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【エッセイ】子どもの頃はゲームが好きだった

 もうぼくはダメなのかもしれない。でも、まだ大丈夫なのかもしれない。それはわからない。
 最近は、店長がつくった一日にやることのリスト、作業表を見ると憂うつになる。作業表はやることが書いてあって、それをやったらそこに確認のために名前を書く。ぼくともうひとり障害者雇用の同僚の二人でその表を埋めていく。ぼくはやる気がない。どの仕事も雑用ばかりだし、ほんとうはそんなに毎日やる必要もない作業だとおもう。この作業表にはやりがいというものがない。それに比べて同僚は常にやる気のあるひとだ。やる気があって冗談が通じなくて、真面目で性格もいい。だから、必然的に作業表は同僚の名前で埋めつくされていく。それを見ていると自分はもうダメなんだ、とますます憂うつになってしまう。店長は気がついていないとおもうけれど、ぼくはすっかりやる気がなくなってしまった。もともとそんなにたくさん仕事はない。ぼくがいなくてもぜんぜん大丈夫だとおもう。同僚がいればじゅうぶんだ。ぼくの出る幕でもない。
 ただ、唯一、ちょっと好きな仕事は、商品の飲み物を冷やしている冷ケースのしたの蓋を開けて、溜まった水を捨てる作業だ。平たいトレーに溜まった水をこぼさないように、バランスをとりながら持ち上げて、トレーの隅から上手くバケツに流し込む必要がある。失敗すると水が床にこぼれたり、手が濡れたりする。だから雑巾を持っていて、拭く準備もしている。ぼくはその平たいトレーに溜まった水をこぼさずにバケツに移し替えるときの、微妙な緊張感が好きだ。でも、そんな作業は一瞬で終わる。バケツに移し替えた排水は、ベランダまで捨てに行く。頭のなかに「覆水盆に返らず」ということわざが浮かび、実際に小さな声で言ってみる。「覆水盆に返らず、とはこのことだな」、と。最近のたのしみと言えば、それだけだった。

 そんなような日々を送っているとうつ病になってしまうかもしれない。だから、ぼくは、自分で自分のたのしみを見つける必要があった。お昼の一時間休憩は、ささやかなたのしみだ。それは労働者にとっては誰にとってもそうだろう。セブンイレブンでおにぎりを二個とアイスコーヒーのレギュラーサイズを買う。四百円くらいだ。おにぎりの一個はツナマヨで、もう一個は日によって変わる。それらを持って、小さな休憩スペースのカーテンの向こうにひきこもる。誰にも見られていないこの時間を利用して、ぼくは短歌をつくっている。短歌用のメモ帳とにらめっこしながら、書いたり消したりしながら、一首、仕上げる。うまくきまったとおもうとうれしい。でも、最近はあまり調子がよくなくて、うまくきまらないことの方が多い。外を歩いていて、急に思考が短歌モードになってできた、みたいな歌の方が、うまくきまっていることが多い。そういうときはラインのメモ機能にメモしておいて、後で、メモ帳に書き写す。それが、ぼくのささやかなたのしみだった。
 短歌制作も調子のいいときはたのしみだけれど、最近は全体的に創作意欲が落ちている。夏バテなのかもしれない。
 元気を取り戻そうとおもって、昼ごはんにコンビニではなく、吉野家や松屋のようなチェーンの牛丼屋に行くこともある。この前は、吉野屋で牛丼並と豚汁を食べた。七百十五円だった。いつもより三百円くらい自分にサービスしたことになる。そのときの画像をエックスにあげたら、フォロワーに「まいたけさんは給料が入って、懐具合が豊かというわけですかな」みたいなリプライが付き、内心「ほっとけ、バーロー」とおもったが、気が弱いのでそういう返信はできなかった。
 そういう風に、たまに牛丼を食べただけで、ぼくの食生活を監視しているフォロワーから嫌味なリプライが届くのだ。最近はほんとうに日々が灰色だともう。

 でも、希望がないわけではない。
 希望は二つあって、一つはカネコアヤノのライブで、この前、オフィシャル二次選考に応募した。二次選考ということは一次選考もあったのだろうけれども、ぼんやりしていて気がつかなかった。ぼくは、二年前にサニーデイ・サービスのライブに行って以来、ライブに行っていない。貧乏人なので、そんなに頻繁にライブに行くことはできない。それでも、カネコアヤノのライブにはいつか行ってみたいとおもっていた。二十八日に抽選の結果が出る。
 もう一つの希望は、ニンテンドースイッチを買うことだ。ニンテンドースイッチを買って、子どもの頃、好きだったゲームの最新作をやる。具体的にはポケットモンスターや、ゼルダの伝説などだ。ぼくは子どもの頃はゲーム好きの少年だった。ポケモンのイラストを描くことが好きだった。オリジナルキャラを考えて、それを紙粘土でつくったこともある。
 ニンテンドースイッチの本体は三万二千円して、ソフトも六千円くらいはする。だから出費としてはかなり大きい。旅行一回分くらいにはなるだろう。実際に旅に出るか、電子の世界を旅するかで悩む。でも、いまはゲームがしたい気分だ。ニンテンドースイッチのことを考えると、心がちょっとたのしくなる。

 ところで、きょうは休日だった。休日はうれしい。それなのに、なんとなく気分が晴れない。以前だったら、もっと休日にたいして意識が高かった。でも、最近は意識の低い休日を送ってしまっている。やりたいことはとくにないし、やる気もない、みたいなかんじで休日に入ってしまう。休日が来たから休日に入る、みたいなかんじなのだ。
 きょうは久しぶりにお母さんに電話した。お母さんはいつも生活のことしか話さないひとだ。ぼくのような若干マザコンの息子がいなければ、誰もお母さんの話なんて聞いてくれないだろう。そうおもったので、親孝行の意味も込めて、きょうは気持ち丁寧に話を聞いてあげた。事前に考えておいた話題のなかで、絶対にウケるとおもった「米がないよね」という話をすると、想像通り食いついてきた。
 最近はほんとうにスーパーに米がない。ぼくは食べ物のなかでは米がかなり好きな方だ。噂によると九月の中旬くらいまでこの状況は続くらしい。

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