見出し画像

恋の賭け、成立条件緩和中【第4章】


第4章 平成21年(2009年)

1.ひまり29歳 再会と気づかず

・5月

空には雲1つない、なんてことはなく、雲は普通に浮かんでいた。
でも、青空が半分以上を占めている。

「青空が15%あれば『晴れ』」と、私は、前にどこかで聞いたことがある。晴れと曇りなら、晴れが圧倒的に贔屓されているんだなぁと、そのとき私は思ったのだ。だから、決して記憶違いではないと思う。

だから今朝の天気は、堂々の晴れなのだ。

世間は、リーマンショックの大波に翻弄されて、私個人には直接関係は無いのだけど、株価が下落して大変らしい。旅行業界は、景気の影響をモロに受けるから、会社の売り上げが下がっていると、上司が嘆いていた。

私は、ひばりが丘駅の駅前にあるマクドナルドで朝食を食べていた。窓際の席に座って空を眺めた。青空も見えている。
大好きなエッグマフィンと、大好きなベイクドポテトを目当てに、この朝マックにやって来た。

朝マックを食べるのは、私のルーティーンの1つだ。フライト時間にもよるが、ツアー直前の朝食は、朝マックと決めている。食べる場所も、この窓に向かうカウンター席がお気に入りだ。平日の朝なら、だいたい空いている。空が見えて気持ちイイのだ。

私は、ベイクドポテトを、ひと口頬張った。

「まーさん!」

リラックスしていると、つい、うちなーぐちになる。

成田空港の集合時間には、まだタップリと余裕があった。私は、30分前到着を【掟】としている。ツアーコンダクターが本来着いているべき30分前の、さらに30分前に、私は到着すると決めていた。

早く到着し、カフェで珈琲を飲みながらツアー計画を確認する時間は、私には至福の時間なのだ。だって、絶対に遅刻が有り得ない状況なんだもの。

うちなータイムがDNAに刻まれている私が、ちゃんと時間を厳守している。10年前は考えられなかったなと、ちょっと感慨深くなって、私は、また空を眺めた。青空が少し多くなっていた。

視線を下げると、そこには町の駐輪場があった。
そこに、ロックバンドに好まれる?みたいな、皮に金属のトゲトゲが付いたファッションの男性が現れた。その駐輪場に自転車を停めようとしている。
空きスペースがなく、わずかな隙間を作って、そこに自転車の前半分だけを強引に突っ込むのが見えた。

彼は、それで良しと考えたようだった。駐輪場の出口へ向かって歩き出している。でも、その停め方では、歩く人の邪魔になってしまう。歩行エリアに飛び出ているのだ。

私は、「あ…」と、小さな声を漏らしていた。

さっきの強引な停め方をした自転車の、右隣りの自転車がゆっくり傾いて、倒れてしまい、さらに隣の自転車も倒れてと、ドミノ倒しのように次々と倒れ出したのだ。それだけ大量の自転車が倒れたのに、ロック風の男性は気づかないらしく、駅へ向かって歩き続けている。本当に気づいていない可能性もあるし、気づかないフリをして歩き続けた可能性もある。

私は、こういうのは放って置けないタイプなのだ。自分でも呆れてしまうが、そういう性格だから仕方ない。
あの倒れた自転車は、私が直しに行くしかない。幸い、今の私には、有り余る時間がある。

その10数台の自転車が倒れた場所に、クロスバイクに乗ったスーツ姿の男性が近づいた。サラリーマンに見える。その男性は、背が高く黒髪で、ビジネスの使用にも違和感の少ない、黒い四角張ったリュックを背負っていた。

彼は、自分のクロスバイクを降りて、リュックも降ろした。そして、将棋倒しになった自転車を直し始めたのだ。カゴとハンドルとが絡まり、それを1台ずつ外して自転車を立てる。

自分が倒した自転車ではないのだから、放置する人が大半だろう。1台2台ならともかく、10台以上の自転車が倒れているのだ。

真面目な性格なのだろうか。しかし、どちらかというと不器用な人のようだ。
彼が、倒れた自転車を、また1台起こしたのだが、案の定という具合に、彼の背中側の自転車が左に倒れた。こちらは自転車が詰まっていて、3台倒れたあと、4台目の自転車は自立を保ってはいたが……。

「あちらを立てればこちらが立たず」という諺は、決してこういう意味ではないと思うのだけど、まさに、そのような光景が、私の目の前で発生していた。

初めから、倒れた自転車を起こしに行こうと思っていたのだから、急いで手伝いに向かうことにした。カウンター席を立ち、お会計を済ませて外へ出た。スーツケースを引きながら、駐輪場に向かった。

「手伝いますね~」と、そう声をかけて、彼が押さえている自転車を支えた。「こっちは倒れないように支えますから、そっちの自転車を起こしてください」と私は言った。

「あ、ありがとうございます」と、その真面目な男性は言った。

私より少し、年上だと思った。素朴な笑顔で、誰かに似ていたが、それが誰かなのかは、すぐには思い出せなかった。その男性の表情には、少し戸惑った感じもあって、もしかしたら、これは自分が倒したワケではないと、弁明したかったのかもしれない。
後で、あなたが倒していないことは見て知っていますと、そう言ってあげなきゃなと、私は思った。

やはりネックは、ハンドルとカゴの絡まりだった。その他にも、何かと何かが絡まり、動きが連動し、それが厄介だった。
身体を、自転車と自転車の間に入れるスペースが作れないことも、作業ペースが上がらない原因の1つだった。

私は、「一度、こっち側をズラしてスペースを作りましょう」と提案した。「そうですね」と、彼は同意した。

「一気にズラすのは無理があるので、1台ずつズラしましょう」と言いながら私は、列の左端に移動した。彼も左にやって来た。左端の1台を、隣の自転車から剥し独立させた。一旦、その自転車を、本来は人が歩くための通路に置いた。背の高い彼が、横になりかけている2~3台の固まりを、それ以上倒れないように支えた。その左端を私が剥がし独立させ、これらの作業を繰り返した。

そこに、自転車でやって来た男子高校生が、何も言わずに私たちを手伝い始めた。学生服の高校生に対し、背の高い男性は、「ありがとう」と、お礼を言った。私も、「ありがとうねぇ~」と、大声でお礼を言った。

私は、さらに図々しく、高校生に指示まで出した。「君は右端から剥がして、立て直してくれる?」と。
男子高校生は、やはり無言で、首だけでコクンと頷いた。了解っす、という声が聞こえてくるような仕草だった。

3人に増えたらなら、作業がみるみると進んだ。倒れている自転車の数が少なくなると、「もう少しだ」という思いになり、精神的にスゴク元気にもなった。同じことを繰り返しているので、要領も良くなっている。

全ての自転車を独立させ、立て終えた。通路に仮置きした自転車を、白線の中に入れなければならない。高校生が右エリアを、背の高いサラリーマンが中央エリアを、私は左エリアを担当し、並べ直した。可能な限り寄せて詰めなければ、全ての自転車は入り切らないと思った。

でも、きれいに詰めて並べた効果で、手伝ってくれた高校生の自転車も、ちゃんと枠内に収まった。

私は、改めて男子高校生に、「ありがとう」と言った。高校生はペコっと頭を下げて、小走りで駐輪場から出て行った。

背の高い男性が、私へ近づいてきて「ありがとうございました。とても助かりました」と、お礼を言った。

そして彼は、リュックを背負い、自身のクロスバイクにまたがった。

「自転車、停めないんですか?」と、私は尋ねていた。

「え? ああ、僕は、法務局に行くんです」と、彼は言った。私は、その意味が良く分からなかった。

「自転車を停めて、それから向かうのでは?」

「え? ええっと、法務局は田無駅の方にあるんです。そこへ向かう途中だったんです」

「じゃあ、ここに停めないのに、……なのに自転車を直したの?」

「あ、はい。なんっていうか、時間があったし……」

「駐輪場を使わない……」と、私は、また同じようなことを呟いた。私の思考は、一瞬ではあったが、迷路の中に迷い込んでいたのだ。

「あ、こんな時間だ」と、彼が言った。

私も腕時計を見た。思った以上の時間を費やしていた。

「では……」と彼は言って、少し固まった。

それから、跨っていたクロスバイクから降りて、「ありがとうございました」と、私に対してキチンと腰を折った。深すぎる大げさなお辞儀ではなく、浅い会釈だったけど、キレイなお辞儀だった。

「どういたしまして」と、私は言った。

男性は、またクロスバイクに跨り、そのまま走り去った。

私の胸の奥が、ギュギュッと収縮した。ときどき、こんな感覚になる。
ふと、映画を観て感動したときの胸と、ほぼ同じ感じだと気づいた。前に『最高の人生の見つけ方』という映画を観たときも、こんな風に胸がギュッと縮む感覚があったのだ。

私は今、感動しているのだろうか。

「あなたが倒していないことは見て知っています」と、そんなことは伝える必要はなかったことに、私は思い至った。


2.祖父江34歳 再会だったと気づく

・翌月、6月

ここは、駐輪場が良く見えた。

僕は、あの日会った女性との偶然の再会を求めて、平日の朝食はマクドナルドで食べるようになった。おかげでソーセージエッグマフィンの美味しさにも気づいてしまった。

僕の住むマンションの最寄り駅は、この駅ではない。ほぼ中間ではあるが、次の駅の方が近かった。しかし、自転車ということもあって、ここ最近はひばりヶ丘駅ばかりを使っている。

朝食だって変わってしまった。それまで朝食は、自宅で白米に納豆、プラス漬物という、質素倹約で、かつ健康的なメニューだった。
そのゴールデンメニューは、ここ最近は土日だけになっている。その土日さえも、ここに来てしまうこともあった。

あの日は水曜日だった。
彼女はスーツ姿だったし、平日勤務なのだろうと、仮説を立てた。土日が仕事の可能性もゼロではないが、少なくとも平日だけは欠かすことなく、ここで朝食を取ることにしたのだ。

たまたま、あの日だけ、この町に来たのだろうか? スーツケースを持っていた。出張でこの町にやって来たという可能性もあるが、しかし、ここはターミナル駅ではない。同じ出張だったとしても、自宅から出張先に向かうところだったという可能性が高い。

そう思った。

こんな思いも、こんな行動も、生まれて初めてだ。

僕は、岐阜県の田舎町から東京の私立大学に進学した。そして、関東の地方銀行に就職した。僕は次男坊だから、兄と違って自由なのだ。
地銀では渉外しょうがいという、ルート営業のような外回りを行ない、そのとき、十数棟のアパートを経営する、やり手の大家さんに、僕はとても気に入られた。

僕も、その大家さんの人柄や考え方に惹かれ、尊敬し、大きな影響を受けた。いつかは自分も、アパート経営を本業にしようと、そう思うようになっていた。
大家さんの勧めもあって、僕は不動産会社に転職した。アパート・マンション経営を、不動産業界の中から学ぶのが目的だった。学びながら給料がもらえるので、とてもありがたいと思っている。

