もう、父がネクタイを締めることはない
6月は毎年、わたしを悩ませる。
父の誕生日が4日で、父の日が第3日曜日。立て続けに父を祝ったり労ったりするイベントが重なるが、ピアスやらヘアアクセサリーやらを集めている母と違って、身につけるもののバリエーションに乏しい父へのプレゼント選びはいつも難航した。
けれど3年前の6月だけは、迷わず男性向けの衣料品店に直行した。
父の、最後のネクタイを買いに。
貧しい母子家庭に育った父は、夢だった大学進学をあきらめ、たまたまご縁をいただいた地元企業に高卒で就職した。それから41年余り。再雇用で65歳まで働く社員が多いなか、60歳ですっぱり退職すると父が決めたのは数年前のことだった。
趣味で始めた蕎麦打ちがどんどん楽しくなって、沼にハマってしまったらしい。ありがちなんだけど。「うちの父、60になったら蕎麦屋になるって言ってるんですよ」と話すと、周りの知人は皆「50代のおじさんってみんなそう言うよねぇ」と笑っていた。たしかに蕎麦打ちにハマるのも、蕎麦屋を出したいと言い出すのもおじさんが多い。だけど、本当に馬鹿でかい石臼を買って、書斎を製麺所に模様替えして、家のリビングを改装してお店にしちゃうおじさんってどれくらいいるんだろうか…わたしはコロナ明けでようやく帰省できたと思ったら、実家のリビングがなくなっていて驚愕したよ。
店を出すと決めてからの父の行動力はすさまじかった。人見知りのはずなのにいろいろな蕎麦屋に出かけては店主に話しかけたり、全国からあらゆる蕎麦粉を取り寄せては試したり、慣れないパワポに店のコンセプトをまとめてみたり、明けても暮れても蕎麦打ち関係の本を読んだり——はじめは『蕎麦屋開業マニュアル』とか『小さな飲食店の始め方』みたいなハウツー本だったのが、最終的に『蕎麦屋になりたい』という本を買ってきたのにはわたしも弟も笑ってしまった。もうそれノウハウでもなんでもなくて、パパの願望じゃん。
はじめは家計のことを考えて65まで働いてほしいと懇願していた母も、父の「蕎麦屋になりたい」願望に根負けして開店に協力することになった。父が蕎麦を打ち、母が天ぷらを揚げる。そうと決まってからは母もすさまじい熱意で天ぷらづくりを研究しはじめ、なんだこの夫婦、えらい似た者同士だなとわたしはひそかにあきれて笑っていた。
進学を断念し、流れにまかせて就職した父にとって、蕎麦屋というのは初めての職業選択、初めての進路選択だったのだと思う。「パパやママは行きたい道を行かせてもらえなかったから、子どもたちには絶対に好きな道を選ばせる」というのが父の口癖だったけど、パパとママこそ早く好きな道を進んでほしい、とわたしはずっと思っていた。
父に贈る最後のネクタイ。衣料品店の中を行ったり来たりして、わたしは長いこと悩んでいた。
結局選んだのは、PEANUTSのスヌーピーがさりげなくあしらわれたネイビーのネクタイ。父は強面の堅物に見えて、じつは遊び心のあるものが大好きなおじさんである。家庭用の流しそうめんマシーンとか、電車がお金を運んでくれるおもちゃの貯金箱とか、そういうものでキャッキャとはしゃぐ。あたりさわりのないシンプルなものより、これくらいのかわいらしさがあったほうが喜んでくれるだろうと思った。
宅配で送ると、すぐにLINEが来た。
「まいちゃん、素敵なネクタイをありがとう! ディズニーランドに行きたくなっちゃうよ!!」
おじさんらしい、カラフルなハートの絵文字付き。ってそんなことより、ディズニーランドにスヌーピーはいないよ。ミッキーとの区別がついていないらしい。老眼のせいか?
毎朝ディズニー気分でスヌーピーのネクタイを結ぶ父の姿を想像すると滑稽で、なにも言わないでおくことにした。行くならユニバーサルスタジオだよ、という訂正は心のなかに留めておく。
父は宣言どおり、一昨年の6月に会社を退職した。開店祝いに、わたしは大きなのれんを贈った。お店のロゴが入った、白とグレーのツートンのおしゃれなやつ。生地とデザインは父が選び、色は家族で相談して決めた。父は大喜びで、「本当にありがとう、大切にする!」と何度も言った。
毎日お昼の11時になると、父はのれんを表に掲げる。もうネクタイを締めることはない。のれんはやわらかな風を受けて、自由自在に踊る。
ご覧いただきありがとうございましたᝰ✍︎꙳⋆
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