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キミの…本当の顔は…どんな…顔?
おそらく自分の人生にもっとも影響を与えたのは「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」だっただろう。
今となってはCGの作り込みや音楽の壮大さが評価されているが、まだニンテンドー64当時はゲームの面白さはすなわちアイデアであった。
その点、このゲームはずば抜けていた。
語るとキリがないので簡略にし、別記事でも語ろうと思うが、まず前作「時のオカリナ」の素材を流用し、わずか1年5ヶ月という期間でこのゲームを作り上げた。
そして世界観も独特だ。いわゆる「ラスボス」が存在する、世界を崩壊する「月の中」に潜入するのだが……
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ラストダンジョンとは思えない当時の限界を超えた美しい自然描写と逞しい大樹、そして後ろを見回すと不気味な仮面を持った子供たちがいる。
この子供たちに話しかけるとサブダンジョンのようなものに挑戦できる。
それはいいのだが、タイトルの通り。やたらとこの後にクリアすると後味の悪い言葉を子どもたちは残していくのだ。
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さて、この問いに答えられるひとはいるだろうか。ましてや当時のメインターゲットの小・中高生に。
そもそも人によっては何を聞いてるかすらわからない可能性がある。大人でもわからない。
ただ、この月の中の子どもの言葉は非常に面白い。歳を重ねると受け取り方がどんどんと変わってくるのだ。
「キミの本当の顔はどんな顔?」と聞かれたら小学生なら「顔見ろよ、これだよ」と思うかもしれない。
中学生になってくると敬語を使うようになり「猫かぶってるんだよねー普段」などと思うようになるだろう。
では、大人はどうか。
あくまで私の場合であるが、もはや自分という存在がわからず、この少年の問いに断言できる自信はない。
もちろん、転職活動などの場であれば「普段のあなたはどんな方ですか?」と答える。
そこでネガティブな回答をするひとはまずいないだろう。
「活発でリーダーシップがあります」「読書が好きで研究熱心です」「仲間とフットサルをしています」
ありがちなのはこの辺だろうか。
確かに本当にその通りの人も多数いるだろう。しかし、歳を重ねるごとに人間という生き物は変化に適応せざるを得なくなり、相手によって対応を変える必要が出てくる。
万人に対して同じ顔を使っていれば、確実にトラブルになるだろう。
それは大人でなくとも、ある程度自我ができ始める中学生の頃あたりからそうなっていくはずだ。
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セリフを振り返ってみると、お面の下の顔どころか、その顔すら本当の顔かどうかわからなくなる。
自己理解が足りないと言われればそれまでだ。ただ、自己理解をしていると思い込んでいる人間も、実は他者との評価がかけ離れているケースも珍しくない(例えば女性社員が社内の女子トイレで上司の悪口を言っていたり……)
「人間の本当の顔」というのは、どんどん歳を重ねるにつれて見失っていき、人によってはわからなくなり、事実上失うのではないか。
そんなことを考えると、私はふと、怖くなるのです。