不動産会社に転職したから、あの女性ひとと出会えたのだ。
あのとき、偶然、法務局へ寄る仕事があったから出会えたのだ。
そんなことがなければ、あそこを自転車で通ることはない。さらに、自転車がたくさん倒れなければ、あの人と出会うことはなかった。

僕は、幸運に、自信がある。

結婚詐欺師のターゲットになっても金銭的な被害はなかった。
不動産会社での営業成績も、上位をキープし続けた。それは、既存のお客様のリピート契約や、お客様から紹介をいただいた結果で、同僚からは「棚ぼた契約ばかりじゃないか」と陰口をたたかれた。
管理職になったら営業力の無さが露呈すると、面と向かって言う者もいたが、なぜか部下に恵まれた。僕の課は、紹介受注が極端に多い課となり、営業成績は常に上位になった。

もしかすると、幸運は、僕が時々行なう親切な行ないが、その源泉なのかもしれない。
そのように1度思うと、見て見ぬふりが、なかなかできなくなった。

僕は、ベイクドポテトを食べながら、3週間前のことを思い出す。

あの女性ひとは、人助けに慣れていた。ひょっとしたらボランティア活動の経験者かもしれない。手助けが凄く自然だったし、恩着せがましさは全くなかった。

僕は、男で力だってあるのに、どうも要領が掴めなかった。でも彼女は、そんな僕を蔑むことも、これっポッチも無かった。
一緒に作業をしているときの、その雰囲気が、とても心地良かった。

僕は、幸運のパワーを得たくて、そんなよこしまな考えから、親切っぽい行為をしている。
つまり僕は、偽善者なのかもしれない。

しかし、あの女性は、そんな自分とは真逆だった。
きっとあの女性は、親切な行ないが好きなのだと思う。
僕も、そういう自分になりたいと思った。

笑顔がステキだった。

あと何度、朝マックを食べたなら、あの女性に会えるのだろうか。ドラマやマンガみたいに、再会って、何とかなるものと思っていたが、考えが甘かった。

会社へ向かう時間になった。
お会計をして、駅に向かって歩いた。会社は池袋なのだ。

駅への階段を登ろうとして、靴の紐がほどけていることに気づいた。
僕は、靴紐を結ぶためにかがんだ。

そのとき、僕の背中に、ドンと何かがぶつかった。
大きなスポーツバッグを肩から下げた男子中学生が、「すみません」と言った。そのバッグがぶつかったらしい。

僕は、「ぜんぜん大丈夫」と言って笑顔を向けた。

と同時に、僕は雷に打たれた。
もちろん、その落雷は比喩なのだが、本物の落雷に負けない衝撃だった。

思い出した。会ったことがある。

僕は、彼女に会ったことがある。
5年前、池袋の居酒屋で、僕は、あの女性と出会っていた。


3.ひまり バリ島、出発前

・5か月後、10月

私のiPhoneが鳴った。

「はい。成田に着いています。大丈夫です。美佳さんはゆっくり休んでください」

今回は、インフルエンザに罹ってしまった美佳先輩のピンチヒッターとして添乗する。
美佳先輩と私は、小さな旅行会社の「2枚看板」と上司から呼ばれていた。ツアーコンダクターの名前でお客様が集まる、そういう2人だった。

普通は、観光地の魅力が集客力となる。例えば「天空の鏡、奇跡の絶景ウユニ塩湖をめぐる12日間ツアー」とかが、その典型例だ。
しかし、美佳さんと私なら、「西園寺美佳と行くイスタンブール7日間の旅」とか、「小宮山ひまりと行くスペイン10日間の旅」というツアー名で、20名くらいなら簡単に集客ができるのだ。

2人とも、たくさんのお客様に支持されていた。
その美佳さんが、今回は添乗できない。

「はい、大丈夫です。ご心配なく」と、私は言った。私は新人のとき、美佳先輩から直接指導を受けた。今の私があるのも、美佳先輩の指導のおかげと言っても過言ではない。

「え? サプライズ企画はするな? なぜですか?」と私は尋ねた。

美佳さんは、「今回のお客様は、バリ島旅行に何回も行っている、リピーターばかりなの」と言った。ノドがかなり痛そうだ。

「私たちの何倍も、バリに詳しいの」と、美佳さんが言った。

「なるほど。だから、ほぼ『終日自由フリー』なのですね」と私は言った。ここは全て受け入れよう。

「そうは言っても、あなたは何か考えるでしょ。それを絶対にやって欲しくないの」と美佳さんは言った。なぜ、私の心が読めてしまうのだろうか。

「大丈夫です。何もしませんから。先輩、ノド辛そうだし、電話切りますね」

私は、やさしくそう言って、通話を終わらせた。

もちろん、お客様へのおもてなしの創意工夫は、きちんと行う。そのための予習もバッチリ行なってきた。
ただし、余計なお世話とはならないように、細心の配慮が必要となる。

今回のツアーは、ほぼ、美佳さんの常連客ばかり。それゆえに湧いてくる緊張感が、私の心を強く刺激した。

「ちむどんどん、してきたさ~」

つい、気持ちが言葉になっていた。


* * *


「美佳先輩から、みなさんはバリ島旅行の”達人”だと聞いています」と、私は、いち早く到着したお客様と会話をしていた。

この時間は、お客様の好みや性格など、個別の情報を得る最大のチャンスなのだ。

「私、バリ島、初めてなんです~。初めてでも『初めてと言ってはイケない』と、美佳先輩には耳がタコになるほど、何度も教わりました。でも私は、本音100%なんです」と、私は積極的に、お客様との心の距離を近づけた。

「小宮山さんは、ずいぶん若いけど、おいくつなの?」と、上品で美しいマダムに聞かれた。

「須藤さん、若いだなんてお世辞でも嬉しいです~う。29歳で、まもなく三十路です」と答える。お客様の名前を、すぐ憶えるのは私の特技だ。

「ええ~。見えないわ~、もっと若く見えるわ~」という定番のお世辞が返された。

「ありがとうございます! 何も出せなくてゴメンナサイ。バリ島のこと、何でも知りたいので、何でも教えてくださいねぇ」と、私は返した。

情報収集以上に、世間話を通じて心を近づけることが大事だと思う。
話かけて、そして、話を聞く。できるだけ、聞くことに専念する。

そのとき、1人の男性が近づいてきた。
近づき方から、ツアーの参加者と思われた。

私の、胸の奥がギュッと縮まった。

半年前、一緒に自転車を立て直した、あの時の背の高い男性だった。

「お客さま、お名前を…」と、私は言った。

「祖父江です」と、その男性は答えた。ツアー参加者リストに、祖父江唯信とあった。

1人での参加者が彼だった。

「あ、はい。今日は、あの~、西園寺が、インフルエンザに罹ってしまいまして、急遽私が……。ツアーコンダクターの経験は豊富なので、安心してください。あ、でも、バリ島は、実は初めてなので、あの、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞ、よろしくお願いいたします」

と、挨拶や説明が、しどろもどろになった。

「あ、あの~。その節は、ありがとうございました」と、祖父江さんが言った。

私は、「どういたしまして」と答えた。

私は、顔が熱くなるのを感じた。顔が赤くなっていないかと心配になった。
そこへ続々と、ツアー客がやって来た。

やるべき作業に、私は追われた。
おかげで少しずつ、冷静さを取り戻したのだった。


* * *


機体が安定した。

ジャカルタ経由で、デンパサール空港までのフライトだ。
私は、習慣でノートを開いた。ペンを出す。しかし、そんなことでは、自分の心を誤魔化しきれなかった。

なぜ? と思った。
なぜ?と、何度思っただろう。たぶん、今のが16回目くらいだ。


私は、お客様から交際を申し込まれることが稀にあった。中年のお客様からは「イイ人を紹介する」と何度も言われた。『ゆ会』のメンバー同士が、おそらく私が原因で、言い争いをしたこともあった。

私は、『お客様との恋愛は禁止』という掟を作ったのだ。

佐々木さんに相談して、その結果、メンバーには発表しなかった。
佐々木さんは発表だけではなく、掟そのものに反対した。「本当の恋は、掟でも法律でも、どうこうできやしないよ」というのが、佐々木さんの反対の理由だった。

それでも私は、私の心の中で誓った。

私の心の中での決め事でも、それでも私には効果があった。迷うことがなくなったし、公私混同の余地がきれいサッパリなくなり、爽快感も生まれた。
私の言動にも、もしかしたなら微妙な変化が生じたのか、私に言い寄る男性の数が、グッと減ったと思う。

一部の人が、「隊長には婚約者がいる」とか「心に決めた人がいる」などとウワサしていると、むっちゃんから教えてもらったこともあった。

私は、『ゆ会』のメンバーに対して、公平に接したかった。
みんなの笑顔を守りたかった。

いくつかの掟を作って、私は、その掟を守ってきた。
だから、これまで、上手くやってこれたと思っている。

私は、首を左右に振った。

こんな精神状態では、つまらないミスを犯しかねない。
それは絶対にイヤだ。
美佳さんのお客様たちなのだ。
もし不評を得るようなら、美佳さんに合わせる顔がない。

今一度、必須手順を確認した。
インドネシアのルールも再確認する。


そのとき、「ひとりで、勝手に盛り上がっているわね」と、心の中の、もう1人の私の声が聞こえた。
「オバアに『恋愛運がない』と言われて、これまで事実、その通りだったじゃない?」と、もう1人の私の言葉は容赦がない。

小学2年生のとき、父方のオバアに言われたその言葉は、ただの『音』だった。言葉は聞き取れたが「恋愛」も「運」も、当時の私にはよく分からなかった。
6年生になり、中学2年生になり、高校3年生になるにつれて、つまり誰かを好きになるにつれて、その『音』は、意味を持った。今では重い意味を持っている。

ユタでもない一般人のオバアが、なぜ、あんなことを言ったのか。
根拠は何か。などと、何度も私は考えた。

私の両親は、オバアが私に『恋愛運がない』という予言を行なった、その前後で離婚した。予言前に離婚したのか、予言後に離婚したのかは、何度考えても思い出せなかった。

両親の離婚後、私は母に、正確には、母方のオジイとオバアに育てられた。
母は、仕事に生きる女だったから、離婚を機に、喜々として日本中を飛び回ったのだ。

父方のオバアは、離婚し、1人になる息子を不憫に思い、母を憎んだのだろうか。
2度、「あなたは恵子さんにソックリやさ~」と言われた記憶がある。そのときオバアの眉間には、深い縦ジワが刻まれていた。

大切な息子を捨てる愚かな女。その愚かな女にソックリな孫娘。きっとこの孫娘にも男を見る目は無いのだろう。そんな理屈だったのだろうか。

まただ。
私は、また、考えても仕方のないことを考えていた。

美佳先輩のお客様に、決してご迷惑をかけてはいけない。
私は頭を振って、スケジュール表を確認し直した。


4.バリ島、初日

祖父江

僕はやはり、運がイイ。
朝マックを食べ続けて5ヶ月。その努力が思わぬ形で報われた。宝くじを買ったことはないが、僕の運の強さは本物だと思う。この幸運を宝くじごときに回さなくて、本当に良かった。席は窓側だったし、隣がなんと空席だ。

