第161話 先生改革①
はじめにお断り申し上げる。
この記事は、僕の主観だ。「僕は、こう思う」というものだ。そして、僕は、「僕の意見が絶対に正しい」とは思っていない。考えが浅い場合もあるだろう。間違った知識を書くかもしれない。
「53歳のじょーじは、今、こう思う」という、そういう【 じょーじ説 】を書く。
あれ?
これって、今にはじまったことじゃないなぁ。
訂正。
僕のnoteの記事は、常に、僕の主観である。
ご理解とご承知おきを、お願い申し上げる。
◆昔&田舎
あたりまえだが、僕が小学生だったのは『昔』だ。しかも『田舎』だった。実家が、なかなかな田舎の、そのゆかりちゃんが、びっくりするくらいの田舎なのだ。
僕の、父ちゃんは、家庭訪問に来た担任の先生に、「先生! じょーじがなんか悪いことした場合、ゲンコツでもビンタでも、うちは、なんの問題ないですから! も~、ビシビシ指導してください!」と言った。
昔の親って、たいていは、こんなだった。
先生という職業。そして、先生という人物。昔の親たちの多くは、その両方をリスペクトしていた。そういう時代だった。昔だけにせず、田舎を加えたのは、もしかしたら、東京とかの都会では、その当時でも、ちょっと違っていたかもしれないという危惧からだ。
あの時代、僕の田舎では、そんな感じだったのだ。
***
僕の、実体験で、1番怖かった先生はM先生だ。中学生のときの、美術の先生だ。女子バレー部の顧問でもあり、社会の先生でもあった。
学校で1番の、名物先生だ。
どう名物かというと、『めちゃくちゃ怖い』先生なのだ。
スパルタ練習で、女子バレー部は、市内では負けなしだった。練習試合も公式試合も、同級生の女子は、3年間、負けなしだったのだ。県大会の優勝争いをして、優勝に一歩届かない、そんなレベルだった。
言っておくが、普通の、中学校ではない。
超田舎の中学校だ。
部活動は、男子=野球部。女子=バレー部なのだ。
学校には「クラス」がない。同級生は20人。男子8人、女子12人。
お分かりだろうか。
入学する選手に、恵まれてなど無いのだ。普通の中学校なら、文化部を選ぶ生徒であっても、選択肢がないのでバレー部に入るのだ。
それなのに、3年間、市内で無敗。あり得ない快挙を、同級生の女子はやってのけた。
M先生が、どれほどのスパルタ練習を課したのか、この快挙から想像できるのではないだろうか。
ちんたら、野球ごっこをしていた男子と違って、毎日、夜遅くまでM先生にしごかれていた。時には泣きながら、練習していた。
***
入学早々。美術の授業で、海に行き(歩いて海に行ける学校だった)、写生をした。学校に戻り、M先生から、「次の美術の授業までに、ちゃんと絵を完成させろ。色までちゃんと塗るんだ」という宿題が出た。
変わっているのは、次の美術の授業だった。
「出席番号順に、ひとりずつ絵を持って、体育館へ来い」というのだ。美術の授業で『体育館』というのが、すでに変わっている。そして、ひとりずつって、いったい何なんだ。
先に行ったヤツらは、口をそろえて「怖え~」という。何がどう怖いのかはわからないが、とにかく怖いらしい。そして、僕の番になった。
ちなみに僕は、絵は得意だ。過去に市長賞も受賞したし、入選は毎回だったし、だから怒られるとは思ってはいなかった。少し余裕があった。絵が嫌いなヤツは、適当に色を塗っただろう。だが僕は、絵を描くのが好きだから、ちゃんと塗って完成させていた。出来も悪くない。
体育館には、M先生ひとり。イスに座っている。絵を置くイーゼルが先生の正面にある。その向こうに、もう1つイスがあった。
そして、M先生は竹刀を持っているのだ。
(なんで竹刀?)って思った。怖すぎる。
あごで、「そのイーゼルに絵を置け」と指示した。言っておくが言葉での指示ではない。無言での指示だ。
次は、僕をにらんだ。そして正面のイスに視線を変えた。「座れ」という意味らしい。
美術の授業、体育館、竹刀。・・・まったくもって意味不明なのだ。しかも広い体育館に、M先生と僕だけだ。
