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思えば、38歳の女性に酷いことを言ったものだ。全然、やさしくなんかない…

昨日、お父ちゃんの記事を書いた。
途中で、お母ちゃんのことを何度も思い出した。

お母ちゃんの実家に行くと、お母ちゃんのお兄さんやお姉さん(伯父さんや叔母さん)は、みんな、モンゴル系の顔だった。
一重瞼で腫れぼったい目をしていて、口は小さめだが、唇は分厚い。

今、当時の記憶映像を脳内で確認してみると、松本清張さん似の伯父さんや

松本清張さん

朝青龍さん似の伯母ちゃんがいっぱいいる。

横綱 朝青龍さん

脳内の記憶映像の中に、松本清張さん似のオバチャンがいるぞと思ったら、それは、お母ちゃんだった。


🍀🦖🍀🦖🍀

お母ちゃんは、お母ちゃんの姉たちの「目」と「耳」を気にして生きていた。

たぶん6、7人兄妹。お母ちゃんは末っ子
まだ小学校に上がらない幼い時に、お母ちゃんのお母ちゃんが亡くなった。

2人目のお母ちゃんが現れて、こき使われ、さんざんイジメられたという。
腹違いの弟や妹が生まれると、イジメがエスカレートしたとも聞かされた。

「私だけ、小学校に行かせてもらえず、野良仕事ばかりやらされたの。
 だから、お母ちゃんは字が読めず、悔しい思いをイッパイしてきた。
 お弁当にまで差を付けられて、私のお弁当には半分も入ってないの…」

そう、何十回も聞いた。

「私は不幸の星に生まれたの」

これも、何十回も聞いたセリフだ。


お母ちゃんは、自分を認めない姉たちに、「どうだ!」という結果を見せつけたい、そう思って生きていた。
それを、幼いお姉ちゃんと僕に、何度も、懇々こんこんと説いて聞かせるのだった。

お姉ちゃんは、ある意味、英才教育を受けたみたいな結果を出した。
成績1番を期待され、𠮟咤激励され、見事それに応えた。

第一子というのは、親の期待に応えるものだと聞く。
お姉ちゃんは勉強に励み、体育以外オール5を、小中高ず~っと継続した。


🍀🦖🍀🦖🍀

僕は、ありがたいことに英才教育の対象にならなかった。
お母ちゃんは、僕を、猫可愛がりした。

子供の頃の僕には、『鏡を見る』という習慣がなかった。

昭和40年代の、ド田舎の中のド田舎では、カメラを持っている人なんて、ほとんどいなかった。つまり、写真を見る機会が、僕には無かったのだ。

ある日、小学6年生のお姉ちゃんが、「私はブスで、…悲しい」と言った。
確かに、お姉ちゃんは美人ではないだろうけど、ブスということもない。
僕は、そう思っていたのだ。
お姉ちゃんの顔は見慣れていたし、何の違和感も抱いていなかった。

「この、ぶ厚いタラコ唇が大嫌い!」と、お姉ちゃんは辛そうに言った。

僕は、タラコ唇という言葉をそのとき初めて聞いたし、唇が厚いとか薄いとか、そんなことは考えたこともなかった。

「じょーじ。…あんたポカンとしているけど、同じだからね!」
「…へ?」

「あんたもブサイクだからね!」と、お姉ちゃんはキッパリと言った。

それから僕は、ときどき鏡を見た。
遠足のときの写真も見た。
そこには僕の思っている僕ではない、変な顔の僕や、変な姿勢の僕がいた。

お母ちゃんの親戚の、松本清張さん似の伯父さんや、朝青龍さん似の伯母さんを思い出した。

僕も、そっち系の顔だと、自覚することになってしまった。
そして僕は、それまで以上に、意識した上で、鏡や写真を見なくなった。


🍀🦖🍀🦖🍀

僕は、ハンサムなお父ちゃんがブスなお母ちゃんと結婚したことを、不思議に思うようになった。

その謎が解けたのは、若いお母ちゃんの写真を見た時だ。
古いアルバムを、お母ちゃんと一緒に見ていて、たぶん20代前半のお母ちゃんを見つけたのだ。

「これ、お母ちゃん?」と聞くと、そうだという答えが返ってきた。

「ああ、これなら分かる。やっと分かった」と、僕は、心の中を言葉にしてしまった。

「なに? どういうこと?」と、お母ちゃんが聞くので、
「ずっ~と、何でお父ちゃんは、お母ちゃんと結婚したのかな、って思ってたんだ」と、僕は、これまた素直に答えてしまった。

