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大人のオンナが花柄を着るのに最良の日
子どもの頃から花柄が好きだった。
とくに好きだったのは、大きな花柄のプリントワンピースだ。でも、いつしか大人になり、40代となった今は「痛く思われそう」という理由で、日常に花柄を着ることは少なくなってきた。
着るのはリゾート地に行ったときくらい。そのリゾート旅行さえもいけないご時世だけど。
こんな風に、大人のオンナ世代は、見た目や振るまいなど「痛く見えないか」が気になる年代でもある。
誰が言い始めたのか、ずいぶん辛辣な言葉である「痛い」とは、どういう姿を指すのだろう。
年甲斐もなく若作りしている姿に対してだろうか?自分が可愛かった時代に固執する姿だろうか?大人なのに、強すぎる自己顕示欲が見えたときの姿だろうか?
まぁその全てだろう・・・。
実は、46歳の私が密かに「痛いと思われているのでは?」と考えていることのひとつに、同世代の良い大人のオンナが「今日は女子会」とSNSに投稿する姿。
年下の男女からしてみれば「女子会とか言ってる」という感情が多少なりともよぎるのではないだろうか。
そんな風に思う反面、「そもそも女子会とは、その呼び名に相応しく、多少痛くしたって良い場」という気持ちもある。
多くの女性はいくつになっても、可愛いものや美しいもの、キラキラしたものが好きだ。その中でも、花柄は、可愛くて美しくてキラキラしている存在の代表格だと思ってきた。
けれども40歳をすぎた頃から、花柄は化粧ポーチや手帳などの雑貨で持つことにしていた自分がいた。雑貨は、洋服より「私はこういう人です」という主張が弱まるパーツだからだ。
大人の可愛いは、10%がちょうど良い。
それに、可愛いは、化粧ポーチや手帳に込めれば、内面の可愛い気の表現につながるから十分だと思ってきた。
でも、フと思った。
化粧ポーチの花柄が、主役のワンピースにほどこされていても良い日がある、それが女子会という日なのでは。
なぜなら女子会での主役は、その席に出席した全員だからだ。
オンナはいくつになっても、オンナ同士でしか分かち合えない世界観や価値観というものがある。
煌めいた店内でのアフタヌーンティーのときめきや、オトコには理解不能な、解決策のないまま永遠に続いていくおしゃべり。
「大人だけど可愛いものが好き」
という矛盾を抱えているのも、大人のオンナである。
そんな暗黙の了解がいくつもあるオンナ同士で集まる日くらい、可愛いを思い出しても良いのではないか。
可愛いを解放して良い唯一の日。
それが、女子会という言葉に現れる本質かもしれない。
そんな日は、遠慮なく自分に花柄をほどこそう。可愛いを楽しもう。
柴崎マイ