M先生が、怒り狂って、僕を竹刀でボコボコにしても、助ける人もいなければ、助けを呼びに行く人すらいない。
怖すぎて、このあと、どうなったのか、さっぱり記憶がない。
M先生は剣道ではなく、美術の授業で、竹刀を有効に使う先生だった。
◆M先生を分析
今ならば、M先生を分析できる。
1.演じていた
M先生は、『めちゃくちゃ怖い教師』という役を、演じていたのだと思う。めちゃくちゃ怖い先生が何人かいれば、学校の運営上、なにかと便利だったはずだ。おそらくは、当時の学校運営の、定番の手法だったのではないか。
まず、やんちゃな男子生徒へのけん制になる。校内暴力などへの、抑止効果が期待できる。
2.怖いと洗脳する仕掛け
M先生が殴った。M先生に殴られた。どちらも聞いたことがないし、見たこともない。
「怖い」と、思い込んでもらうのが、一番イイ。
第一印象で、めちゃくちゃ怖いと思ってもらう。中学1年生は、まだ身体も大きくない。これが3年生では、デカいやつは結構デカくなるから、そういう意味でも、最初に全力で仕掛けるのだろう。
その仕掛けの1つが、あの、体育館での絵のチェックだ。
恒例の【儀式】だったのではないだろうか。
3.人格者だった
M先生は、先生の中でもかなりの人格者だったと思う。そうでなければ、この役を演じきれないはずだ。ただうるさいだけの先生なら、生徒たちは、いずれ見抜く。そして嫌う。反発する生徒も出る。
僕は、頭でっかちで、口だけで、行動の伴わない生徒だった。頭はイイから、2年生のときに生徒会の役員になった。
その生徒会の指導も、M先生が担当していた。
僕は、M先生からは「ぼんくら!」と叱られ、認められなかった。能書きばかりで、行動がともなっていないのを見抜かれたのだ。
ほかの先生は、成績のよさにだまされたりしたが、M先生は、逆に、これっぽっちも認めなかった。僕にとっては、「大人をなめてはいけない」と思わせてくれた、ごく少数の大人だった。
そう、僕は、まったくもって【くそ生意気なガキ】だったのだ。
くそ生意気な高校生にならずにすんだのは、M先生のおかげだったのかもしれない。もし、M先生がいなかったなら、「大人って、ちょろいな」と、思い続けたかもしれない。
もちろん、大人はチョロくない。
ただ、めんどくさいから、そんなクソガキは、ほっとくのだ。当たり障りなく流すのだ。
真正面から、「ぼんくら!」「おまえ、口だけだなあ!!」と、遠慮なく言ってくれる。それにどれほどの精神的エネルギーが必要か。指導者や管理職者の方なら、お分かりだろう。
自分に、『自信』『明確なビジョン』『理念』『愛』『実績』と、さまざまなものがなければ、できないことなのだ。
4.好きで演じていたはず
厳しい練習を課し、女子バレー部を強くした。
生徒に怖れられた。そして尊敬もされ、感謝もされただろう。
仲間の教師からも尊敬されたり、慕われただろう。そりの合わない先生にしても、一目は置かれたはずだ。
生徒を厳しく指導するために、自己も鍛えただろう。自己啓発も努力も、めちゃくちゃ行なったはずだ。すると、どんどん自分が好きになっていっただろう。
殴って、黙らせる。従わせる。そんな手段が必要にならないように、知恵を絞り、工夫し、常にアップデートしていったのだろう。
◆令和という今
この、尊敬に値するM先生。
だが、今の時代では、どうだろうか?
学校の現場にいるわけではないので、想像でしかないが、僕は、M先生のタイプは、【絶滅危惧種】か【すでに絶滅している】かの、どちらかな気がする。
・・・長くなる。
何回かに分けよう。
そうしないと、ゆかりちゃんの感想が「長~~~~~い!」となる。
ナルマールさん③の感想が、そうだったのだ。あれも、さらに分ければ良かった。僕としては、同じテーマが続くのならば、一気に読み上げていただこう、と思ったのだが、裏目に出たのだ。
今後は、僕のnoteの基本理念に、「短く」もしくは「長すぎない」を加えてみよう。
僕は、「長すぎる~~~!」といってくれる、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。