そして、小宮山ひまりさんが同じ飛行機に乗っている。

アクシデントによるピンチヒッターだったというのだ。僕はこれからも、よこしまな考えであろうが、思いつく親切はドンドンやろうと思った。

経由地のジャカルタ空港までは、あと1時間と少しだ。村上春樹さんの『ノルウェーの森』を読んだが、内容が頭に入ってこなかった。僕は読書をあきらめ、目を閉じた。

搭乗前の、小宮山さんの宣言はユニークだったなぁ、と思い出した。
小宮山さんは、僕たちツアー客に、こう言ったのだ。

「このツアーが終わるまでは、私のことを『隊長』と呼んでください。隊長の命令は”絶対”ですので、逆らうことは許されません! よろしいですね」

この宣言に、一瞬、全員が固まった。
僕も、意味が呑み込めなかった。

小宮山さんは、「私、悩みました」と言って、説明を続けた。

「このツアーは西園寺美佳が担当するはずでした。私はその代打です。しかし、私は皆さまを、私のツアーの時と同じように全力でご案内すべきだと考えたのです。全力で行なうには、私の普段のスタイルで行なうべきです。
 そうなのです。私は普段、お客様に『隊長』と呼んでいただいています。正確には、呼ばせています。
 でも、代打の私が出しゃばった真似をして良いのか。出しゃばらないべきか、出しゃばっちゃうか、悩みに悩んで、私は出しゃばると決めました。私のいつものスタイルで、心を込めてご案内と、おもてなしをさせていただきます。
 それでは、今一度繰り返させていただきます。このツアーが終わるまで皆さまは、私のことを『隊長』と呼んでください。隊長の命令は”絶対”ですので、逆らうことは許されませ~ん! よろしいですね~」

若いカップルが、「隊長ですね。了解しました」「逆らいませ~ん! キャハッ!」と反応して、そのおかげでフワッと、みんなの空気が柔らかくなったのだった。

1人での参加は僕だけだった。

若いカップルは1組で、結婚前だと言っていた。新婚旅行は、また別に行なうらしい。
残り4組は、全員50代以上のご夫婦だ。参加者が少ないのは、昨年の後半、世界中に新型インフルエンザが流行したからだった。もう、ほとんど終息し渡航の制限は無くなっていたが、それでも旅行客数は完全に戻っていないみたいだ。

僕にとってはありがたかった。ツアー代金も割安だったし、何より空いているのがありがたい。

今回の旅行は、部長の下した、強制休暇命令がキッカケだった。

年に2度行われる社内営業コンテストで、僕の課は、5連覇を達成した。全国に200以上の支店があり、課の数はその3倍以上ある。課部門での営業成績は、このところ常に断トツの1位だったのだ。

芳賀部長は、「祖父江が休まないから、部下が休みにくいんだ。君が率先して休暇を取れ」と命令した。おそらく、芳賀部長の支店部門の連覇と僕の課部門の連覇とをやっかんで、あら捜しをした者がいるのだろう。本社に、社員を休ませずに働かせているなどという、根拠のない誹謗中傷があったのかなと、僕は想像した。

僕の課は、営業成績が良いので残業も少ない。契約に付随する事務仕事があり、それを当日中に終わらせようと残業する者が、ごくたまに出る程度だ。休日出勤する者もいなかった。お客様の都合で休日出勤を行なった場合は、必ず振替休日を取っている。

ただ、有給休暇の消化は悪かった。営業実績に応じて歩合給が出るから、部下たちは「有休を取れ」と言っても、身内の不幸や法事でもない限り、なかなか有休を取ろうとはしなかった。
成約という結果が出れば年収がUPするのだ。そもそも、有休などを考えてはいけないのが、我が社の社風だったのだ。

誹謗中傷は、きっと、僕の課員が誰も有給休暇を取っていない、というものだろう。

現実は逆だ。
営業成績が悪い場合、下の者は上長の顔色をうかがって、頑張っているアピールの残業や休日出勤を行なうことになる。
残業や休日出勤をしたくないならサボらずに働け。サボっていないのなら結果が出るはずだ。「頑張った」などとプロセスを語るな。営業は結果が全てだ。それが古い管理職の、部下への叱咤激励の定番ロジックなのだ。

本社が、いきなり法令順守を言い出しても、文化は簡単には変わらない。長く続いた悪しき慣習を振り回し、課員に圧をかける上司が圧倒的多数で、彼らのマネジメント手法は、なんら変わってはいない。変わったのは、「命令していないのに、部下が勝手に」という言い訳のセリフを加えただけだ。

そして、そのような課の営業社員は、定着しない。どんどん辞める。辞めるときに有給休暇を消化して辞める。ただそれだけのことだ。
うちの課は、きちんと有休を消化させているなどと、よくぞ言えたものだと思う。

いずれにせよ、まとめて休暇を取れという命令が、僕に下った。

長い休暇を、映画を観るだけ潰すのは勿体ないと、僕は考えた。
かといって、実家に帰るのは、兄夫婦に気を使ってしまう。

そんなとき、ある大家さんが「バリ島はイイよ」と熱心に勧めてくれたのだった。夕日の美しさと、バリ人のいとおしさと、ケチャックダンス素晴らしさと、マリンスポーツの楽しさと、プールサイドでの読書の優雅さなど、詳しく教えてもらった。

僕は、それらに興味を惹かれ、「なるべく終日自由フリーのツアーが良い」という注意点も守って、このツアーを選んだのだった。

人生は、偶然のてんこ盛りだ。

だから、もはや偶然とは呼べないと思う。地球の誕生も人類誕生も、偶然だったのかもしれないのだ。
僕たちの身体はモノスゴイ数の細胞でできていて、60兆個もの細胞があるらしい。細胞だらけだから、逆に「細胞」とは呼ばずに、「手」とか「足」とか別の名前で呼んでいる。

偶然だらけのこの世の中で、いちいち「偶然」と呼ぶのはオカシイかもしれない。

「運命」という単語が浮かんだ。僕の、頬が緩む。

「お飲み物は?」と声をかけた客室乗務員さんの、頬が、引きつっていた。
僕は、「オレンジジュースを」と答え、そして察した。

僕は、目を閉じていながら思いっ切りニヤニヤしていたのだろう。
ニタニタだったかもしれない。


ツアー客の女性が1人、小宮山さんに話しかけているのが見えた。
彼女は、常に笑顔だ。その笑顔は「にこっ」だ。
小宮山さんが、何かに、軽く驚いたようだ。目が大きく開かれている。

別の女性客が、収納棚から何かを取りたいらしい。このツアーのお客さんではないのだが、小宮山さんは、ごく自然に手伝っている。
小宮山さんだって、そんなに背は高くないから、少し大変そうだった。

また僕は、ニヤニヤしている自分に気づいた。


ひまり

「隊長~、島田って、知ってます~?」

ツアー客の1人、菅澤さんの奥さんに、私は話しかけられた。
私は、あえてクエスチョンマークを顔に浮かべて、首を傾けて見せた。

「島田は、私の兄なんです~」と、菅澤さんは言った。私は、ピンと閃いた。

「ええ~? 島田さんって、あの島田さん? お兄さんって、じゃあ、妹さんですか~?」

「そうなんです~! 兄から、ときどき隊長のことを聞いていて~。出発前の、あの『隊長と呼んでください』っていうひと言で、間違いないって思ったんですよ~」

「そういえば、目元が島田さんにソックリですね。お兄さんには、ホント、いつもお世話になっています」と私は頭を下げた。

「あっ、この目は母からの遺伝なんです~」

「クッキリな二重瞼で、私、うらやましいです~。ステキです」

「何を、も~ぉ。ありがとうございます。私はむしろ、隊長の奥二重がうらやましいですよ~」と、菅澤さんは社交辞令を返してくれた。

前の席の年配の女性が、上の荷物棚から何かを取り出したい様子だったので、私は、それを手伝った。こういう時、せめてあと5センチ背が高かったらなと思う。

私は、良い機会だと思いついた。

「あの~。菅澤さんに1つ、聞いてもイイですか?」

「もちろんです隊長~。何でしょうか?」

「やはり皆さん、何度もバリに来ていて、それぞれの楽しみ方や予定などもあると思いますし……。私が、何か企画を提案したならば、それって、……不愉快に感じちゃいますか?」

「企画ですかぁ。例えば、一緒に夕食を頂くとかぁ、一緒にオプショナルツアーに一行きませんかとか、そういったご案内でしょうか?」

「そうです、そうです」

「自由参加なら、呼びかけても、ぜんぜん構わないと思いますよ。ねぇ、あなた?」

「ああ、声を掛けるのは、何の問題もないだろう」と、菅澤さんのご主人も肯定してくれた。
「そうよそうよ。もし、内容や日時が合わないなら、参加しないだけなんですから」と奥さまが、素の意見という口調で言ってくださった。

「嬉しい~! 何か考えてみますね! もちろん自由参加にしますので!」

「ええ~、私も主人も、興味と都合が合えば、そのときは参加しますから」

「ありがとうございます~! 相談して良かったです~~~!」

私の脳が、やっと回転し始めた。自分の座席に戻ると、いくつかのアイディアがすぐに浮かんで、その作戦を思いつくまま、ノートに走り書きした。


* * *


飛行機は無事に、デンパサール空港に到着した。ほぼ予定通りの時刻だった。
現地ガイドのナルマールさんが、到着ゲートで迎え入れてくれた。
外はもう、真っ暗だった。

ナルマールさんが、バスでホテルに向かうと説明を行なった。日本語は完璧で、とても丁寧な語り口調だった。誠実な人柄が伝わってくる話し方だ。

ターンテーブルでは、全員がスーツケースを見つけ出していた。そこからバスへ向かい歩き出すと、すぐに数人のバリ人が、ツアー客のスーツケースに近づいてきた。
スリや泥棒ではなく、ポーターを勝手に買って出るという、いわば押し売り的なサービス行為で、途上国には良くある光景だった。

私は、少し心配になって、若いカップルと祖父江さんを探した。若いカップルは問題なかったが、祖父江さんはスーツケースを、バリの青年に任せて歩いている。

祖父江さんは、能天気な表情をしていて、私は可笑しくなってしまった。
私は、少し後ろに下がって、様子を見守ることにした。

バスに着くと、ポーターサービスをしてくれた青年に対して、祖父江さんは「ありがとう」と言った。
バリの青年は、「せん」と言って手のひらを出した。
祖父江さんは、「え? なに?」と尋ねる。
青年は、それには答えず「せん」という言葉と手のひらの動きを、ただただ何度も繰り返した。

祖父江さんは、「ああ、これって有料だったの?」と言った。

私は、ケンカにはならないと判断して、バスの中へ入り、人数確認を行なった。数え終えると1名足らず、その1名の祖父江さんが、バスの中に入ってきた。

全員そろったので、運転手さんに、ホテルへ向かってくださいと、私は告げた。

「千円も上げたの?」
「もったいない~」
「ルピア、持ってなかったの~?」

という会話が、後方の座席から聞こえてきた。

「両替所は現地がお得だと、『地球の歩き方』に書いてあったんですよ~」という、祖父江さんの声も聞こえた。きっと全員に聞こえている。

誰かが、「そうやってだまされる日本人がいるから、彼らは日本人にまとわりつくんだよ」と、ややキツイ口調でボヤいた。

一瞬、ホンの少しだけど、車内の空気が硬くなってしまった。

「確かに! その通りですよね。ありがとうございます」という祖父江さんの声が聞こえた。「勉強になるな~。助かります」と、さらに聞こえた。

バスの中の空気が、通常に戻った。いや、少し柔らかくなったと、私は感じた。
長いフライトで疲れているはずの、常連さんたちの表情がなごんでいた。

(あっ!)