「なに? 今のお母ちゃんなら結婚しない、という意味?」とお母ちゃん。
「うん。この写真(若いお母ちゃん)なら、ギリセーフだね」と僕。

僕は10歳。素直すぎる10歳だった。
このとき、お母ちゃんは絶句した
怒るのではなく、ひどく悲しんでいた。

1秒ごとに深く、メチャクチャ落ち込んで行くのが僕にも分かった。

ここで、やっと僕は、僕の発言がマズかったと知ったのだった。
迂闊うかつな発言を悔やんだ。
しかし、時すでに遅し。リカバリーの言葉は見つからない。

当時、お母ちゃんは38歳。
当時、お母ちゃんは、「女」でもあったのだ。

メッチャ凹んでたなぁ。

本当に、申し訳ないことを言ってしまった。
この場合、なぐさめの言葉を言うと、傷に塩を塗ることになる。

だから僕は、謝りたくても謝れなかった。


🍀🦖🍀🦖🍀

2022年12月30日。
お母ちゃんは天国へ旅立った。

前日、お姉ちゃんが危篤を知らせてくれた。

「老衰で、この2~3日でしょうって、お医者さんが…」


2~3日もたず、翌朝、お母ちゃんは眠るように息を引き取った。

お姉ちゃんからの連絡は、朝10時頃だった。
僕は、お母ちゃんが逝ったのは、9時18分くらいだと思っている。
その時刻に、なぜか僕の目から涙が1つ、こぼれ落ちたのだ。


岩手県では、通夜→火葬→お葬式  という順。
僕は、社会人になり、それが一般的ではないと知る。

お母ちゃんの通夜は、大晦日や元日を避けて、1月2日。
火葬は3日と決まった。

盛岡で、通夜と火葬。
そこから100キロメートル離れた、宮古市の菩提寺に移動。
5日がお葬式。

僕は、火葬への参加を選んだ。

お葬式には、弔電を送った。
実際の弔電をコピペする。(名前だけは仮名)


喪主 なせ 次男 様

参列できず、申し訳ない。

お母ちゃん、
オラたち五人を、ちゃんと育ててくれて、ありがとう。

お姉ちゃんは、岩手県一の優しいシッカリ者に、
オラは、自由な風来坊に、
次男は、心の芯の優しい男に、
三男は、チョイ悪風のカッコイイ中年に、
妹は、メンコイおばさんに、
それぞれ成長させていただきました。

お母ちゃん、もう、車いす、いらないね。
自由に歩き回ってください。

風来坊より。

電報
「縦書き」
「毛筆」
を選択

これを、電報の係りの人に、読み上げ説明するのは恥ずかしい。
でも、覚悟を決めて挑むことにした。

「電報って、何番だっけ?」と思い、ネット検索しようとして、その時になって、「あ、今どきはネットで申し込めるかも」と気がついた。

文字数制限があって、たぶんこれがギリギリだったと思う。
推敲で、初稿の8割を削った。

人を介さないのは、ありがたかった。


🍀🦖🍀🦖🍀

四十九日が過ぎるまで、お母ちゃんは、しょっちゅう我が家に来た。
愛知県のマンションにだ。

僕の寝室の照明が突然消える
シーリングライトだが、蛍光灯ではなくLEDだ。まだ5年も経っていない。
消えたまま放って置くと、少しして照明が点いた。
これが何度も繰り返された。

誰もいないトイレの水が流れる。
これも数回あった。

夜、誰もいないリビングから物音がした。
これも2~3回あった。

僕は、全く怖くない。たぶん、お母ちゃんだから。
なんなら姿が見えたって怖くない。歓迎する。


この不思議な現象を、妹にlineで教えたら、

「じょーじ兄ちゃんの所なら、お母ちゃんが行くのは納得。
 お母ちゃんにやさしいの、じょーじ兄ちゃんだけだったから」

と返ってきた。

「お母ちゃんが1番好きなのは、じょーじ兄ちゃん」なら分かる。
自覚もしている。

僕が、やさしかった?

これは謎だ。
長男なのに、自由に風来坊してばかりの親不孝者だ。
まあ、妹の貴重な意見だし、妻に教えておこうと思った。

「ゆかりちゃん、見て。ほら。僕って『やさしい』らしいよ」

「ふんっ! あんたは姉弟きょうだいにまで外面ソトヅラだけはイイんやな」

と、ゆかりちゃんは、鼻を鳴らして言った。







おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1468話です
※僕は、ゆかりちゃんが大好きです


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奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
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