妻の姓を選んだわたしたちが言われたこと
結婚が決まった。
そう伝えると、結構な確率でこう訊かれた。
「で、苗字はなにになるの?」
なににもならない、とわたしは答えた。「XXのままだよ」。
XXはわたしが出生時から名乗っている姓だ。そう、わたしたち夫婦はわたしの、妻の姓を選択した。
「え、婿養子?」と何人かにつづけて訊かれた。
婿ということにはなるけど、養子ではない。わたしもわたしの親も、養子は募集していない(そんなにいい家ではない)。
どうして「結婚=夫の姓を妻も名乗ることになる」、と半自動的にみんなが考えるのだろう。だって婚姻届には、「夫の姓」と「妻の姓」に同じようにチェックボックスがついている。どちらにチェックをつけるかは五分五分の可能性のはずなのに。
「苗字はどうするの?」とフラットに訊いてきたのは、実の弟だけだった。
子どものころから、ひとの名前に興味があった。
小学生のころから学年全員のフルネームを漢字で書けたし、同じ読みの名前の子でも表記が違うのがすごくおもしろかった。出産の予定も特にないくせに、近頃は『赤ちゃんの名前事典』を購入して読みふけったりしていた。
特に自分の名前が好きだった。わたしの名前はファミリーネームもファーストネームも変わっていて、両方合わせると世界に二人といないようなものだった。しかも姓からの連想で下の名前が付けられているため、自分の姓名は不可分だという気持ちが強かった。
子どものころ、「結婚して苗字が変わるなんて嫌だなぁ」と言うと、親は決まってこう言っていた。
「あなたが大人になるころには夫婦別姓が制度化されているから、悩まなくて大丈夫」
だけど、そこから20年以上経ったいまも、この国で夫婦別姓は実現していない。
わたしがこだわるのと同じように、夫になる人も自分の苗字にこだわっていたとしてもなんらおかしくない。だから、もし彼も同じような気持ちだったら、現行の制度では法律婚はあきらめるつもりでいた。わたしは結婚に憧れをもっているタイプの人間だったけど、それでも、名前を変えるくらいなら欲しくない肩書きだと思った。
たまたま彼は自分の苗字に対する執着がなく、「人生で名前が変わる機会なんて滅多にないじゃん!」と快くわたしの姓を選択することに同意してくれた。それでも、申し訳なさは抜けない。「本当にいいの?気が変わったらいつでも言ってね」と念を押した。
ただ、申し訳ないのは、彼が「男性なのに妻の姓を選んでくれたから」ではない。
単純に、30年間名乗ってきた名前の半分を彼が変えてくれるから、申し訳ないしありがたいのだ。彼が男性だろうがなんだろうが関係ない。これは性別に関係なく平等な権利であって、夫婦別姓が採択されるまではただどちらか一方が譲るというだけのことなのだから。逆にもしわたしが彼の姓を名乗ることに同意していたら、全力で感謝してもらわないと困る。
「苗字はなにになるの?」と訊かれたとき、それを訊いてきた知人に腹が立つことは一切なかった。ただただ、そういう価値観が当然とされているこの世の中に、呆然とした。わたしと同世代、ひとによってはわたしよりも若い人が、そういう質問をなんの疑問もなく投げかけてきた。これが当たり前とされているようじゃ、選択的夫婦別姓なんて永久に実現しないよ、と思った。
わたしはここで、政治的なことを論じたいわけじゃない。ただ、「フェアに保障されている権利」があるのに、どちらかが一方的に譲歩することが普通とされるなんてありえないし、譲る側も譲られる側も、それが当たり前だなんて思わないでほしい。譲る側は、「自分は譲ってやったのだ」という誇りをもって譲ってほしい。譲られる側は、「自分は当然の権利としてではなく、寛大な相手が譲ってくれた結果の権利として、苗字を変えなくて済んだのだ」と理解してほしい。わたしはフェアな権利を譲歩してくれたパートナーに対して、一生感謝を忘れないし、旧姓の彼のフルネームを、ずっとしっかり胸に刻んでおこうと思う。
ご覧いただきありがとうございましたᝰ✍︎꙳⋆
▼自己紹介
▼よく読んでいただいている記事