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【独り語りのような】私の運命を決めた1枚。

さすがに顔は出せないが、この写真は
私の叔父と叔母、抱かれている赤ちゃんは
現在小学5年生になる姪っ子。

まだ私はCanonのPowerShot510という
小さなカメラで遊んでいた10年前。
これもその頃のお正月で、親戚が実家に集まり
何気なく撮影した1枚である。

この2014年のお正月を過ごし、数ヶ月後に
叔父は癌が見つかり長期入院した。
何故か両親に病院も教えてもらえず、
全く会えないまま時はすぎて
その年の11月には私の結婚式が控えていた。

結婚式前には退院したようで、
必ず行くからねと連絡をもらって安堵した。
結婚式当日、晴れやかな気持ちで親族の元へ行き、
思わず呼吸が止まった。

ガリガリに痩せて、ぶかぶかのスーツで現れた叔父。
「楽しみにしてたんだけど、思ってたより
入院が長引いてスーツが間に合わなかったよ」
そう笑っていたけど、正直返事に困ってしまった。

その約1年後、叔父は亡くなった。


その報せを聞いた時にふと、
そういえばお正月の写真をパソコンに保存したまま
現像していない事を思い出した。

当時はただ撮るのが楽しくて楽しくて
自分の為に、何気なく撮影しただけで、
人に見せようとか、あげようなど全く
考えていなかった。

その時、ただ本当に気まぐれに
なんとなく「通夜振る舞いの場にでも見せたら、
思い出話の種になるかな」程度の軽い考えで
現像してお通夜に持って行った。

式場に入れば、ものすごく若い頃の
叔父の写真が遺影になって出迎えた。
従兄弟(叔父叔母の息子)に小声で
「最近の写真無かったの?」と聞くと
『お母さんがお父さんの事を1番
カッコいいと思ってた頃の写真だってさ』と。

なるほど、そういう選び方もあるのか、、、と
関心してしまった。

お通夜も終わり、通夜振る舞いが始まった。
お酌に回ってきた叔母に、
「撮るだけ撮って見せてなかったので
良い機会かと思って持ってきました。」
と、写真を出して見せた。

気丈にくるくると笑顔で動き回っていた
叔母の表情が消え、写真を手に取り
「お父さん、太ってる、、、」と呟いた。

叔母は、私にとって意外な反応だった。
私と従兄弟、近くにいた親族が
ざわざわしていた。

「そう、これがお父さん。太ってるお父さん。
痩せる前の、、、お父さんだぁ、、、。」

意外な言葉に最初は驚いたが、
たしかに発病してからはガリガリに
痩せてしまっていたから、その言葉に納得した。

「舞天(仮名)ちゃん」

急に叔母に呼ばれ、ハイと返した。

「この写真、持ってきてくれてありがとう。
子供が大きくなってから写真も撮らなくなって
最近のものといったら舞天ちゃんの結婚式くらいで
ガリガリに痩せて、不恰好なスーツ姿しか
無かったの」

私は「良かったらその写真あげます」と伝えた。
すると叔母は嬉しそうに
「ありがとう!宝物だわ!」と笑ってくれた。


今までただ楽しくて
何気なくシャッターを押していた

でも

その叔母の笑顔を見た時、私は強く思った
《 人の為に写真を撮りたい 》と。

そのときから私のSNSのプロフィール欄には
ある一文が書き出された。

《 あなたが遺す大切な想いに寄り添う存在でありたい 》

これは本当の気持ち。


おわり。

上手くまとまらず、
読みにくい文章をここまで読んで頂き、
誠にありがとうございました。












余談


叔父の亡くなった約2年後
毎日仕事をして、そのあと市民プールに通い
あんなに元気だった叔母が亡くなった。

息子にあたる従兄弟は
「お母さん、あの写真もらって
本当にずっと喜んでて嬉しそうに見てたよ。
今度は僕が大事にするね。ありがとう。」

両親が立て続けに旅立ち、つらい状況にも関わらず
そう笑って話してくれた。

残そう、遺そう、人の為に。

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