15歳からフランスで生活をし始め、暫しした時のこと。
初めて完璧に聴き取れたフランス語があった。
音楽院の校長先生が我々生徒達に言った、とある一言。
『あなたたちは腐った魚の目をしている』
Vos yeux sont comme des poissons pas frais.
初めて完璧に分かったフランス語がこれだ。
正直吹き出しそうになった。
そして、私はこの言葉の意味を年々知ることとなる。
朝から学業、午後からクラシックバレエの実技、解剖学や音楽の授業、
その後に、更にコンテンポラリーダンスの実技の授業があると、
学校を出る時間が20時を過ぎている。
月曜日から全員放心状態。
自分の意思や感情をしっかりアピールする国でもあるので、
疲れたときなんかは、必要以上に怠惰な態度でいることも皆ありがち。
それに合わせて先生達も強烈なまでに叱る。
そういう環境だった。
『意見を言わないと損をする』
現地で出逢った日本人の方々も
この言葉を大切しながら生きていた。
学校での授業中に一人だけ怒られて
靴を投げ捨てて、泣いて教室から飛び出した子もいた。
誰も追わない。
彼女は、次の日からケロッとした顔で、いつも通り登校。
国の文化の違いで個性、自由、秩序の解釈が違ってくることはあるけれども
個々の感情を押しつぶしたり、隠したりすることは本来忍耐力とは比例しない。
寧ろ歪ませていく一方なのだと、子供なりに考えた時期となった。
特に表現の仕事は多様性の宝庫。
ヨーロッパは更に、人種、国籍、文化全てにおいて混沌としている。
それは本来どこに住んでいようが
どのような仕事をしていようとも
同じであっていいはず。
そう思わせてくれたのも、当時の厳しい先生や
自由な感性を持った周りの皆がいてこそ。
そういった文化、国民性を感じながら学ぶ語学も一番吸収が早かった。
これからも当時に負け劣らず、
時に腐った魚の目をするかもしれない。
そんな時は、あの言葉を思い出そうと思う。
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