私は、声を上げそうになり、それをこらえた。

(私、今、得意気になっている……)

そんな自分の思いに気づいて、顔が熱くなった。きっと、私の頬は真っ赤になっているのだろう。
冷静にならなければと思い、私は、通路を挟んで座っているナルマールさんに、小さな声で話しかけてみた。

「あのう。さっきのような勝手なポーターサービスについて、お客様に、前もって注意をうながした方が良いように思うのですが、ナルマールさんは、どう思いますか?」と。

ナルマールさんは私の目を見て、そして視線を落とし、もう1度私の目を見て言った。

「彼らには、生活が、あります」と。

ナルマールさんの目と、言葉とには、苦渋が浮かんでいた。
私に、ナルマールさんの気持ちが伝わってきた。

ナルマールさんは、お客様を大事に考えていて、同時に、この町の貧しい少年たちも大事に考えているのだろう。
その間に立つ人間として、中立に徹すると、そう決めているのではないだろうか。

必要なことは言う。でも、余計なことは言わない。そのような、ナルマールさんの気持ちが、私には、じんわりと、しかし、明確に感じられた。


* * *


バスは、ゆっくりと、ホテルの車寄せを回って、停車した。

ここインペリアルホテルは、Sランクの高級ホテルだ。バリ島には、さらに上のSSランクのホテルもあるが、その数はわずかしかない。

このホテルのパブリックスペースのドアは、全て、自動で開くが、それは電動で開くのではなかった。ドアマンやドアレディが開閉してくれるのだ。

その、高級ホテルのロビーをお借りして、私は、ツアー全体の説明を行なった。
団体行動は、明日1日だけ。主に、有名な寺院を巡る予定。集合時間と解散時間。昼食のこと。そして、ヒンズー教のルールや注意点。それらを、ごく簡単に伝えた。

「集合場所は、このロビーになります」と、私が言った途端、フッ……と、ロビーが真っ暗闇になった。

「ふぇぇ」、という声が聞こえた。

「停電で~す!」という、ナルマールさんの、落ち着いた大きな声が響いた。

「このホテルは、自家発電が、あります。すぐ、明るくなります。その場で、動かないで、下さい」と、ナルマールさんの落ち着いた声が、暗闇に染み響いた。

「動かないでくださ~い」と、私も、やや大きめの声で言った。

停電なので、照明は1つ残らず消えていて、暗さに目が慣れていないからか、まさに、鼻をつままれても分からないという状態だった。

パッと、照明が点いた。自家発電に切り替えられたのだろう。照明の明るさが、さっきまでの半分以下に感じた。

真っ暗だったのは、1分程度だろうか? 2分くらいだっただろうか?

バリ島では、電力の受給バランスに問題があり、ちょくちょく停電があるという予備知識はあった。高級ホテルに自家発電設備があることも、私は予習して知っていた。でも、知っているだけでは、ぜんぜん足りないと痛感した。

私は、街のレストランなどの場合、自家発電設備があるのがスタンダードなのか、無いのがスタンダードなのか、そこまで突っ込んで調べていなかった。
街に出たお客様が、ディナー中に停電となったなら、色々な問題が生じそうだと思った。後でナルマールさんに、詳しく聞く必要がある。私は、その場でノートにメモをした。

若いカップルの2人が笑っていた。

「祖父江さん、今、『ふぇぇ』って言ったでしょ~」と、彼氏さんが言った。彼女さんは、お腹を抱え笑っていた。

「僕、暗いの、苦手なんです~」と祖父江さんは、まだ怯えている顔をしていた。

「さっきの『ふぇぇ』は、最高でしたわぁ~」と、上品な口調で、米山さんの奥様が言った。
「そうそう」と、みんながニヤニヤして、「大きな身体なのに、ビビリなんだね」と、菅澤さんのご主人が冷やかした。

「暗いのだけ、ダメなんです」と、祖父江さんは、小さな声で反論した。

若いカップルの彼女さんが、すごくニヤニヤした顔で、「高い所は?」と質問した。
祖父江さんは、「あ、…高い所も苦手です」と、少しうなだれるようにして言った。

みんながドッと笑った。

私も笑ってしまった。ナルマールさんも笑っていた。
誰かが「『暗いのだけ』じゃ、ないやん!」とツッコミを入れた。

また笑いが起こって、私は、また、得意な気持ちになっていた。


5.バリ島、2日目

ひまり

早朝、私はホテルの裏口から、ビーチに向かって歩き出した。

ビーチに出て、伸びをして深呼吸した。右へ歩き出すか、左へ歩き出すか、ビーチを遠くまで、左右をそれぞれ眺めた。

私が、ビーチを左に歩き出すと、すぐに、「隊長~!」と声をかけられた。振り向くと、菅澤さんご夫婦だった。

私は、足を止めて、菅澤さんご夫婦が追いつくのを待った。

「隊長も散歩ですか?」

「ええ。ビーチは気持ちイイですよね~」と、私は答えた。

「隊長は沖縄出身ですよね。海、メッチャ好きなんでしょう~?」

「大正解で~す!」

「夕方のビーチ散歩も、最高ですよ~」と奥さんが言って、「このレギャンビーチは、世界1の夕日だと、そう言われていますからね~」と、ご主人が付け加えた。

「世界1~? じゃあ、夕方も散歩しなくっちゃ~」と私は言った。

沖縄でも、ときどきビーチを散歩した。もちろん毎日ではなかったけど。海は、あたりまえに海だったし、その海の美しさも、また、当たり前だった。
沖縄にいた頃の私は、海は大好きだったけど、海の価値は知らなかったのだ。

東京で暮らすようになり、海やビーチが遠くなると、私は、海の価値を知った。
今も、海の存在を全身で感じ、涙があふれそうになっている。

私にとって海は、心を癒してくれる母であり、心通じ合う恋人でもあった。

前方から、歩いて、近づいてくる人がいた。その人は祖父江さんだった。
すれ違うとき、菅澤さんの奥さんが「おはようございます」と言った。
ご主人も「おはようございます」と続いた。

私も「おはようございます」と言った。
祖父江さんも「おはようございます」と言った。

4人は、自然、歩調を緩め、止まった。

「散歩は気持ちイイですよね」と、奥さんが言った。
「ですね。クセになりそうです」と、祖父江さんが応えた。

「また」「またね」などと言って、3人と1人は離れた。

私たちはまた3人で、たわいもない話をしながら歩いた。
時には無言になり、波の音に耳を澄ませ、水平線の彼方に視線を向けて歩いた。

「この辺で戻りましょう」と奥さんが言った。
私は「そうですね」と応えた。

戻りながら、私は心の中で、明日はもう少しだけ、早く起きようと思っていた。


祖父江

僕は、中学生の修学旅行で、ガイドさんの解説を聞く面白さを知ってしまった。
ヤンチャな男友達からは、女性ガイドさんが好きなのだろうと冷やかされたが、僕は、そんなことは気にせず、放置した。
建築物の歴史や、それに関連するエピソードは、とても興味深かった。作られた理由や背景などを知ると、その建物に愛おしさを感じられた。

今日は、たくさんの寺院を見学できるので、僕はワクワクしていた。

移動はマイクロバスで行なわれた。駐車場にバスを停めて、そこから寺院まで歩く。
駐車場から寺院までの、そのわずかなチャンスを狙って、少年・少女が声をかけてきた。背丈から、小学校の低学年と、小学校に上がる前の子供たちに見えた。

「コーラ、あるよ~」「エハガキ、キレイよ~」と、子供たちは日本語でセールス活動を行なう。「いくら?」と聞くと、判で押したように「センえん」と返ってくる。

僕は空港で、ポーターに言われるまま、1000円を支払った。

このことがキッカケとなり、僕は、バリ島の通過や物価を学び直した。『地球の歩き方』に、ちゃんと分かりやすい解説が書いてあった。

通貨の価値は、例えば、10万インドネシアルピアは、日本円で約1000円だった。1万ルピアは100円だし、1000ルピアは10円。おおよその目安として、0を2つ消すと良い、と書いてあった。

通貨とは別に、物価の違いもある。
物価は、大雑把に言うと10倍の違いがあるようだ。
日本の大卒初任給は、月収25万円くらいだが、その25万円を、このバリ島でルピアに替えたなら、1年間生活できてしまうらしい。
バリ島では、高収入と言われるホテル従業員の月収が、約2万5千円。年収は、約35万円と書いてあった。

僕は空港で、ポーターに1000円を支払った。
1000円は、約10万ルピア。10万ルピアは、このバリ島では高給取りの1日の稼ぎ以上の金額になる。

今、僕の頭の中には、そのような予備知識がある。

ペットボトルのペプシコーラ1本に、「センえん」と言われ、反射的に「高い」と口にしていた。

僕に「高い」と言われた少年は、手のひらをパーにして見せた。おそらくそれは、「5」を示している。
僕は、ニヤリと笑った。
きっと少年は、高いか、ならば半額でイイけど、と交渉を行なっているのだ。

いたずら心が生じた僕は、わざと、「千ルピアにしてくれる?」と聞いてみた。

少年は、首を左右に振った。1000ルピアは約10円。ここの物価では100円の価値。それでは赤字になるのだろう。
しかし少年は、首を振ってノーと伝えたが、怒ってはいなかったし、ムッとした感じもなかった。

さらに、落胆することもなく、そして、あきらめることもなく、歩く僕についてきた。

僕は、少年が愛おしくなった。

「1万ルピアなら買うけど」と、少年に言って、1万ルピア紙幣を見せた。

少年は笑顔になった。
僕は、もっと大喜びするかと思ったが、少年は、はにかみながら「タレマカシー」と言った。
お金を支払い、ペプシコーラを受け取って、僕も「タレマカシー」と言った。

はにかんだ少年の笑顔は、やはり愛おしかった。


* * *


その日、最後の寺院見学の後だった。

駐車場のバスへ戻る道すがら、僕は、1人の少女から絵葉書を買った。やはり、最初の「センえん」では買わずに、ちゃんと適正価格と思われる価格を提示して、交渉を成立させた。

5枚セットの切手のない絵ハガキだから、300円が妥当だと考えた。それが、少女には3千円の価値だろうが、そこはもうどうでも良かった。僕にとってはちょうど良い価格なのだ。

