「大阪になくてはならないチームになる」レッドハリケーンズ大阪才口將太、広報としての新たな挑戦
大阪市に拠点を置くプロスポーツ8チームで働くクラブスタッフへのインタビュー特集企画「大阪を支える人々」。クラブに関わることとなった経緯やチームへの思い、大阪にまつわるお話などを伺います。
今回登場するのは、レッドハリケーンズ大阪マーケティングリーダー兼広報の才口將太(さいぐち・しょうた)さん。現役時代は選手として活躍し、現在は広報担当としてチームをサポートしています。長年レッドハリケーンズと共に歩んできた才口さんに、ラグビーを始めたきっかけや選手からスタッフになった経緯、そして現在の取り組みについて伺いました。
警察一家に生まれるも気がつけばラグビー選手に
ーラグビーを始めたきっかけを教えて下さい。
幼稚園の年少のときに、2歳上の兄の影響でラグビーを始めました。兄が友達と一緒にラグビーをやるとのことで、見るだけのつもりでついて行ったはずが、気づくとコーチの勧めでチームに入っていました。
ーそこから小中高大とラグビーを続けることができた理由は?
常にラグビーが生活の中心にあったので、自然と続けていたという感じです。競技を続ける中で苦しいと感じることもありましたが、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。
ー大学卒業後、レッドハリケーンズに入団されるに至った経緯を教えて下さい。
そもそも大学を卒業したらラグビーは辞めるつもりでした。第一線で続けるのは難しいかなと。それに当時は警察官を目指していたんです。家族全員が警察官だったので、当然自分もなるものだと思っていました。
でもそんなタイミングでレッドハリケーンズの方から声を掛けていただいたんです。トップリーグ参入を目指すことが決まったので、一緒に目指さないかと。話をするうちに、自分もチームの一員になってプレーをしたいと思うようになりましたし、人生でラグビーができる時間も限られているので、やっぱりチャレンジしたいと考えが変わったんです。
ー2019-20シーズンをもって11年間に及ぶ現役生活に幕を下ろされましたが、具体的にはいつ頃から引退を考えられていたのでしょうか?
30歳を過ぎた頃に、子供が幼稚園を卒園するまではプレーを続けようと思ったんです。できれば自分がラグビーをする姿を覚えていてもらいたいなと。それが大体2020年頃でした。そしてちょうどその頃から、怪我が増えてきたんです。もともと体は丈夫な方でしたが、筋肉系の怪我が増えてプレーできない期間も長くなり、体の限界を感じるように…。そういった様々な事情も重なり、2019-20シーズン終了後に選手を引退しました。
引退後はラグビーから離れていたけど…
ー引退後、スタッフになられた経緯を教えて下さい。
引退後はラグビーから離れていましたし、チームに戻ることは全く考えていませんでした。ただそんな中、2022年にチーム再編がありスタッフの入れ替えが発生。「スタッフとして戻ってこないか?」と声を掛けていただいたんです。自分を育ててくれた場所ですし、チームが好きという気持ちも変わっていなかったので、もし貢献できるのであればという思いで戻ってきました。
ー選手とスタッフでは、立場も含めチームへの関わり方が全く違うと思います。改めて支える側としてチームに戻られてみていかがでしたか?
引退してからチームに関わった人は、みんな口を揃えて「スタッフがこんなに沢山のことをしているなんて知らなかった」って言うんですよ。でも僕も全く同じ感想でした。
もちろん選手はラグビーに集中するのが一番大事なので、そこだけに目を向けるべきだと思うんです。でもそれにしてもスタッフがこんなに沢山の仕事をしているとは思ってなくて、こればかりは戻ってきてからとても驚きました。あとはチームを離れてから2年経っても雰囲気は全然変わっていなくて、昔の感覚にすぐ戻れたのは嬉しかったです。
ースタッフとしてチームに戻られて、特に驚いたことがあれば教えて下さい。
遠征時の仕事ですかね。ビジターの試合に行く時は、前日までに現地に荷物を送っておくのですが、それを受け取るためにスタッフが試合前日に現地入りしているとは思っていませんでした。もちろん選手も前泊しますけど、移動してホテルで休むだけなので。その間にグラウンドのロッカールームの設営をしているスタッフがいるとは思っていませんでした。
試合が終わった後も、選手はシャワーを浴びてバスに乗って帰るだけですが、それが済んでから荷物のパッキングをしてトラックに乗せるスタッフがいるのだなと。当然と言えば当然なのですが、実際にそういった裏側の仕事を見て驚きました。
競技の垣根を超えた繋がりを活かしていきたい
ー現在の業務内容を教えて下さい。
試合がある時は、その試合に関する様々な広報業務や取材対応をしています。それ以外の時は、チームが行っている活動をみなさんに知ってもらうべくメディアに取材依頼をかけたり、実際に取材していただくことが決まればその対応をしたり。他にもホームページでの情報発信にも力を入れています。
ー広報として情報発信をする中で、課題に感じていることはありますか?
