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本当の日本のイメージ

海外に行けば日本人は礼儀正しいから喜ばれるだとか、国によっては親日派(この言葉もよく分からないが)がどうとかよく聞く。

フランスのことに限って言えば、たしかに日本へ行くフランス人の観光客も増え、日本という国への一種の憧れはどんどん強くなっていると感じる。そして日本語学習者だけではなく、日本についてやたらと詳しい人が増えたのも確かだ。ここ数年めっきり和食ブームだし。

だが。一方でごくごく一般的な大半の人々にとって日本とはアジア圏にある国、つまり広く言って「海外」というだけでもある。というかそっちの方がマジョリティの感覚なのだ。

日本では自分たちが外からどう見られてるのかを気にしがちだが、少し遠くからそれを見ているとちょっと滑稽に感じてしまうのが正直なところ。では一般的なフランス人たちから日本がどう見られているのかというと…

広く言えばアジアという感覚

パリを歩いていて「ニーハオ」と声をかけられるのには慣れてしまった。これは中国人と思われているというよりもむしろ「アジア人」と認識されていると同じことなんだろうと最近は思う。

夫の家族に「この前タイに行ってきたの。アジアの人はみんな親切ね」と言われ、絶対「アジア人として」反応を求められているだろうというのはわかりつつも微妙な顔をして頷いてみるしかできなかったり。

子供たちを預けていたシッターさん。とってもいい人で信頼仕切っているのだけれど、子供たちが0歳児のころから預けていたにもかかわらず、言葉の端々で母親の私を中国人と勘違いしていることがわかって笑ってしまう。私は日本人なんだ、と伝えたりするが、その時は「そうだったわ!」なんていうけれど、しばらくしたら忘れてしまっている。彼女の中で中国人=アジア人。別に悪気は一切ない。

パリには和食ブームに乗っかってエセ和食店も多々ある。メニューには寿司、焼き鳥が並ぶ。そんなお店でものすごい中国語なまりでフランス語も怪しい店員に一生懸命サーモンの巻き寿司を注文してみるとなんとも不思議な感覚になれる。他にもベトナムの円錐形の麦わら帽子、ノンラーを被ったキャラクターがシンボルの"restaurant japonais (和食)"を見つけたり。

人々の日常生活レベルでは日本だろうが中国だろうが韓国だろうがタイだろうがベトナムだろうが、全てはアジア、なのだ。日本人はアジア人であるという意識が薄いというのはよく聞く話だが、遠くのフランス人のベタな日常生活の中ではある意味立派にアジアの一員と見られていた。まあ広くアジアだよね、という感覚。日本ブームが巻き起こっているこの国ですらこうなのだ。

一歩引いたら見えてくるもの

自分たちへのイメージを気にしてもけっきょく外に出たらたいていはもっとざっくりしている。こんなもんなのだ。「中国人となら文化的にも言語的にも近いから分かり合えるでしょ」、と言われるわけだ。日本という国が認識されていない、とかそういう話ではない。フランスにおいて日本はかなり認知度の高い国だ。それは間違いないけれど、地理的に遠いと字面通り「一歩引く」ということが簡単になる。

だから逆に、日本で私がフランスからの帰国子女だというと「では英語がお上手なのね」と何度も言われた。フランス人の夫も何度道端で「ハロー」と声をかけられたことだろう。日本にもフレンチと銘打ってパスタを出すお店も溢れている。「海外ではこうだ」などの言い方で日本以外をかなりざっくりとまとめてしまうのと結局は同じこと。

日本も中国も同じだとか乱暴なことを言うつもりはないけれど、昨今の日本国内でのヘイトスピーチ問題やらネトウヨが蔓延る社会を見ていると、一歩引いて物事を見てはどうかと言いたくなる。この変な距離感はなんとかならないものだろうか、と。

似た者同士が敵同士になりやすい、というのはこういう日常の一コマからよく考える。全体的には似た者同士、よく知っている者同士だからこそ違いにばかり目がいく。それが歪んだ憎しみに繋がったりする。

違い探しやら揚げ足取りをするのではなく、時には一歩引いてみる事も必要。そして何が共通点なのかをみるような思考回路に切り替えるともっと得るものも多いし前進すると思うのだが、こんな基本的なことが日本でもフランスでも、どこに行っても難しいことだったりするからやっかいだ。





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