手探りの作曲〔作曲とめぞんぬしのつながり〕ーきっと、やさしくつながれる 深掘りその②ー
私が作曲を始めたのは小学4年生の頃。
ある日、ふとメロディーが浮かんだので、大好きなリコーダーでアンサンブル曲を作ってみる事にしました。
「レッスンの強制は嫌!〔ピアノとめぞんぬしのつながり〕」でも触れたのですが、作曲をしていた事は親とピアノの先生には一切言いませんでした(作曲をするならピアノも頑張ろう、という流れになるのが嫌だったため)。
でも、音楽の好きな仲の良い友達には話していました☺️そうしたら「曲が出来たら一緒に吹こう!」と言ってくれました😃
作曲は家にある古い電子オルガンを用いて、一生懸命音の確認をしながら作りました。楽譜も書き方がわからなかったため自己流でメモに残していました。
必ずヘッドフォンをして、いつも隠れるようにやっていました。
誰にも作曲を教われなかったので分からないことだらけ。一曲目の完成までにはかなりの時間がかかりました。
楽譜の書き方も中学から始めた吹奏楽部でやっと覚えて、当初リコーダーで吹く予定だったこの曲は、最終的にフルート・クラリネット・アルトサックスで友達(約束してくれた子)と吹きました☺️
(過去のinfoブログに当時のことを書いています。興味がありましたらどうぞ!↓)
自分の曲を、仲間と演奏する。この上ない幸せな時間でした🥰
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その後も何曲か一人で作ったのち、私はバンド結成のお誘いを受けます。
中学3年生の頃文通していた、栃木県のクラリネット吹きKちゃんから「クラリネットのバンドを組まない?」と言われたのです!
(ちなみに文通は、吹奏楽雑誌「バンドジャーナル」の文通相手募集のコーナーで相手を募りました😃あのコーナー、今もあるのかな?☺️)
私はすごくワクワクしてすぐに快諾!私は茨城県だし子供が簡単に会える距離ではないのですが、子供ながらに末永く続ける決意でKちゃんと計画を進めていました。手紙だけでなく電話もしていました。
このバンドでは私は作曲兼クラリネットを担当😃
Kちゃんには「クラリネットでポップスとかやってMステに出たり、もっとこの楽器を有名にしたい」という意欲があり、当時から何となく聴きやすい系の曲を作っていた私と方向性がピッタリでした🥰出会うべくして出会った、とはまさにこの事なのでしょう。
頑張って仲間を集めて、編成はクラリネット4人にピアノ、ドラム、オプションでリコーダーやオカリナやコーラス…という面白い形になりました。
この編成で作った「Sky Blue」という曲は今でも思い出深い一曲です✨楽譜はもちろんデモ音源もMIDIで一生懸命作り、メンバーに大変喜ばれました🥰
(中学1年生の頃、親がYAMAHAの「サイレントアンサンブルピアノ」という、MIDI機能と自動演奏機能のあるピアノを買ってくれたので、それで作成しました。親は作曲の事は知らないので、もちろんピアノのレッスンの練習用に購入されたものです)
しかし、1〜2年後くらいにKちゃんから「続けられない…」と謝罪があり、一度も会えないままこのバンドは解散してしまいます。
非常に落ち込みましたがこのバンドでの経験は私にとって一生の宝物です!
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中学の時の「自分の曲を仲間と演奏する」経験と、バンドでの「変則編成の楽曲作り」。
高校3年生になった私は、二つの貴重な経験を胸に進路選びに直面します。
「レッスンの強制は嫌!〔ピアノとめぞんぬしのつながり〕」では「クラリネットを専門的に学びたい」と思ったと書いているのですが、実は、管弦打楽器学科に行くべきか作曲学科に行くべきか悩んでいました😕
私は当時、楽器版のシンガーソングライターみたいな人になりたかった(作曲も演奏もやりたかった)ので、そういうのを丁度良く教えてくれるところってないのかな…って思っていました😌
専門学校(私の通っていた学校)の体験入学の時にそれとなく質問すると「作曲学科は基礎がないと難しい」と言われ、作曲学科はあっさり諦めました😅
しかし、管弦打楽器学科でも初歩の作曲を学んだり、オリジナル曲を自分で演奏したり出来ると聞き、それが進路決定の決め手となりました🥰
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管弦打楽器学科に入学すると、手がけた曲を数曲、自ら演奏する機会に恵まれました✨
ポップス編成でオリジナル曲「遠い異国の港町で」、
そして私の編曲したクラリネット3重奏曲「大きな古時計」とクラリネットクワイヤー曲「クラリネットをこわしちゃった」、
そして作曲したクラリネット9重奏曲「Riverside B.G.M.」。
それぞれを本番のステージで演奏しました!
「ポップス編成」はどんなものだったかと言うと、
色んな学科混合のポップスの授業があって、管弦打楽器学科のクラリネット3人、ポップスの学科のギター、ドラム、電子オルガン学科の子3人と言う編成(昔の事なので編成がうろ覚え😅違ってたらすいません)で授業を受けていました☺️
ポップスの授業はライブ形式の試験があり、学内のスタジオで全員が自分の曲を演奏します。
「遠い異国の港町で」を演奏した時は、正直作曲が難し過ぎて曲の出来には自信がなかったのですが、本番中に他学科の知らない子たちが体を左右に揺らしながらリズムに乗って楽しそうに聴いてくれて、本当に感動したのをよく覚えています!
「Riverside B.G.M.」は課外活動で一般の音楽ホールで発表しました。
こちらも嬉しい事があって、
お客さんに配るアンケート用紙で「良かった曲はなんですか?」という質問にこの曲を書いてくれた方が何名かいたんです!しかも管弦打楽器学科の後輩(一回しか話した事がない子でした)もわざわざ記名して書いてくれていて、すごくテンションが上がりました☺️
あくまで管弦打楽器学科の生徒だったので高度な作曲スキルは身につかなかったのですが、
これらの経験で、卓上の理論よりもっともっと大事なことを学んだ気がしています。
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卒業後は自分を表現する場所作りが難しく、ずっともがいていました。
イージーリスニングバンドを作りかけて作曲とクラリネットを担当した事もありましたが、私もまだ軸が定まっていなかったため、バンドをまとめる事が出来ませんでした😱
しかし!
皆さまご存知のように、ここ10年くらいでインターネットやスマホ、DTMの世界などが大きく様変わりして、個性あふれる多様なミュージシャンたちにスポットが当たる時代になりました✨
価値観の多様化も進み、嬉しい事に今は私の音楽も応援してくださる方がいます(*^_^*)
ネットやDTMの恩恵を受けて、透明廻廊メゾンで伸び伸びと表現活動をしています!これからも、自由な表現を続けていきたいです。
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現在では、スマホを開けば個性的で才能あふれるミュージシャンが溢れています。
そんな中で、
「初めて作ったオリジナル曲を公開したいけど、怖くて踏み出せない…」
「まだあんまり上手じゃないから叩かれる…」
という悩みを抱えていらっしゃる方も多いのではないかと思います😭
でも、作曲や表現活動は誰にとっても自由で開かれたものであって欲しいです✨
そして、「自分なりにやってみる」事も恐れないで欲しいです。
私もかなり手探りで作曲を習得してきましたし、見る人によっては遊びだ、とかふざけてる、とか思われるかもしれません。
現在は多様な音楽が受け入れられやすい時代ですが、新しい音楽を切り拓く時に教科書はありません!新しい事をやろうとしたら、自分なりにやるしかないと思います。
…そんな事を背中で伝え、皆さんの励みになる存在になりたいです!