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ル・ナン兄弟による室内画──構図と視線の分析

はじめに

ル・ナン兄弟(Le Nain brothers)は、アントワーヌ・ル・ナン(Antoine Le Nain, 1599- 1648)、ルイ・ル・ナン(Louis Le Nain, 1593-1648)、マチュー・ル・ナン(Mathieu Le Nain, 1607-1677)の3兄弟のことである。17世紀フランスの画家であり、彼らの作風の類似性と、彼らが名字だけで作品に署名をしていたことから、一般的に総称してル・ナン兄弟と呼ばれ、特に農民の生活を描いた作品で知られている。

彼らの農民画は、その写実的な描写と静かな尊厳をもって農民の日常を表現しており、美術史において特異な位置を占めており、ある種、肖像画的役割を担っていると考えられる。本論では、彼らの作品のうち、この農民画を含む室内画を取り上げる。ル・ナン兄弟の複数の人物が描かれた肖像画に描かれた室内における人物の配置、視線の方向についての構図分析を通じて、彼らの作品がどのような肖像画の要素を持つかを探り、さらに他の似た絵画との比較も行う。


第1章 ル・ナン兄弟の農民画・肖像画

ル・ナン兄弟の農民画、特に室内画は、静寂と荘厳さを感じさせる光がバロック的な抑制された色彩によって描かれ、横長のカンヴァスに人物を配置し、フリーズ状の画面を構成したものとなっている。ル・ナン兄弟の名を知らしめる代表作である農民画、《農民の家族》【図1】を見てみよう。


【図1】ル・ナン兄弟《農民の家族》または《室内の農民の家族》カンヴァスに油彩、113×159 cm、1642年頃、パリ、ルーヴル美術館所蔵。

手前には6人の三世代からなる人物が描かれており、それぞれが異なる視点と動作を持っている。そして、画面左の奥には少年と少女が描かれている。また、パンやテーブルの上の塩、ワインが描かれていることがわかる[1]。構図としては、ル・ナン兄弟の他の作品同様のフリーズ状の構図で、子どもの背丈に合わせて大人は椅子に着席し、床が描かれ、手前の人物の奥に薄暗く人物が描かれている。

《農民の食事》【図2】は《農民の家族》と並んでル・ナン兄弟の代表作である。こちらも、ル・ナン兄弟の作品らしい構図によってあらわされている。《村の笛吹き男》【図3】は、先に上げた作品よりもさらに上下の余裕をなくし、子供の背丈に合わせた構図となっている。《村の笛吹き男》は作品のサイズが、他の作品と比べて小さいことも押さえておきたい。

【図2】ル・ナン兄弟《農民の食事》カンヴァスに油彩、54.1×62.1 cm、1642年頃、パリ、ルーヴル美術館所蔵。


【図3】ル・ナン兄弟《村の笛吹き男》カンヴァスに油彩、22.5×30.5 cm、1642年頃、ミシガン州、デトロイト美術館所蔵。

ル・ナン兄弟の作品には構図以外にもう一つ特徴的な描写がある。この2️作品からも分かる通り、大抵の場合、こちらをまっすぐ見つめてくる人物がいるという特徴である。《食卓につく四人の人物》【図4】では、4人の人物のうち3人がこちらに顔を向け、視線を送っている。手前の人物の奥にいる子どもが目を見開いてこちらを見つめているという点で、《農民の食事》や《村の笛吹き男》は類似しているといえる。

【図4】ル・ナン兄弟《食卓につく四人の人物》カンヴァスに油彩、46×55 cm、1643年頃、ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵。


他に、ル・ナン兄弟のうちマチューが描いたとされている《画家のアトリエ》【図5】では、手前と奥に人物がいるというル・ナン兄弟的構図の画面の中央下で犬がこちらを見つめている。

【図5】マチュー・ル・ナン《画家のアトリエ》カンヴァスに油彩、サイズ不明、1655年頃、ニューヨーク、フランシズ・リーマン・ローブ・アート・センター所蔵。

子どもや犬が見つめている先には何があるのあるのだろうか。この作品が描かれている時点では、視線の先には画家がいたはずである。絵画でありながら、興味津々にこちらを見つめてくる子どもや犬には、構えられたカメラのレンズをじっと見つめる者と似た趣きがあり、彼らの視線の先に画家の存在を感じることができる。