少女は、はにかんで「タレマカシー」と言った。

僕に渡す絵葉書は、握りしめて半分丸くなった絵葉書ではなかった。ちゃんとキレイな絵葉書が、たすき掛けのカバンの中から取り出された。
つまり、その握りしめていたハガキは、サンプルだったのだ。

誠実な商売じゃないか、と僕は思った。

丸まり、少し汚れた絵葉書だけど、まあ目をつぶってあげようと、僕は、無意識に上から見下ろすような考え方をしていた。

僕は、そんな自分を恥じた。

ガイドとして同行していたナルマールさんが、僕に近づいてきてこう言った。

「彼らは、小学校へ、行けません。彼らの親は、お金が、ないのです」と。

僕は、返す言葉を探した。

「バリでは、普通です。バリの子供、だいたい、80パーセントは、小学校に、行って、いません」と、ナルマールさんは、淡々と説明してくれた。

たまたま、前を歩いている小宮山さんが、別の少女から絵葉書を買っているのが見えた。
僕は、話しかけるキッカケになるな、と思った。

小宮山さんは、キレイな絵葉書を拒否して、少女が握りしめて丸まった絵葉書を指さした。

「こっちをちょうだい」と、言っている。

少女は不思議そうな顔をしたが、それに応じた。やはり、喜びの表情は、はにかみだ。

「隊長」と、声をかけて、僕は、自分の買った絵葉書をヒラヒラさせて見せた。

「祖父江さんも買ったんですね」と聞かれたので、僕は、ええと答えた。

「隊長は、あえて丸まっているサンプルを買ってましたね」と、言ってみた。

「そうなの。たぶん旅の思い出として、私は、部屋のどこかに置くと思ったの。私、絵ハガキを書いて誰かに送ることは、きっとしないなって思って。それならば、あの子の手のひらに握られて、丸まった絵葉書の方が、その方がイイなって、閃いちゃったんですよ~。ナイスアイディアだと思いません?」

小宮山さんは、満面の笑みで、そう言ったのだ。

僕は、鼻の奥がツンとしてヤバかった。

物ではなく思い出を大切にしているから、僕は鼻の奥がツンってなったのだろうか?
たぶんそうだ。
あるいは、少女から絵葉書を購入する、その姿がやさしさに満ちていたからか。
たぶんそうだ。
あるいは、ステキなことを思いついちゃったと自慢する心が、とてもキュートだからか。
たぶんそうだ。

あるいはそれが、小宮山ひまりさんだったからか。

それだ。

「そのアイディアは凄いなぁ」と、僕は頑張って言った。

涙声にはなっていなかったはずだ。


* * *


夜、僕は1人で街に出た。商店街を散歩して、どこかで晩ごはんを食べるつもりだった。
ホテルからは、タクシーに乗った。

タクシーも、土産屋も、雑貨屋も、レストランも、ほぼ日本語が通じるので、前に行ったハワイより、楽しく買い物ができた。レストランでの注文も、一切困ることはなかった。

課員へのお土産は、チョコレートやピーナッツにした。
賃貸部門の女性スタッフには、フェイシャルマスクやリップクリームを買った。
設計・施工部門のスタッフや上司へのお土産は、また別の日に買うこととした。

タクシー乗り場に行った。
値段交渉を行ない、合意となって、僕は、後部座席に座った。バリの運転手は、陽気に話しかけてくる。明日はどうするのかと聞かれ、答える間もなく、観光地のキンタマーニには行ったのかと聞かれた。来るときの運転手と、完全に同じ会話だった。

僕は、ふと思った。
彼ら運転手のトークは、世間話というよりも、「オイラは、1日観光の運転手ができるけど、どう?」という、セールスなのではないか。

そう考えた方が、合点できた。

タクシーがホテルに着いた。僕は、交渉済みの金額にチップを加えて支払った。
運転手さんは、満面の笑みで「タレマカシー」と言って、このホテルの待機タクシーに加わった。

ホテルは、あちこち至る所でガムラン音楽が流れている。全て生演奏で、心を浄化する心地良い音色が、これまたちょうど良いボリュームで流れ続けている。

正面玄関を入ると、すぐ、BARへ誘導する立て看板があった。
僕は、BARに入ってみることにした。

ロックウイスキーとミックスチーズを注文した。
バーボンウイスキーをオンザロックで楽しみながら、僕は、バリの子供たちのことを考えていた。

彼らは、本当に千円で買ってくれるとは、決して思ってはいない。
それが僕の、推理だった。

子供たちの「せんエン」は、言うだけ言っておこうという、その程度のものに感じた。
きっと、年に1度なのか月に1度なのか、千円で売れることがあるのだろう。
しかし、言わなきゃ、そのマグレ当たりには当たらない。

だから、期待するワケではないが、言うだけ言っておこうと、そのような商習慣があるのではないか。

ここまでは自分の推理に自身がある。問題はここからだった。

彼らは、まんまと千円札をゲットしても、驚かないし、はしゃがない。
かといって、「冗談です、こんなに要りません」と言ったりもしない。堂々と受け取る。
高い価格で売れたとき、彼らに罪悪感は生じないみたいに感じる。ビジネスが、最高に上手く行ったという、そういう解釈なのだろうか。

そして彼らは、10分の1とかまで値切られても、「ちっ」という舌打ちのような反応をしない。

その様な反応を、僕は見逃していたのだろうか。それとも彼らの、商売人としてのモラルの高さなのだろうか。
いや、バリ人の人柄な気がする。「ちっ」と、舌打ちする文化がないのかもしれない。


「エクスキューズミー」という声で、僕の思考は中断された。

3人の男性が、英語で話しかけてきた。彼らは楽器を持っていた。ギターやタンバリンが見える。1人が日本語で、「歌っていいですか?」と聞いたので、僕は頷きながら、「どうぞ」と言った。

その場で、洋楽が演奏され歌われた。どうやら、日本でいう『流し』のようなものらしい。
1曲歌い終わると、僕はリクエストを問われたが、彼らがJ-POPを歌えるとは思えなかった。

ホテル・カリフォルニアは歌えるかと聞いてみた。彼らは「イエス」と頷いたので、「ホテル・カリフォルニアを、ホテル・インペリアルで歌って」と、僕は言ってみた。

「オーケー」と言うなり、彼らは演奏し、歌い出した。ボーカルは、僕の注文通りに、ホテル・カルフォルニアのところを、「ホテル・インペリアル」に替えて歌った。そこをやや強調して歌ってくれた。

歌い終わると、僕以外にも、20~30人のお客さんが拍手をして、なんか盛り上がってしまった。

「チップ、プリーズ」と言われたので、僕は10万ルピア紙幣を差し出した。千円だから、ちょうど良い額だろうと、僕は思った。

バリに慣れてきた自分に、僕は少し喜びを感じていた。


6.バリ島、3日目

ひまり

早朝。
私は昨日より、10分早く部屋を出た。

昨日と同じで、ロビーのガムラン音楽は、まだ始まっていなかった。
昨日は、散歩から戻ってくると、ガムラン音楽が流れていたのだ。

ビーチに出て、左へ歩き始める。

「隊長~」という祖父江さんの声が、私の背中に飛んできた。

私は立ち止まり、振り返った。
昨日の、島田さん夫婦にも同じことをしたのだ。公私混同ではないと、私は自分に言い聞かせた。

私たちは、世間話をしながら歩いた。
祖父江さんが、「僕はこの半年、ほぼ毎朝、朝マックを食べたんです」と言った。

私も、あのマクドナルドで、何度か食事をした。朝だって行ったことがあったのに。
私の呼吸のリズムが、少し変になった。

祖父江さんは、「あの駐輪場の前にも、僕と隊長は会ってたんですけど。隊長、憶えていますか?」と言った。

私は、「ええ? あの前に?」と驚いて聞き返した。

「かなり前に」と、祖父江さんは言った。

少し考えたけど思い出せず、「ごめんなさい、分からない」と、正直に答えた。

「池袋の居酒屋です。僕の背中に、小宮山さんのバッグが当たりました」

「あっ!」と言って、私は立ち止まった。

私は祖父江さんを誰かに似ていると思っていたが、それは、あの時ビールをこぼした祖父江さんだ。祖父江さんが祖父江さんに似ているのは、当たり前だった。

「居酒屋で会って、駐輪場で会って、そして成田空港で会って。3度目だったんですね」と、私は言った。

「3度目の正直、ってやつですかね」と、祖父江さんは、私に笑顔を向けて言った。

祖父江さんから感じる好意は、私の勘違いではなさそうに思えた。

私たち2人に、アタッシュケースを首から下げた、バリ人のオジサンが近づいてきた。

「ハネムーン?」と問われた。

祖父江さんが、手を振って否定する。手の振りが大きすぎるし、ニヤニヤしている表情が面白かった。愛嬌が出まくっている。

オジサンはアタッシュケースを開いた。
アタッシュケースにはストッパーがあり、90度と少し開いて止まった。

オジサンの胸の前に、腕時計が30個くらいの小さなショーケースが現れた。昨日、菅澤さんご夫婦が、相手にもしなかった時計売りのオジサンだ。

「ロレックス、安いよ~」とオジサン。

「ええ? ロレックスが? いくら~?」と祖父江さん。

「3ゼンエンね~」

「ええ? ロレックスが3千円~? 安すぎる! これ、本物?」と祖父江さんが聞いた。

「ニセモノネ~」と、オジサンは言った。

「ははは~!」と、祖父江さんは笑った。

「隊長~、聞きました? 『ニセモノネ~』って、即答ですよ! 超~正直!」と、凄く楽しそうだった。「バリの人って、人を騙だまそうなんて気持ち、きっとないんですよ!」と、少し興奮さえしていた。

「安いよ~」と、オジサンがまた言う。

「いや、そりゃあそうでしょうよ、だってコレ、本物?」

「ニセモノネ~。ンー、今日~、2センエン、イイヨ~」

祖父江さんは買おうとしたが、お財布を持ってきていなかった。
私も手ぶらだった。

「ゴメンね~。今日は買えないや~」と、祖父江さんが言った。

ニセモノの時計売りのオジサンは、とても残念そうな顔をしていた。

人と接している祖父江さんを見ていると、私まで幸せな気持ちになる。
誰に対しても優しく接する人柄が、まるで、周りの空気までも幸せにしているみたいだ。

祖父江さんが歩き始めると、オジサンが「ナンカ、オトシタヨ」と言った。
祖父江が振り返った。

オジサンは「アシアトネェ~」と言って、ニヤッと笑った。

「え? 隊長、…オジサン、今、…何って言ったんですか?」

「最初は『なんか落としたよ~』って言って、祖父江さんが振り返ったら、『足跡ね~』って言ってました」

私は、笑いをこらえて、真顔で教えてあげた。

「ええ? あっ、足跡? 足跡が落ちてるよって、そういうこと?」と言って、祖父江さんは少し考えていた。

2秒後、「ああっ! 『アホが見る~』的な、オチョクリかぁ~」と、全てを理解していた。

私も笑った。

「スゲェ~! 最高だ! 足跡だから嘘じゃないし。バリ人って、最高! メッチャ明るいなぁ~」と、祖父江さんは大絶賛した。

満面の笑みで、本当に楽しそうだった。


* * *


ホテルに戻ると、やはり、ガムラン音楽が向かい入れてくれた。ガランゴロンと、とても癒される音色なのだ。

私は、フロントスタッフに呼び止められて、それで、祖父江さんは自然に解散になった。

「あなたの忘れ物が届けられています」とフロントスタッフは言って、ショルダーバッグをカウンターの上に置いた。

間違いなく、私のショルダーバッグだった。
仕事中に、忘れ物をしたことなんて、私は1度もなかった。

フロントスタッフは、困ったような顔をしている。私が固まって動かなかったからだ。

私は、我に返って「タレマカシー」とお礼を言った。どこで見つかったのか聞いてみると、昨日のマイクロバスの中だという。
ショルダーバッグの中には、タオルとハンカチとポケットティッシュ。そして冷房対策用の薄いカーディガンだった。全てある。

