「生きてる」んじゃない、「生かされている」
先日ふと、
あ「先祖の名前を調べよう」と思って
地元の市役所に行ってきました。
そう思ったのは、
ご先祖への感謝を書いている時でした。
先祖への感謝って…
そもそもわたし、名前も顔も知らないなぁ。
名前を知った上で感謝してみたら
どんな感じなんだろう?
皆さんは、自分のご先祖の名前、
どこまで知っていますか👀?✨
(私は祖父と祖母までしか分からなかった!)
「ご先祖を遡って知りたいんですが…」
と役所の事務員さんに問い合わせると、
戸籍謄本から遡れるとのこと。
1通あたり750円くらいだったので、
5000円くらいで調べることができました!
記録が残っていれば、どこまででも遡れるとのこと。
(役所って、すごい…!!)
とりあえず、
ひいひいひい爺ちゃんの名前まで分かった笑
名前は、徳蔵さん。
で、
実際にこうやって名前を知って
わかる範囲で
家系図みたいにして書いてみた。
家系図って、下書きとかしないと
うまく書けないですね😂
本当はこんなシンプルじゃなくて、
兄弟とか異母兄弟とかも含めると
もっと名前が増えるし
枝分かれの一部しか書いてないから、
それぞれを追っていくと白紙がすぐ埋まる。
そして
これを書いている時に、
なんか、果てしないな。
と思った。
ここから更にどれだけ遡ったとしても、
それは全体のたったの一部。
そして30年前に
わたしがここに生まれるまで
とんでもない数の人が関わっている。
という紛れもない事実。
そこで湧き上がってきたのが、
私は、生かされている
ということでした。
生きてる、というよりも
生かされている。
この家系図の何かが欠けていたら
私は今、ここに居ない。
生きると死ぬの小さなサイクルを
ひたすら繰り返して
ここまで繋がってきてる。
私はその一部にいるだけで、
生まれてきたのは、
私の意思とは関係ない。
↑
言葉にすると当たり前だけど、
まるで「自分が」生きているかのように
私たちって過ごしている気がします。
「いつか〇〇しよう」
「まだこれはやらなくていい」
「生きるのがしんどい」
どう生きたとしても、
自分の意思とは関係なく
生まれて生きて死んでいく。
「今ここ」に存在できているのは
当たり前じゃないんだ。
私はそこに「感謝」しかできない。
そして与えられた人生を全うするだけ。
自分が「生きてる」んじゃなく、
壮大な力によって「生かされている」。
それを忘れちゃいけない。
その時に、全力で感謝がわいたのと、
与えられている「今ここ」を大切にしよう。
と思いました。
あと、自分の意思とは関係なく
いつかは絶対に死ぬ。
って悪いことじゃない。
すごく有難いこと。
「生」に比べて「死」はタブーとされているけど
永遠に生き続けなきゃいけないとしたら
そんな苦しいことってない🥹
「死」を悪にしたら「生」も存分に楽しめない。
自分の意思とは関係なく
この身体にちゃんと期限があるからこそ、
「今ここ」を好きに楽しめるんだと思います。
Voicyにて、5日間の感謝ワークガイドをしました🥰
ノートとペンさえあれば今すぐできます♡
読んでくださりありがとうございます!
まいちん
素敵なサポートを頂いて本当にありがとうございます🎁✨