笑われると思っていた夢を友人に打ち明けた日の話
先日、15年来の友人に会った時の話をしようと思う。
こんなに楽しかったのはいつぶりだろう?というくらい話が盛り上がり、お酒(と言っても僕はノンアルコール笑)の勢いも相まって思わず夢を語ってしまった。
"語ってしまった"と言ってしまうのは、この夢を語ることについてはずっと避けてきてたからでもあり、心のどこかで人に言うのは「恥ずかしい」と思っていたからである。
それには理由がある。
僕は中学生の頃から人に言えない話せない気持ちをノートに書き溜めるようになった。
時代の変化に伴いその方法はどんどん変わり、高校時代はWordやケータイde日記に、今ではグーグルドキュメントやアプリに人に言えない気持ちを書き残している。
ストレスがかかりすぎると記憶が飛んでしまう特性も、毎日そうやって書いているとどの時期は記憶が抜けているとか、この時期は日常がとてもしんどかったのかもしれないとか後から振り返ることができるので大変都合が良い。
で、そうやって気持ちをノートに書き溜めるようになってから「詩」を書くことにもハマった。
天王寺の歩道橋が改装される前、路上で詩を書いていたお兄さん(誰かは知らない)の影響だ。
1冊150円くらいのスケッチブックに筆ペンで、来る日も来る日も言葉と挿絵をしたためた。
だが、それを人に見せるという機会を今の今まで持ってこなかった。
自分の中でこうやって言葉を書いていることは「恥ずかしいこと」だったからだ。
その理由は級友が僕に言ったたった一言。
「きっしょ」
今こうやって書いててめちゃくちゃ笑えてくるのだが、「きっしょ」と言われたその時の僕はまだ中学生。
今よりもっと繊細で、当時の自分の唯一の心の拠り所というか楽しみにしていることを「きっしょ」と言われたことで、「これはきっしょい趣味なのだ」と思ってしまい、それからは隠さなければならないことだと思ってしまったのである。
けれど、だからと言って書くのをやめることはできなかった。
溢れてくるのだ。
言葉が、あらゆる言葉が内側からトイレでスッポンをした時のようにとめどなく溢れてくるのである。(もうちょっとマシな表現はないのか)
月日は流れ、あれから17年。
当時より頻度は減ったが、僕は今でも内側から湧き上がってくる言葉を書き納めている。
そして今後、どうやって生きていこうかと自分と真剣に向き合っている最中での友人との再会で僕は思い切って自分の夢をかたってみたのである。
「僕、実は夢があるねん」
「どんな夢なん?」
「50年後くらいに「令和の谷川俊太郎」って呼ばれたい」
・・・・・・・
怖かった。
どんなことを言われるのか、とてもとても怖かった。
またもや「きっしょ」と言われるのかと思ったらレスポンスがあるまでの1秒足らずの間に喉から心臓が出てきそうだった。
「めっちゃええやん!!最高やん!!!」
最高なのは紛れもなく友人の方だ。
人の夢に対してめっちゃええやん!と言えること。
最高やん!と言えること。
改めて、最高の友人と友人でいれることが幸せだなと思った。
彼のおかげで胸を張って言うことができそうだ。
「僕は詩を書いてます」
「僕は詩の世界で有名になりたい」
「今年中に詩集を出版したい」
そして何よりも大切なことはこれから先ずっと
「人の心が明るくなるような、しんどい時に前を向けるような言葉を紡げる人でありたい」
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