お財布などの貴重品は小さなサコッシュに入れてあったし、仕事道具のバインダーは手に持って部屋まで持ち帰っていた。
私は、ショルダーバッグを忘れたこともショックだが、今の今まで忘れていたことに気づかなかったことに衝撃を受けた。

ツアーコンダクター失格だ。

届けてくださった方の貴重な時間を奪ってしまい、お詫びしてもお詫びしきれない。時間をお返しすることは、不可能なのだから。

今の私は、仕事に集中できていない。その『事実』を突き付けられた。
公私混同をしかねない。いや、既に公私混同をしている……。

私には、私が決めた掟があるのに。


祖父江

今日は『何もしない日』と、僕は決めた。

これこそが、一人旅の醍醐味で、最も贅沢な行為だと、バリ島旅行を勧めてくれた大家さんが言っていた。
何かをすることは、いつでもできるし、日頃も行なっている。だからこそ、『何もしない日』という贅沢を、シッカリと味わう。

何もしないといっても寝てすごすワケではない。座禅を組んで瞑想するワケでもない。
僕は、プールサイドに行き、パラソルの下で読書を楽しむと、前もって決めていた。そのための文庫本も、何冊も持ってきてある。そして、昼寝も楽しむつもりだ。

ボーッとしてもいいし、考え事をしてもいい。
ビジネス書や自己啓発本は、あえて持ってこなかった。大好きな小説を存分に味わう。最高の娯楽が、これから始まるのだ。

プールに入ることはないが、念のため海水パンツで行くことにした。上はTシャツ1枚で良いだろう。タオルも不要だが、念のため1枚だけ持って行こう。文庫本は、厭きることも考慮して、テイストの異なるものを3冊用意した。念のためにハンカチも持って行こう。
それらを、布製のトートバックに入れた。

チップ用のお札を数枚ポケットに入れた。日焼け止めを、バッチリ塗っておく。赤道直下の太陽を舐めてはいけない。サングラスをかけたなら、準備完了だ。

エレベータで、プールのある屋上へ移動した。
プールに着いて、僕は、ざ~っと見まわした。1番良さそうな位置を模索した。

真ん中にプールがある。
プールの左手に、レストラン&バーの厨房があった。厨房をコの字に囲むようにカウンター席がある。あそこで飲食ができるのだろう。

僕は、サマーベッドの上で寝ころびたい。
サマーベッドは大量にあった。プールの手前のこちら側と、プールの向こう側に、たくさんのサマーベッドとパラソルが置かれている。

早く来て、正解だったと僕は思った。お客さんはほとんどいない。
場所は、選びたい放題だ。

込み合った場合、見知らぬ人に挟まれたくはないから、通路脇が良い。
ここなら、プールもバーも遠いから人気がなさそうだ。でも、前は抜けていて、視界に寝ている人が入ることもない。

ここにしよう。

日差しを考え、今後の太陽の位置と、陰の位置を考えた。
サマーベッド右にあるパラソルを左に移動した。サイドテーブルも左に置き替えた。

完璧なセッティングができた。

腕時計を見ると、時刻は10時を少し過ぎていた。おそらく僕は、夕方の4時か5時まで、ここにいるだろう。僕は、この準備だけで、もうすでに幸せな気分になっていた。

持ってきた3冊の中から、西村京太郎のミステリーを手にし、考え直して、僕は村上春樹を読むことにした。
やがて僕は、『ノルウェーの森』の世界に没入していった。

現実がどんどん、薄れてゆく。

「お飲み物は、いかがですか?」と、ウエイトレスに声をかけられた。

控え目な笑顔のウエイトレスさんだった。声を掛けるタイミングが最高に良かった。
僕は、約1時間、小説に没頭していた。

ウエイトレスさんは、カウンターに誘っているのではなく、飲み物はここまで持ってくると教えてくれた。
昼食も、この場所でできるらしい。最高だ。

僕は、ビールを頼んだ。ルームキーを見せて、ウエイトレスさんはナンバーをメモした。

すぐにビールが届いた。「ランチは?」と聞かれた。
12時30分くらいに食べる、と僕は応えた。

プールサイドで飲む昼間のビールは格別だった。バリのビールは日本のビールと異なり、軽い飲み味だった。コクを捨てて、キレだけに振り切ったという感じだ。

読書を再開したが、僕は、いつの間にか眠っていた。
ウエイトレスさんの「ランチ、どうしますか?」という声かけで、目を覚ましたのだ。

12時半になっていた。
メニューを持ってきてくれていた。

ナシゴレンとビールのお代わりを注文した。

プールで泳いでいる人は1人もいなかった。
この広い屋上に、お客さんは10人くらいしかいない。店員の数と変わらないな、と思った。

ナシゴレンとビールがサイドテーブルに置かれ、そのナシゴレンを食べ始めたタイミングで、「こんにちは」と声をかけられた。

小宮山さんが、「なにされてるんですか?」と、僕に聞いた。

「こんにちは。『何もしない』をしています」と、僕は答えた。

小宮山さんはビキニの水着姿だった。
白地にグリーンの葉と、丸ごとレモンがレモン色で描かれている。同じ柄のラッシュガードを羽織っていたが、ファスナーが全開だったので、僕は目のやり場に困ってしまった。

「何もしない …って、何?」と、質問された。

説明が長くなると思い、僕は「読書とうたた寝を楽しんでます」と言い換えた。そして、「隊長は、ココで泳ぐのですか?」と聞いた。

「泳ぎませんよ~。企画を考えるのです」と言って、小宮山さんはノートを掲げて見せた。ペンも、指とノートの間に見えた。

「企画ですかぁ」

「自由参加です。良かったら祖父江さんも参加してくださいね。ビーチに行ったらにぎやか過ぎて、それでこっちに移動したんです」

「こっちは午前中から、ず~っと、ガラガラですよ。隣、空いてますけど」と僕は、勢いに任せて言ってしまった。

「……ほかのメンバーに見られたら、誤解されそうですから」と、小宮山さんは苦笑いを浮かべて、顔を左右に振った。

「あ、そうか。そうですよね」

「なので、アッチに行きます」

「はい、わかりました」

「それは、なんですか?」と、小宮山さんは僕のサイドテーブルを見て尋ねた。

「ナシゴレンです」と、僕は言った。

「美味しそうですね。私も、食事しようかな。では、お邪魔しました。ごゆっくり~」と言って、小宮山さんは歩いて行った。

僕は、彼女がどこに座るのか気になり、その動きをチラチラと目で追った。小宮山さんは、僕の位置から最も遠い位置まで移動した。プールの向こう側の、さらにその奥。そこにあるサマーベッドに座るみたいだった。

僕は、ナシゴレンを食べた。ビールも飲みほした。
気の利くウエイトレスさんと目が合った。すぐに寄ってきて、「飲み物は?」と聞いた。僕はジンジャーエールを頼んだ。

ほんの少しだけ、パラソルの位置を変えた。太陽はほぼ真上にある。パラソルの位置をベストにすると、足の先も日影に収まった。

僕はまた、読書を再開した。


* * *


僕は、またうたた寝をしていた。
ウエイトレスさんが「お飲み物はいかがですか?」と声をかけてくれて、それで目覚めた。

心地好い、うたた寝だった。
僕は、またビールを頼んだ。

僕は不思議に思った。うたた寝を邪魔されたなら、イラッとしてもおかしくないのに、なぜ僕は、心地好く目覚めるのだろう。
ウエイトレスさんの声かけのタイミングが絶妙なのだろうか。あるいは、僕の心が穏やかだからなのか。

僕は目で、小宮山さんを探した。
ちょうど小宮山さんが立ち上がるのが見えた。そして小宮山さんがコッチを見た。

僕は、上半身を起こし、手を振った。
小宮山さんも手を振って応えてくれた。そして、ペコリと頭を下げて歩き出した。

僕は、向こうにも、エレベータがあったことを思い出した。きっと、そのエレベータを使うのだろう。

小宮山さんは、小柄なのに胸は小さくなかった。そして脚が長かった。

ウエイトレスさんがビールを持ってきた。笑いをこらえているような、そんな顔をしている気がした。

僕は、鼻の下を伸ばしていたのかもしれない。少なくともニヤニヤしていたのだろう。
『ノルウェーの森』を読むことに抵抗を覚えたので、僕は、西村京太郎さんの『D機関情報』を読むことにした。


7.バリ島、4日目

祖父江

今日、僕は、ほぼ丸1日を使ってバリ島の観光地を回る。

昨日、現地ガイドのナルマールさんに、ドライバー兼ガイドを依頼したが、別の予定が入っているからと、断られてしまった。
ナルマールさんは、代わりに20代前半の青年を紹介すると、言ってくれた。

「彼は、明後日の、マリンスポーツ。そのときも、ビーチまで送迎します。安全運転、ナンバーワンです」と、その青年のセールスポイントを、いつものように、丁寧に教えてくれた。

待ち合わせ時間の少し前に、僕がロビーへ行くと、ドライバー兼ガイドの青年は、すでに待っていてくれた。

青年は、「バリノ、カスガデス」と名乗った。

日本人観光客から、お笑い芸人に似ていると良く言われるので、最近では自ら、「バリのカスガ」と名乗っているのだという。

「春日、ああ、ホンの少し似ているね」と、僕は言った。

「ホントウ? ウレシイです。トゥース!」と彼は言った。

「ああ、おお」と、僕は言った。

バリのカスガ君は、「ボク、日本に、カノジョいます」と、聞いてもいないことを言い出した。

僕は、ますます困ってしまい、「おお~。日本に彼女がいるんだぁ」とオウム返しした。

「日本人のカノジョです。ワラビって知っていますか? 東京にチカイ?」

「ん? あ、蕨市のことかな。それなら知っているよ」

「カノジョは、そこにいます。祖父江さんは、カノジョはいますか?」

僕は、いないと答えた。
彼は好青年だが、空気は読めなかった。

バリのカスガ君は、「まず、どこに行きましょうか」と言った。

僕は、昼食の希望時間と、ホテルに戻る希望時間を伝えた。
「それ以外は全部、カスガ君に任せるよ」と、僕は言った。

「わかりました」とカスガ君は言って、僕を車まで案内してくれた。車はワンボックスの乗用車だった。僕は迷ったが、後部座席の2列目に座った。3列目では、カスガ君と会話するのに遠いと思ったからだ。

