0.1秒のためらいを感じて、ちゃんと自分の灰色を認め、そして、感謝しようよ
昨日の記事のコメントに、コメント返しをしていて、
「僕の気持ちって、そういうことかなぁ~」
と、言語化できそうな気がしました。今日は、それを書いてみます。
ひと筆書きになると思いますので、乱文、ご容赦ください。
昨日の記事はコチラです。
ぜひコメント欄まで、ご覧くださいませ。
◆喫茶店で大ゲンカ
昔、妻のゆかりちゃんと、パン屋さんのイートインスペースで大ゲンカしました。
店内にいるにもかかわらず、声をひそめての大ゲンカです。
睨み合いましたね~。
僕の目線で、そのケンカを要約すると、
という感じで、どこまで話しても平行線でした。
2人とも、ただ、不愉快になっただけという、本当に不毛なケンカでした。
◆僕の本心のコア
僕の意見のコアは、
「ためらいがあるなら構わないよ」
「でも、少しのためらいも無いのは、僕の中では何か違うんだよ」です。
それに対し、ゆかりちゃんが、「ためらう必要などない」と主張したなら議論が噛み合うのですが、そうではありません。
ゆかりちゃんは、
「あなたの行為は間違っている」と、否定されたと感じ、
「私の行為は間違っていない」と、正当性を主張したのでしょう。
僕は何度も言ったのですが、ゆかりちゃんのその行為(パンを1つ持ち帰る)を「やめなよ」などとは、1度として訴えていません。
逆に、「それは、全然イイよ」「構わないよ」と、5回も6回も言いました。
「構わないから、ほんのチョットの罪悪感を持とうよ」と提案したのです。
この【罪悪感】というワードが、まずかったのかもしれませんね。
「ほんのチョットの、ためらいを持とうよ」と言えば良かったのかなぁ。
◆ためらい
僕は、そのたった1秒のためらいの中に、相手への配慮があると感じます。
相手への思いやりです。
そんな気持ちです。
それがあるのなら、あるだけで充分なのです。
発揮されなくても構いません。
それが、一切ない、というのが怖いだけです。
◆ダメなためらい
ためらいはためらいでも、ダメなためらいもあります。
保身です。
1秒ためらった。
その1秒が、相手への配慮ではなく、「嫌なヤツって思われるかなぁ?」という、自分への保身に使われたなら、それはダメなためらいです。
自分のことより、相手のことを思いやりたいものです。
◆だから、例えば…
だから、例えば、
そのあとセールスがあるお試しも、
たぶん買わないなぁと思う試食も、
パンセットBのパン1つを持ち帰るのも、
1秒、いえ、0.1秒でもイイのです。
そんな、相手(お店)への思いが、ホンの少しよぎれば、充分なのです。
◆スーパーのビニール袋
スーパーのビニール袋が、分かりやすいと思います。
スーパーのレジ終了後に、汁漏れするかもしれない商品を入れる、あの無料のビニール袋です。
あれ、自宅にあると便利だったりしますから、僕は、ごく稀に1、2枚、余計に取って買い物袋に忍ばせることがあります。
毎回、0.01秒くらい、ためらいます。
心の中で、「1、2枚だけだから大目に見てね」って呟きます。
これを、「無料サービスなのだから、一切ためらう必要はない」とは、僕は考えません。
仮に、図々しいオッチャンやオバチャンが、20枚30枚持っていったなら、どう思いますか?
