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妄想を制する女はモテも制する

思春期の10代、全くモテなかった私は「モテること」について執着していた。

そのためにした事は、あちらこちらで記事にしているけど、“可愛くてモテる女子になった私”を妄想することだった。(何度書いても恥ずかしい)

“人気者になった私”、“男子から可愛いと言われる私”、“彼氏ができた私”当時の記憶を思い返しても、「モテること」に意識の大半を注いでいた10代。

妄想力は見事発揮され、20 代の若さという武器を持ち、外見をピカピカに磨いて外へ出れば、男性たちがチヤホヤしてくれるようになった。

そしてどんどん図に乗り、ワガママでエキセントリックな女子と化した私は、20代後半になって、男性からこっぴどくフられ続けるという、大きなしっぺ返しを受けた。

でも、そんな鼻をへし折られるような痛い経験をして大人になれて、今は良かったと思っている。

そうでなければ、内面を磨く機会のないまま「いつまでもこのままで自分がモテると思っている勘違いおばさん」になっていただろうから。

そう、「おいしそうな女」とは、勘違いおばさんとは一線を画する、大人になっても男性からなぜかモテる女性なのである。

モテることを意識しているから、というより、年齢を重ねても、そこに凛として存在しているだけで、丁寧に扱ってもらえるのが彼女たちのすごいところ。

そもそも、モテるって結局「丁寧に扱ってもらえること」なんじゃないかと思う。

そして「丁寧に扱ってもらえる女性」というのは、外見を磨いているだけではもちろんない。

モテとは、究極に言えば「自分を丁寧に扱っている女性」なのだ。

絶世の美女だからモテるとかではない。

モテない女性は、どこかで自分のことを、「私が評価されるなんて恥ずかしい」と遠慮をして、「私なんてこの程度でいい」と思っていたりするだけ。

不思議なことに、それは相手や周りにも伝わるもので、

「了解、ではあなたのことは丁寧に扱わないで良いのね」

となってしまうのである。

けれども自分で自分のことを

「私は、こんなんじゃない。もっと丁寧に扱ってもらって幸せになって良いはず」と思うだけで、内面が変わり、そしてそれが周りにも伝わり、

「なぜか丁寧扱いたくなる女性」

に変わるのである。

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それこそ最初は妄想でいい。

自分の価値を自分で決める作業のだから、普段は着ないような上品で色気のある服を着て、出かけた先で「幾つになってもなんかイイ女」と囁かれ、人がつい丁寧に扱いたくなる人になっている自分をイメージしよう。

モテの度合いは、ファッションやヘアメイク、ボディ、話し方やしぐさなどの外見や、気配りやコミュニケーション力でも操作できるけど、土台は自分で自分を肯定し好きになり、日々気にとめて丁寧に扱っているかで決まると言って良い。

そのきっかけに、妄想力を使おう。

「自分を丁寧に扱う」ということは、自己肯定感や低すぎても、自信満々で謙虚さに欠けていても成り立たないけど、自己肯定感が低い時期は、妄想に頼ることは大切。

心底自分を丁寧に扱える女性になれば、大人になってもモテる「おいしそうな女」になれるはず。

柴崎マイ


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