「ウブドに、行きます」とカスガ君は言って、車をスタートさせた。結局僕は、彼の本名を聞き忘れてしまい、終始「カスガ君」と呼んでいた。

カスガ君は、意外にも雑学が豊富だった。バリ島の、歴史的なことや宗教的な情報を、折に触れて語ってくれて、そのオシャベリは聞いていてとても面白かった。
特に、バリの成人式や、バリのお葬式についての説明は、メチャクチャ興味深かった。ヒンズー教徒のバリ人は、お葬式のために生きているというカスガ君の説明は、無宗教の僕には、考えさせられる内容だった。

バリの男性は、基本、オシャベリなのかもしれない。カスガ君も、どんどん話すので、僕はとても楽だった。気まずくなることもなかったし、何か話さなければと、僕が気を揉むことはなかったのだ。

そのとき車は、高地へ向かっていた。道路はキレイに舗装されていて、ゆるやかなカーブが続いていた。

大きな木に、大きな木の実がぶら下がっているのが見えた。

「カスガ君、あの木はなに? ほら、あの大きな木の実の生っている木」と、僕は聞いた。

「ああ~。アレは~、ウ~ン、ナンカの木です」とカスガ君は言った。

カスガ君だって、そりゃあ知らないこともあるよなぁと、僕は思った。


* * *


ウブド村を観光し、昼食を食べた。
レストランでの昼食には、フルーツBARがあった。新鮮で美味しいフルーツが食べ放題なのだ。見たことのないフルーツもあった。

「これは何?」と指さしして、僕はカスガ君に聞いた。

「コレは、ナンカのミです」と、カスガ君は言った。

「なんかの実、カスガ君にも名前の分からないフルーツかぁ。……ん? もしかして、ナンカっていう名前なの?」

「ハイ、コレは、ナンカ、です」

「ははは~! そういうことかぁ~。ナンカの木で、その実はナンカの実か。面白いなぁ!」

「ナンカがオモシロイ? ソブエさん、ナンカは、オイシイ、ですよ~」

この、微妙に噛み合わない会話の面白さを、僕は、小宮山さんに話したいなと思った。


ひまり

18時まで、あと3分。
これから、私が考えた企画が始まる。

『サンセット×散歩×日本食ディナー』という、自由参加の企画を、昨夜お客様に案内させていただいた。

18時になったなら、このロビーを出て、ビーチへの散歩を開始する。

参加表明があったのは、2組の4名だった。
もう、4人とも揃っていて、飛び入りの参加者はいないようだ。

「さあ、18時になりました。まずは、世界1美しい夕日を見に行きましょう!」

私は、先頭に立って歩き出した。
あと10分と少しで太陽は沈む。ビーチを10分歩けば、ちょうど海に沈む夕日が見れるのだ。

ビーチに出ると、サンセットビーチは、想像以上だった。
私たち以外にも、散歩をしている人は何人かいて、オレンジの夕日と、オレンジ色の海と、オレンジ色の砂浜に、人が影絵のように見えた。

50代の須藤夫妻と、同じく50代の深田夫妻が、それぞれ仲睦まじく歩いている。
私は、最後尾に移動した。その方が、お客様全員が把握できた。

背が高くスレンダーな須藤夫人の、ワンピースのシルエットが美しかった。
深田夫妻も仲睦まじく、肩を寄せ合い夕日に見入っている。

どこかの若いカップルは、サンダルを手にして波打ち際を歩いていた。濡れた砂浜が鏡のように人影を写した。影以外は全てがオレンジ色に、やさしく染まっている。

みんなが、美しい景色の一部になった。

私は、デジカメで写真を撮った。後で皆さんに見せてあげられるように、何枚も撮った。

バリの夕日は、沖縄の夕日より、少し大きく感じた。
これは錯覚なのだろうか。

私は、写真を撮ることをやめた。
心に、この光景を焼き付けようと思った。

私は、4人に近づいた。誰もが、余計なことを言わなくなっていた。

思っている以上に太陽の動きは速かった。
太陽が見えなくなった。しかし、オレンジの光の余韻は、空や海に残っている。

ほんの少し、周りが暗くなった。

「太陽って、こんなにも早い時間に沈んでいたのですね」と、須藤さん夫妻が近づいてきて言った。

深田さん夫妻が、「ホテルに戻ってタクシーを使うの、やめませんか?」と言った。「このままビーチを歩いて、向こうから街に出て歩けば、たぶん15分くらいでレストランに着きますよ」と、提案してくださった。

それならば、予約時間には充分に間に合うので、全員一致で「歩きましょう」となった。

ビーチでは、定期的に声がかかった。

「ミツアミ~、どう~?」
「オトシタヨ~」
「アシアトネ~」

私は、つい、笑顔になってしまう。
胸があたたかくなる。同時に、ショルダーバッグをマイクロバスに忘れたことを思い出し、背中にスーっと、冷たい何かを感じた。

やがて、ビーチから街へ出た。
舗装された道路の、歩道を歩いた。

「あら~、深田さんに須藤さん。あ、隊長も~」と、菅澤さん夫妻に声をかけられた。

「あら~、菅澤さん~」と、深田さん須藤さん両夫妻が、手を振って応えた。私も両手を振った。

「沈む夕日を見て、これから夕食なんですよ。蕎麦やラーメンやカレーもある、日本料理のお店です」と、私は簡単に説明した。

「ええ~、そうなんですか~。それって、私たちも合流できます?」と、菅澤さんの奥さんが、聞いてきた。

「ええ、問題ないですよ~。大きいお店だし、人数が増えても大丈夫です」と、私は言った。

「あなたイイでしょ? 祖父江さんも一緒に行きましょう」

「あら、祖父江さんも一緒だったの?」と、深田さんの奥さんが言った。

菅澤さんのご主人が、「あ、まただ」と言って、土産屋でTシャツを見ている祖父江さんを呼びに行った。

「そうなの~。ロビーで祖父江さんに会って、どこ行くの?って聞いたら、『街で夕食を食べる』って言ったので、じゃあ一緒に食事しましょうって、主人が誘ったのよ」

祖父江さんを連れてきた菅澤さんのご主人が、「祖父江くんが、街まで歩くというんでね。それで私たちも、ず~っと歩いてきたんだけどね。まあ~、祖父江くんの歩くのが遅いんだわぁ~。アチコチの店に寄って、寄る店すべての店員と、必ず話しこんじゃうんだよぉ~」

「す、すみません。つい…」

「すれ違う物売りの人も、聞き流せばいいのに、イチイチ『本物?』とか聞くから~」と、菅澤さんの奥さんも言った。

「わ~、そりゃあ遅くなっちゃうわ~」と、深田さんのご主人が、呆れ顔で言った。

「祖父江さん、いっぱい買っちゃったんじゃない?」と、須藤さんの奥さんが聞いた。

「あ、は、はい」と、祖父江さんは、両手いっぱいの紙袋を上げて見せた。

「ハハハハ~!」
「なにそれ~! 大量に買っているじゃない~!」
「お土産なの~?」

と、みんなでワイワイ盛り上がった。


* * *


私たちは、合計8人になった。

予約したお店は、明らかに日本人をターゲットとしていた。日本食のお店であって、決して和食のお店ではない。ラーメンやスパゲッティナポリタンなどもあるお店だった。うどん、蕎麦、カレーライス、かつ丼、中華丼などもあった。

高級店でないことは一目瞭然。それでもみな、ナシゴレンに飽きていたからか、少しテンションが上がっているように見えた。

ラーメンは、うどんの人が食べ終わってから、さらに5分後に届けられた。つまり、オペレーションもサービスも洗練などされていなかった。私が食べたお蕎麦も、正直、お味は可もなく不可もなくだった。

にもかかわらず、私たちのテーブル2席は、笑い声が絶えなかった。ウエイトレスの、バリの女の子がお話し好きだったのだ。

日本語学校に通っているらしく、私たち日本人に対する興味関心を隠そうとしなかった。
日本語や日本の文化など、とにかく日本のことが知りたくて、1つ商品を持って来るたびに、オシャベリをしていくのだ。

深田さんの奥さんが、「バリの方々の、日本語が上手なことには、ホント、関心するわ~」と言った。
菅澤さんの奥さんが「私が、もっとバリの言葉が分かったなら、きっとこの旅行は、より楽しくなるのよね~」と続いた。

ウエイトレスの女の子が、「それは、ドウシテですか?」と聞いた。

「だって、より詳しい会話とか、より正確なニュアンスも含めた、そんな意思の交換ができるでしょ~」

「ワカリマシタ。ならば、先生を。ちょっとマッテテください」

そう言ってウエイトレスは、ホールから姿を消した。

「どういうことだろう?」
「日本語学校の先生でも、呼びに行ったとか?」
「ああ、彼女は日本語学校で学んでいたって、言ってたねぇ」
「ま、まさか~」

ウエイトレスさんの真意がわからず、私たちはアレコレと想像を巡らせた。

すると、エプロンを外した彼女がやってきた。
2つのテーブルの真ん中に立って、姿勢を正し、左右に首を振って、私たちを見た。

彼女は、「ドウゾ…」と言った。

私たちは沈黙したままだった。意味が分からない。

「ドウゾ。バリの言葉、なんでもオシエマス」と、エプロンを外したウエイトレスさんは言い切ったのだ。

おそらく彼女は、自分がバリ語の先生をしてあげますと、そう言っているのだ。
みんな、私と同じ解釈をしたようで、苦笑いの表情を浮かべていた。

須藤さんのご主人が、「日本人を『カワイイネ~』って褒めるけど、『カワイイ』は、バリ語なら何って言うの?」

「チャン ティック、デス」と、先生は教えてくれた。

「チャン ティック」
「チャンティック」
「チャン クウィック」などなど、何人かが発声練習を行なった。

「じゃあ、『キレイ』は? 同じかな?」と、深田さんのご主人が聞いた。

「人のことと、たとえばオンナの人のことの『キレイ』と、花のことの『キレイ』とは、バリ語はチガイマス。ベツベツのことばデス。シリタイのは、オンナの人の『キレイ』ですか?」と、バリ語先生が、質問の明確化を求めた。

こうして、無料の、バリ語レクチャーが、15分くらい開催されたのだった。


* * *


帰りは、ホテルまでタクシーに乗って帰ることになった。
レストランのすぐ近くに、小さなロータリーがあって、そこにタクシー乗り場があった。

タクシー乗り場の、責任者らしき1人の中年男性が、私たち観光客に、親しげに声をかけてくる。その人と男性陣が交渉をおこなって、話が成立したみたいだった。

自分の番が、まだまだ先の運転手さんたちは、車から降りてイスに座り、数人でオシャベリをしていた。トランプをしているグループもあった。

4台のタクシーが準備され、一列に並んだ。
私たちは、2人ずつ乗車していった。1台に4人は、乗れないことはないが窮屈になるし、そもそも助手席に乗ることはNGなのかもしれない。

