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【#見た目問題】私の顔にはアザがあります

私の顔の左半分には太田母斑という生まれつきのアザがある。

青っぽい褐色の色素斑が目の周りをぐるりと囲み、頰のあたりから額の方まで広がっている。アザの濃さはカバーメイクを頑張ればなんとか隠れるくらい。ちょっとベースメイクの手を抜くとバレる。すっぴんなら確実に「おや?何かある」と思われる。

このアザは母斑の中ではまあそれほど珍しくもない種類だけど、出現の度合いは人それぞれだ。パッと見て分かる濃さのアザが小さい頃から広い範囲にあった人もいれば、眼球の中に色素が出る人、思春期をすぎて少しずつ濃くなってきて「クマが酷い」という人が実はこの太田母斑だったけれど気付かなかっただけ、なんてこともあるらしい。

私の場合は幼少期からアザはあったがごく薄いもので、成長とともに(特に思春期の頃)アザが濃くなり範囲も広くなるという典型的な太田母斑のパターンだった。両親は特に気にしていなかったらしい。

ちなみに、アザ自体は痛くも痒くもなく悪性に転じることもない。本当に「面の皮一枚」の問題だ。

見た目問題当事者としてはライトな事例なのだと思うけれど、この見た目重視な社会において人と違う見た目を持っていることはそれだけで重荷になる。胸中は複雑だ。

見た目についてかけられる言葉

女性の顔にアザがあるというとさぞかし苦労してきたのだろうと思われるかもしれないが、このアザでからかわれたり悪口を言われたりという経験は大変ラッキーなことに特にない。この見た目が原因で人間関係に悩むこともなかった。代わりにかけられる言葉は、

「大丈夫?ぶつけたの?」
「顔色悪くない?」

といった心配からくるものがほとんどだ。悪口を言われたわけでなくても、自分の隠したいコンプレックスであることは変わりないので異変を指摘されると心の中で密かに傷つくこともある。もちろん相手に悪気はないので、大抵その傷は自分自身の気持ちの問題だ。

元気なときは「そうそう、これね、生まれつきなの」と笑って言える。ただし、1万回くらいこのやり取りをしているので正直面倒ではある。

いちいち説明するほどでもないなあってときは「うーん、そう?」で誤魔化す。あとたまーに本当にアザのことを忘れていて本気でそう言っている。

今日は何をするのも面倒だなあってときは「まあいろいろね~」で終わらせる。普通の大人はこれ以上詮索してこないから。若干意味深にも聞こえるけどまず問題ない。

傷つくといっても、この顔との付き合いも30年近くになるので慣れっこだ。正直もうたいして痛くない。ただ、まどろっこしいなあと思うだけ。「他人の見た目のことなんて放っておいてよ」と思うくらいは、許して。

「言葉」よりも「視線」によって見た目を意識させられる

私は直接的な「言葉」よりも「視線」が怖い。

ある週末の昼過ぎに電車に乗っていると、向かいに座った女性がちらりと私の顔を見た。そのあとも何かを確かめるように何度かちらり、ちらり。「ああ、アザが気になるんだな」と思う。きっとその女性は深い意味もなく視線を投げかけているだろう。無遠慮なその視線に私は石をぶつけられたような気持ちになる。

私はやはり「ふつう」の見た目じゃないんだ。

言葉を交わしたこともない、名前も知らない誰かの視線ひとつで改めてそう気付かされてしまう。たぶん、人間は他人の顔が気になるもので、他とは違うところがあれば異常と察知して観察してしまうだろう。だから見た目が気になるのは仕方ない。どうせ気になってこそこそと何度も視線を投げるくらいなら、ストレートに聞いてくれたほうがずっといい。

「それもあなたの個性だ」なんて余計なお世話

たまに、見た目問題に悩む人に対して「それもあなたの個性だから誇っていい」というような共感を示してくれる人がいる。だけどあえて言わせて。

余計なお世話だ。放っておいてよ。

あなたはこれが私の個性だと評価したのだろうけど、私はそれを疎ましく思っているかも。それか、「This is me.」は自分で言うからいいのであって、別にあなたに個性だなんて決められなくたってとっくの昔に受け入れているから勝手に評価しないでと思っているかも。

胸が小さいことを気にする彼女に対して「それもあなたの個性だから気にしなくていいよ」って言う?わざわざ言わないでしょ。デリカシーのかけらもないって振られるよ。

「小さくても綺麗で素敵だよ」でいいでしょ。

……なんか例えが違う気もするけど、こちらの記事がわかりやすいなあと思ったのでぜひ読んでみてほしい。

私はレーザー治療することにした

自分の見た目への向き合い方は人それぞれだ。治療せずにありのままで過ごしたいという人、できれば隠したい人、絶対に人には見せたくない人。どれが正解なんてものはない。

私はアザのある自分の顔を受け入れてはいるけれど、もっと自由にメイクを楽しみたいという気持ちからレーザー治療を決意した。とはいえ、1回や2回では終わらない。保険診療で1回¥15,000くらいを3ヶ月間隔で5〜10回が目安。そして何より痛い。ダウンタイムも1週間ほどと長くて、その間はメイクも碌にできなくて辛いから人とご飯に行く予定は入れない。私はすでに5回施術してだんだんとアザは薄くなってきたけれど、まだ消えるには時間がかかりそう。

ちなみに私が通う皮膚科の先生は「まあ根気よくやるしかないけど消えるから〜」という軽い感じですごくいい。

治療してよくなるのになぜやらないのか理解できないって言う人はきっとレーザー一発当てたら治るとでも思っているんだろうから無視しよう。

ちなみに私が生まれた頃はまだレーザー治療には保険が効かなかったらしい。今は記憶のないくらい小さいときに治療を終えてしまう人もいるというので、正直ちょっと羨ましいと思う。

受け入れるのも立ち向かうのも本人次第

前述のリンク先の記事のようにありのままの見た目で発信する人たちは強くて素敵だなと思う。でも、それは決して当事者に強要されるべきものではない。本人が隠したいと思っているものを「人間はありのままでいるべき」と暴こうとするのはもってのほかだ。

見た目なんて気にせず自由に生きよう!というメッセージが広く浸透したらいいなと思っている。しかし、今のSNSなどを見ているとむしろ「ありのままでいなくちゃいけない」「自分の見た目を変えることは逃げだ」と感じてしまうこともなくはない。私も正直なところ、治療するかは悩んだ。自分の結婚式のときはカバーメイクでどうにかなったし、普段の生活でそこまでアザを気にしているわけではない。アザを消す=今の自分を否定するような気がしたのも確かである。

でも、よくよく考えてみる。見た目など「面の皮一枚」の問題だ。このアザがあろうとなかろうと、今まで私が感じてきたことは失われるものではない。もちろん自分の見た目が大事なアイデンティティの一つであることには違いないが、1人の人間として面の皮以外も変化するものはたくさんあるはず。

他者に寛容であれ

SNS全盛期の今、スマホの中のタイムラインが世界の半分だと錯覚してしまうがそれは社会の縮図ではない。あなたの属するコミュニティが世界の全てではない。あなたと違う誰かのことを丸ごと理解して受容してとは言わない。ただ、そうなんだ、と許容する世の中であってほしい。そして見た目に悩む人には好奇の目を向けるのではなく対話をしよう。見た目の悩みを抱える当事者も「私なんて」と言わずに対話をしよう。私もそんな社会の一構成員でありたい。

誰かに「ひとりじゃないよ」と言えたら、それで十分なのだ。

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竹野まいか
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