課題はラグビーの認知度です。まずは知ってもらうこと、そして試合会場に足を運んでもらうこと。この2つをクリアしていきたいですし、OSAKA SPORTS GROOVEを良い意味で活用させてもらいたいと考えています。
特にセレッソ大阪さんとは試合会場も一緒なので、サッカーファンの方にもラグビーを見に来てもらえるようにしたいです。競技の垣根を越えて、スポーツファン全体が増えればと思いますし、それによって少しでもラグビーに興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいなと。そういった思いで日々の広報活動に励んでいます。
ー昨年の応援デーにはセレッソ大阪サポーターも沢山いらっしゃいました。
やはりセレッソ大阪のサポーターの方にとっては、スタジアムに行くハードルがそれほど高くないんだなと感じました。ですから次の課題は、来てくださった方にラグビーの面白さを伝えることです。引き続きラグビーの魅力をしっかり発信していきたいと思います。
住之江区・高崎神社の『布団太鼓』とラグビーの共通点
ーチームの方針として地元密着を掲げられていますが、いつ頃から地域貢献活動に注力し始めたのでしょうか?
本腰を入れて取り組み始めたのは2年程前からです。チーム再編を機に、大阪になくてはならない存在になることを目指して本格的に動き出しました。もともと、大阪市と住之江区、東住吉区とは連携協定を結んでいたのですが、それを24区全てに広げようという方針になり、そこから選手もスタッフも意識が変わったと思います。
ー具体的にどのような活動をされているか教えて下さい。
ラグビーを通じて、それぞれの区が抱える課題の解決に取り組んでいます。例えば、学校訪問をしたりスマホ安全教室を開催したり。高齢者向けの体操教室で講師を務めることも。それ以外にも、地域の方々と一緒に商店街を回って、違法看板設置防止等を呼び掛けたりしています。
ー選手が地域活動に取り組むようになってから、何か変化はありましたか?
最初は受け身だった選手たちも、区民アンバサダーとして担当を持ち、区の方々と直接やり取りをするうちに、積極的な姿勢が見えるようになりました。現在は、毎月の報告会で共有される各区の実施内容を前向きにチェック。他の区の良い事例を取り入れようと自発的に動き、まるで自分ごとのようにその区の課題解決に取り組んでいます。
また、定期的に学校訪問をすることで、選手は個人として認知されるように。試合会場でも名前やニックネームでの応援が増え、それが選手のモチベーションにつながっているようです。さっそく競技面にもプラスの効果が現れています。
ーこれまでの地域活動の中で特に印象に残っている企画を教えて下さい。
住之江区にある高崎神社で担いだ『布団太鼓』ですね。最初は選手たちも気持ちよく神輿を上げられると思っていたみたいですが、実際に2時間ぐらい参加したらもうヘロヘロ。立ち上がるのも限界というレベルで疲れたと。中には「明日はオフにして下さい」とお願いしていた選手もいました(笑)。僕も実際に担がせてもらったんですけど、首にあざができてしまうぐらいの重さで驚きました。
当日はみんなで励まし合いながら神輿を担いだので、終わる頃には選手と地元のおじちゃん達の間に一体感のようなものが生まれていました。それを見て、なんかラグビーと似てるなと。その時に、こういった活動を通じて地元の方々に仲間として認められることが、みなさんがラグビーに触れるきっかけになるのかなと思いました。
ー最後に、来シーズンに向けての意気込みをお願いします!
競技面では、ディビジョン1との入替戦に出場できるよう上位進出を目指します。あとはやっぱり「レッドハリケーンズが大阪にあって良かった」と、地元の方々に思ってもらえたら嬉しいです。今僕たちは、大阪になくてはならないチームになるという目標を掲げて活動していますが、それが自分たちの一方的な思いじゃダメだなと。地元の方々に心から「あってよかった」と思ってもらえるチームを目指して今後も頑張りたいです。