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アラサーになったら、友だちの賞味期限が切れはじめた

こまっしゃくれた小学生だったわたしは、クラスの女の子たちが「うちら一生親友だよね!」などと言い合っているのを教室で目にするたびに、「そんなわけないだろ」と心のなかでつっこんでいた。実際、ほとんどの「親友」たちは数週間から数年の間に「ただの友だち」や「ただの同級生」、あるいは「絶交相手」に変化していき、それ見たことか、とわたしは心のなかでまたつぶやいた。

そういう自分も小中高大それぞれの卒業と同時に毎回8〜9割の交友関係が切れて、だから3年くらいごとに付き合うメンバーの総入れ替えが起きていたけど、まあそんなものだろうと思っていた。

ただ、そんななかでも各時代に数人ずつは付き合いがつづく友だちもいて、そういう相手とはこれから先も付かず離れずずっと関係が残っていくのだろう、と漠然と思っていた。解散のタイミングはいくらでもあったのにまだ付き合っているということは、この先も友だちでいるんだろうなぁって。


だけどアラサーと呼ばれる年代に入ってから、にわかに「この人とは長く友だちでやってきたけど、もういいかな」と思う回数が増えた。それは「縁を切りたい」と考えるほどの積極的な感情ではなくて、「うーん、まぁ、これ以上はいいかな」くらいの感覚。自分から契約解除を申し入れるわけじゃなくて、あえて契約更新をしないだけ、みたいな。


たとえば先日、お互い結婚したばかりの男友だちと、双方のパートナーを連れて4人で食事をしたとき。

彼とは友だちや親友というより腐れ縁と呼んだほうがしっくり来る関係性で、中学1年生で知り合ってからの17年間、ときどき思い出したように連絡をとって会うような間柄だった。お互い異性として意識したこともなければ深刻な相談ごとをし合ったこともなかったが、なぜか一緒にニューヨークを旅したり、わたしが帰省していた実家に彼が尋ねてきて、近所で一緒に食事をしたりしたことはあった。

そういうよくわからない距離感だったから、わたしが結婚の報告で久しぶりにLINEをすると、向こうからは「俺も少し前に結婚した!」と返信が来た。さすがにそれくらい報告しろよ、と思いつつ、なんとなくそんな予感もしていたので、へー、と返し、流れで4人で会うことになっていた。

彼と会うときはお互い力が抜けていて、沈黙も多いけど気を遣うことがないからいつも楽だった。だから、4人でも楽しめるような気が無条件にしていた。


だけど、めちゃくちゃ疲れた。


彼と彼の奥さんはコミュニケーションのとり方や仕事の価値観がどこか似ていて、その似ているポイントがわたしやわたしの夫とは合わないのだった。べつに嫌なことを言われたとかされたとか、感じの悪い態度をとられたとかではまったくない。だけど、ただ合わなかった。

彼と1対1で会うときには気にならなかったそういう部分が、彼が同じ性質をもった奥さんと一緒になることで、ことさらに浮き彫りになってきたような感じ。そういえばこいつ、こういうところあったよな…をあらためて強く感じるような数時間だった。


同じころ、ほかにも似たようなことがあった。特に結婚したばかりの友人と久しぶりに会うと、「もういいかな」を感じることが多くなった。

嫌な気持ちになることが起きたわけじゃないのに、どうしてそんなふうに思うんだろう。毎回それでもやもやした。向こうがどう感じているかわからないから、よけいに。


いろいろ考えて、思った。


人は誰でも、毎日いろいろな役割を演じている。誰もが誰かの子どもであったり、誰かの兄弟姉妹であったり、誰かの同僚であったり、誰かの顧客であったり、誰かの恋人であったりする。それぞれの役割を演じているときの性格や人格は、ほんの少しずつかもしれないけれど違っている。恋人に見せる姿と親に見せる姿がまったく同じ、という人はあまりいないのではないかと思う。

わたしの個人的な感覚だけど、こうしたそれぞれの姿は、学生時代や20代前半まではだいたい同じくらいの重さで存在していたような気がする。まず単体としての自分がいて、その1個体の自分が、そのとき関わる相手ごとにちょっとずつ見せる側面を変えているというような感じ。

でも、結婚したらそこが少し変わるのかもしれない。結婚したことで、まず絶対的な存在としてパートナーがおり、「〇〇の配偶者」としての役割がベース部分に根を下ろす。

それ以外の人との付き合いはあくまでそのうえで存在するもので、だからたとえばわたしの女友だちのAちゃんがBくんと結婚した場合、これまでは「わたしの友だちとしてのAちゃんが、わたしに会いに来てくれていた」のが、結婚後は「Bくんの妻としてのAちゃんが、わたしの友だちとして会いに来てくれる」感じになったんじゃないか…って。

そして、その「Bくんの妻としてのAちゃん」が自分と合わない要素を多分にもち合わせていた場合、いくら「わたしの友だちとしてのAちゃん」が魅力的な要素をもっていたとしても、ベース部分で違ってしまっているから「もういいかな」になっていってしまうんじゃないか。


ただ、これは最近結婚した友だちとの関係だけの話で、アラサーになってから「もういいかな」になってしまった関係はそれだけではない。

ほかにも、酔った勢いで失礼なことを言ってくる友だちや、会っても愚痴を聞くばかりで実りのある時間を過ごせない友だちには、自分から連絡することはやめてしまった。以前はこのあたりまでLINEのメッセージのラリーをつづけたよな、というところも、リアクションスタンプだけで済ませたり。

それは、以前よりちゃんと自分や自分の時間を大切にできるようになったことが理由だと思う。これまでは誘われたら行かなきゃとか、連絡が来たら丁寧に返さなきゃとか、当たり前のように思っていたけど、べつに気乗りしない相手には最低限失礼のないようにしておけばそれでいい。誰かに時間を奪われつづける人生は、もうやめようと思った。28歳くらいのときに。


アラサーになって静かに終わっていった友だちとの関係は、ある日突然品質が変化したわけじゃない。長い長い時間をかけて、ゆっくりと賞味期限が切れていったんだと思う。

消費期限じゃないから、まだ食べられないこともない。だけど、とびきりおいしい季節は、もう終わり。

人と人との関係に、ピークがあるのは仕方ない。これから先も、新しい出会いがたくさんあるだろう。きっとその時々の自分に合った人が現れるし、素敵な人たちと出会えるように、素敵な自分でいるための努力をしようと思う。

そして願わくば、人生にたった一人でも、塩や砂糖のように賞味期限の来ない関係性を築き合える友だちができたらいいな、と思う。


ご覧いただきありがとうございますᝰ✍︎꙳⋆

▼自己紹介

▼noteお題企画「#上京のはなし」で入賞させていただきました


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