ル・ナン兄弟が団体の集いを描いた作品でも、やはり各々が異なる向きを向きながら、その中でも正面を向いている人物がいる【図6】【図7】。

【図6】ル・ナン兄弟《アカデミーの集い》または《アマチュア画家の集い》カンヴァスに油彩、116×146 cm、1640年頃、パリ、ルーヴル美術館所蔵。


【図7】アントワーヌ・ル・ナン《音楽の会》カンヴァスに油彩、32×40 cm、1642年、パリ、ルーヴル美術館所蔵。


《音楽の会》には画面左下にまっすぐ正面を向いてはいないが、こちらを見つめる幼い少女がいることが確認できる。この画面に描かれた人物や動物が生き生きとした存在感を持つ視線の特徴は、ル・ナン兄弟のあらゆる団体の集いを描いた作品にも見られ、彼らの作品全体にある程度一貫したテーマと表現手法であるといえるだろう。

第2章 同時代の画家との比較

では、同時代の作家の作品はどうだったのだろうか。まず、フリーズ状の構図としての類似で、プッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665)の《聖カタリナの神秘の結婚》【図8】がある。

【図8】ニコラ・プッサン《聖カタリナの神秘の結婚》カンヴァスに油彩、126×168 cm、1630年頃、エディンバラ、スコットランド美術館所蔵。

ル・ナン兄弟の作品としてあげたものと違い、こちらは宗教画である。8️人の人物が横長の画面に収まっているが、こちらに視線を向ける者はいない。


一方、シモン・ブーエ(Simon Vouet, 1590-1649)の風俗画である《占い師》【図9】は、画面左側の女性がこちらを向いて陰謀めいた視線を向けている。

【図9】シモン・ブーエ《占い師》カンヴァスに油彩、120×170 cm、1620年頃、オタワ、カナダ国立美術館所蔵。

続けて、フランス以外の画家、特に集団肖像画が有名なオランダの17世紀の画家としてベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599-1660)の作品も確認したい。先にあげたフランスの画家たちの作品に比べて、ベラスケスの作品からは、ル・ナン兄弟作品に似た作品をいくつか見出すことができる。

【図10】ディエゴ・ベラスケス《バッカスの勝利》カンヴァスに油彩、165×225cm、1629年、マドリード、プラド美術館所蔵。

《バッカスの勝利》【図10】は、当時フェリペ4世の宮廷画家であった頃、イタリア旅行に行って帰ってきた頃に描いたベラスケス初の神話を主題とした作品である[2]。神話を扱った絵画ながら、ここには神秘的というよりも日常的な時間が流れているように見える。というのも、ル・ナン兄弟的構図に類似しているうえに、画面中央右側にこちらを笑顔で見つめる男性が描かれているのである。

【図11】ディエゴ・ベラスケス《セビーリャの水売り》カンヴァスに油彩、107.7×81.3cm、1623年、ロンドン、アプスリー・ハウス所蔵。

さらに、《セビーリャの水売り》【図11】では、手前の人物の奥にいる人物が顔をこちらに向けて、じっと前方を見つめている様子が描かれている。ル・ナン兄弟の《食卓につく四人の人物》や《音楽の会》にもこのように背景に紛れるように暗がりからこちらを見つめる人物が見られる。


おわりに

今回、本稿を執筆するにあたってル・ナン兄弟と同時代の画家の作品カタログ・レゾネから多く確認したが、ル・ナン兄弟の農民や市民を描いた肖像作品が、同時代の画家たちが描いた肖像作品よりも神話を主題とした作品や風俗画、ボデゴンの作品と類似していたことに気づき、とても興味深く感じた。カラヴァッジョの系譜という点でベラスケスとル・ナン兄弟は共通していると考えられるが、うまく資料を見つけることが叶わなかったのは悔やまれる。

 

参考文献

幸福輝、他「ルーヴル美術館展──17世紀ヨーロッパ絵画」日本テレビ放送網株式会社、2009年。

坂本満、他「世界美術大全集 第17巻──バロック2」小学館、1995年。

高階秀爾「フランス絵画史──ルネッサンスから世紀末まで」講談社学術文庫、1990年。

高階秀爾「カンヴァス世界の大画家15 ベラスケス」中央公論新社、1983年。

吉川逸治「ルーヴル美術館(4)──ルーヴルとパリの美術」小学館、1986年。



[1] ワインをグラスで飲むという習慣は、当時裕福な階級の人々にのみ許された風習であり、貧しい人々は一般的に水を飲んでいたということから、エレーヌ・アデマールは、ル・ナンのこの種の作品が、貧者にパンやワインをもたらした者の越を描いているのだという説を提出している。このように、ル・ナン兄弟の農民画は、単に農民の姿が描写されているだけでなく、宗教的な精神性を加えたものであるとされる。吉川逸治「ルーヴル美術館(4)──ルーヴルとパリの美術」小学館、1986年、53頁

[2] 高階秀爾「カンヴァス世界の大画家15 ベラスケス」中央公論新社、1983年、80-81頁

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