この人種にならないために、開き直っちゃダメなんです。
この人種との差は、枚数ではありません。
ためらいが【ある】か【ない】かです。
区別する【境界線】は、一瞬のためらいだと思います。
無料のビニール袋を、1枚多く持ち帰るときに、0.1秒ためらいを覚える人間は、何十枚も持って帰るなんて、するワケありません。
何十枚も持って帰る人は、
①「ためらわなくてイイんだ」と言い聞かせ続けた人間
②生来のサイコパス
その、どちらかでしょう。
◆ゆかりちゃんは誤解するかも
こう書くと、ゆかりちゃんは、
「は~⁈ 私がサイコパスだと言いたいの⁈」
と誤解して、また、怒りの導火線に着火しかねません。
なので、当然なのですが、念のため説明しますね。
ゆかりちゃんは心優しいステキな女性です。
常識があり、良識もあります。
サイコパスなどとは、1ミリも思っていません。
僕は、ゆかりちゃんも1秒とか0.1秒のためらいを、ちゃんと感じていると思っています。
コンビニでトイレを借りるときに、何かを購入するタイプですしね。
最初はためらいがあった。
何度も繰り返すうちに、ためらいが薄くなり、だんだんと、ためらうことがなくなってきて、当たり前になるかもしれない。
そんな、悪い変化をしないように、ホンの少しのためらいを、つどつど確認しよう。
無料ビニール袋を大量に持ち帰る人種にならないために、そういう注意喚起を、気づいたなら、お互いに言うようにしようよ。
僕が言いたいのは、そういう、提案なのです。
ゆかりちゃんは、1秒のためらいを感じたときに、ことさらに「感じなくてイイのよ」と、そう自分に言い聞かせているのではないかなぁ。
パンセットBでも、また1個持ち帰りたい時がありそう。
買わない煎餅を、また、試食はしたいと思いそう。
そのときに、また、ためらいたくない。楽な気持ちで試食したい。
自分を責めたくない。
だから、「別にこの行為は大丈夫なの」「セーフなの」「普通なの」「みんなやっているの」と、必死に言い聞かせているのかなぁ。
裏を返せば、ちゃんとためらいがあるから、だから言い聞かている。
そういうことかもしれません。
僕は、
A:買わないなら一切試食しない
B:買わないけど平気で試食する
この、AとBの、中間がイイと思うのです。
Aは堅物すぎます。
Bは図々しすぎます。
中間をキープするために、1秒のためらいは、ちゃんと感じようよ。
完全なBにならないように、0.1秒、ちゃんとためらおう。
「普通だ」「イイのだ」「みんなやっている」などという、そういう言い聞かせはやめようよ。
みんながどうとか、関係ないじゃん。
自分がどう思うかでしょ。
ためらいを感じた上で、少し、甘えさせていただこう。
ちゃんと、ちょっとセコイ奴だって認めようよ。
ちゃんと、試食もお試しも、「ありがたい」「ありがとう」って感じる心ってイイじゃん。
そういう提案なのです。
◆パン屋さんでのケンカ
おそらく、パン屋さんで僕は、ゆかりちゃんに、
「真っ白な行為ではないから、真っ白ではないと、自覚しよう」と言いたかったのです。
「もちろん僕も灰色だよ」
「灰色でイイやん」
「灰色を認めようよ」
と、そう言いたかった。
で、ゆかりちゃんは、「いいえ。真っ白です」と主張した。
「みんなやっています」
「お店の人もOKって言っているし」
「なぜ、ケチつけられなければならないの」
「心外だわ」
と、そう言いたかった。
どっちが正しいのかは分かりません。
でも僕は、僕の主張を大切にして生きたいと思っています。
◆理解と同意は違うと思う
Akiraさんのコメントから、インスパイアを受けて書いた記事です。
Akiraさん、ありがとうございます。
主義主張は、統一するのは難しいと思います。
また、統一する必要もないかな。
みんなちがって、みんないい。です。
ただ僕は、僕の主張を、正確に理解してほしいと強く思います。
勘違いされたくないのです。
理解してくれれば、それで、かなり満足するのですが、こと意見が異なると”理解さえしたくない”という態度を取られます。
同意してとは言っていないのです。
理解はしてほしいのです。
この違いが、なかなか、分かってもらえません。
ゆかりちゃんだけでなく、多くの方に、分かってもらえないのですよ~。
◆〆
上手く言語化できると思ったのですが、70%くらいの出来です。
書けば書くほど、真に言いたいことの言語化が難しくなりました。
ゆかりちゃんの感想を、聞きたいのですが…。
ゆかりちゃんは、この手のウンチクは、読むと眠くなるようでして…。
とにかく、
唐突ですが、
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。
おしまい
PS
僕の、初のKindle本 ↓『いいかい、タケルくん』【考え方編】です。
読むと、恋人ができてしまう自分に変わります。
ご一読いただけたら幸いです。
この本は、noteで下書きしました。
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2冊目のkindle本は【タブー編】となります。上のマガジンに下書きが入っています。
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