最後は、私と祖父江さんになった。

私たちを乗せた運転手さんが、休憩中の仲間たちに冷やかされていた。そして、運転手さんは手を振って、否定しているみたいだった。
冷やかす方も、否定する運転手さんも、みんなニコニコしていた。

「日本人だから、良い値段なんだろ?」「お前、ツイるな」という冷やかしが飛んできて、「違う違う、インペリアルホテルまで○○ルピアだよ」と運転手さんが否定した。

そんな会話なのだろうと、ありありと想像できた。
私は、微笑ましくて笑ってしまった。

車を少し走らせると、運転手さんは、すぐ私たちに話しかけてきた。

「ハネムーン?」

「ち、ち、ちがいます」と、祖父江さんが、顔を真っ赤にして手を振った。

祖父江さんは、「さっきのウエイトレスさんといい、この運転手さんも…。バリ人って、イイですよねぇ」と言った。

私は、祖父江さんを見て、話しの続きを待った。

祖父江さんは、「みんな純粋ですよね」と言った。

「ウエイトレスさんが、日本語学校の、次のレベルの学費が払えないって、言ってましたよね。だから、ここで働いているって」

「ええ」

「1年間の学費が100万ルピアと聞いて。1万円かぁ、って思ったんです」

私はまた、「ええ」と頷いた。

「その1万円、僕、出しそうになっちゃったんです。でもね、僕の、その行為のせいで、彼女が万が一。……これはあくまでも万が一ですよ。僕の妄想なんですけどね。でも、もし、同じ話を日本人に繰り返すようになったらって、そんな考えが浮かんだんです。日本人観光客のためというのではなく、それよりも彼女の、純粋な心を変えたくないって思ったんです。僕の施しが、彼女の純粋さを変える可能性があるんじゃないかと……」

祖父江さんは、少し間を開けて、「考えすぎだったかなぁ」と言った。

そして、「隊長は、どう思いますか?」と、私に聞いた。

「う~ん。分からないですね~。でも、そう考える祖父江さんは……」

私は言葉を選び直して、「そう考える祖父江さんは、やさしいと思います」と言った。

「隊長のやさしさには敵いません。そして隊長は、バリの人以上に純水無垢だと思います」

「私、来年、三十路ですよ~。純粋無垢は、さすがにちょっとないと思います」と、私は苦笑いして言った。

ホテルの正面玄関に、タクシーが到着してしまった。
車寄せには、先行した3台のうち1台が、まだ停車していた。皆さんを待たせるワケにはいかない。

タクシーを降りながら、私は心の中で、純粋無垢と、つぶやいていた。


8.バリ島、5日目

祖父江

バリ島ツアーも、残り2日と半日。

半日と言っても、最終日は午前10時ごろホテルをチェックアウトして空港に向かうだけだ。だから事実上は、今日と明日で終わる。

僕は、マリンスポーツ三昧のオプショナルツアーに申し込んであった。丸1日、ただただマリンスポーツを行なうのだ。

スキューバダイビング、パラセイリング、バナナボート、水上バイク、シュノーケリング、サーフィン、ウェイクボードと、たくさんのアクティビティを堪能できるオプショナルツアーだった。

僕がロビーに着くと、集合時間までまだ10分以上あるのに、カスガ君がすでに待っていた。マリンスポーツへの参加者は、結婚間近のカップルの2名と僕だけの3名だと聞いていた。

時刻ちょうどに、若者2人がロビーに現れた。みんなで、カスガ君の車に乗り込む。
僕は、カップルの2人に気を使って助手席に座った。今日は、3列目のシートが、荷物を積むため倒されていたのだ。

結婚間近のカップルは、互いだけを見つめ合い、僕のこともカスガ君のことも、きっと目には入ってないと思われた。

カスガ君が運転しながら、後ろの2人に話しかけた。

「フタリは、ハネムーン?」

「いや。結婚はまだなの」と女性が言った。「今年のクリスマスイブに入籍するんです」と男性が続く。

「ボク、日本にカノジョ、います」と、カスガ君が言った。蕨市に住んでる彼女のことだと、僕には分かった。

「へ~」と、彼氏さんが気のない返事を返した。

「でもボク、バリにも、カノジョいま~す」と、カスガ君が言ったので、僕は驚いてしまった。

「へ~、え? ええ~?」と、彼氏さんも驚きの声を上げた。

「これは、日本のオンナの人は、イヤ、ですか?」

「どうなの?」と、彼氏さんは彼女さんに聞いた。
「そんなの嫌だよ~! 嫌に決まってるでしょ~!」

「そう、そうデスカ~」と、ハンドルを握るカスガ君の声がしぼんだ。

「ダメよ、浮気はダメ~!」と彼女さんは、隣に婚約者がいるという状況から、強く否定した。僕は、そうなるよなぁと思った。

僕は、妄想を膨らませた。カスガくんの本命は、日本人の彼女なのかもしれない。しかし、会えない。年間52週のうち、51週会えない。

カスガ君は淋しさに耐えかねて、バリの女性と交際した。でもそれは、日本の彼女を裏切っている。その自覚が、今、カスガ君を苦しめている。

妄想がさらに膨らみかけたとき、車はビーチへ到着した。


* * *


カスガくんの身内のような小さな集団が、僕たちを向かい入れてくれた。ご家族なのか、それともご近所さんなのかは分からなかった。

ビーチは、すごく広い。とても広い。しかし、自分たち以外に人はいない。まるで、極上のプライベートビーチだった。

僕は、爽快感と解放感を感じた。地球には、こんな場所があるのか。あるのだ。砂はキレイで、空は青く、海もどこまでも青かった。

スタッフは男性が5人くらいと、女性が7人くらいだろうか。離れたところには、老人や子供もいるみたいだった。

建物は、小上がりのない土間だけの、大きな”海の家”という感じだった。小上がりはないが、代わりに、サマーベッドが大量にある。

おそらくは、スタッフや客が、日差しからのがれられるようにという目的のみで作られたのだろう。柱と屋根だけなのだ。壁は、海と真逆の1面にしかない。長方形で、横に長く、その4面中、3つの面には壁がないのだ。

メインの建物の横に、小屋があった。更衣室だと説明された。かなり古いし、かなり痛んでいた。

その更衣室のドアは、パタパタ開閉する西部劇の扉で、もちろん鍵などはない。壁の板も、すき間だらけで、中で着替えるとき、男の僕でも抵抗を感じた。女性は、かなりの不安を感じることだろう。

案の定、カップルの彼女さんが、ワーワー騒いでいる。

更衣室内にあるロッカーは、縦に細長い木製のロッカーだった。鍵を渡されたが、鍵の意味は全くない。なぜなら、かなり年季が入っていて、そのロッカーは僕でも簡単に壊せそうなのだ。

これからスキューバダイビングを行なうので、僕たちはウェットスーツに着替えた。

貴重品を入れたロッカーの鍵は、”海の家”の中央にある、銭湯の番台的なカウンターに預けるシステムだった。

鍵を、中年オジサンに渡す。鍵は、カウンター横にあるL字フックに、ただぶら下げられた。

カウンターの前からでも、手を伸ばせば、誰でも鍵をゲットできる。そこに、鍵がぶら下がっているのは、ここのみんなが知っている。カウンターには誰でも入れる。

そのロッカーには、財布など、貴重品が入っている。

おそらくは、世界最低水準のセキュリティーだろう。若い2人のカップルは、かなり不安そうな顔をしていた。

僕は、そりゃあ、不安だよなぁと思った。

僕がホテルから持参したのは、マネークリップ挟んだ多少のルピアと千円札数枚と文庫本2冊。それら全てをロッカーに置いた。

最悪、その全てを失ってもあきらめがつくから、僕の不安は小さかった。


* * *


バリのスタンダードなのか、それとも彼らだけなのか?

とにもかくにも、スキューバダイビングのレクチャーが、アバウトすぎた。オプショナルツアーの説明書には、浅瀬でレクチャーとあったが、それを省略された。

カスガ君は、「いつもはヤルけど、キョウハみんな、ワカイから、だから、アサイところでのレクチャーは、ヤメま~す」と言い放った。

ダイビングスポットに向かう船の上でのレクチャーのみで、実践練習は、実践の最初に行なうという。

僕は、かなり不安になった。

カスガ君は、『耳抜き』のやり方を解説した。上がるのサイン。潜るのサイン。息の吸い方や吐き方。酸素ボンベの操作。水中で、水中マスクにたまった海水の抜きの方。ガラスが曇らない方法。サンゴでケガしないための注意点。

などなど、けっこう大事なことを、約10分語って、それでレクチャーは終わりだった。

僕は、激しく後悔した。

たくさんの熱帯魚とたわむれてみたいが、その何倍も恐怖が大きい。ウミガメが現れたら最高だと思っていたが、ウミガメの近くにはサメがいる場合がある。マンタが見れたら最高だと思っていたが、実はヤツラはかなりデカイ。

スキューバダイビングを体験せずには死ねない、と思っていたが、スキューバダイビングで死ぬかもしれない。

なぜ、昔観た映画『ジョーズ』のシーンを、何度も何度も思い出してしまうのだろうか。

妄想も止まらない。サンゴで膝を切る。血が出る。サメがくる。

若い2人は、一切、なんの心配もしていない。そもそも、カスガ君の説明を聞いてさえいなかった。イチャイチャしていただけだ。僕は、少し腹が立った。

ダイビングポイントに船が着き、みんなで潜ることになった。1つのペアに1人のインストラクター付くという。

僕には、カスガ君がマンツーマンで付いた。

何度トライしても、サメが襲ってくるイメージが消えず、結局僕は、船の上に上がった。

カスガ君に、『上がる』のサインを、僕は何十回と出した。
「モグロ~よ~」と、カスガくんの何十回もの粘り強い説得を、僕は、それ以上の粘り強さで断り切った。そして、船の上に上がったのだ。

若い2人は、それはそれは、本当に楽しそうに潜っていた。ボンベの酸素がなくなるまでの30分間、1度だけ海上に顔を出しただけで、あとはず~っと潜り続けていた。
彼女さんは、海面に顔を出したとき、「楽しい!」を連呼していた。

カスガくんも、その若者たちと潜り、しかし途中、何度も海面に顔を出しては、「モグローよ~」「イコーよ~」と、僕に声をかけ続けた。彼は健気で、僕は頑固だった。

僕は、次のアクティビティのバナナボートは、ほんの少しだけ楽しんだ。
絶対に落ちまいと渾身の力でバーを握りしめたが、最後は海に投げ出された。

水上バイクも、海面ギリギリに岩やサンゴがあるかもしれないので、超~安全運転を貫いた。カスガ君に冷やかされても、若いカップルに笑われても、ゆっくり安全運転を貫き通した。

この乗り物は、いったい何が楽しいのか、僕にはピンとこなかった。

海に落ちることが決まっているパラセイリングに至っては、最初から辞退を宣言した。

いちいち辞退するのも面倒だと思いついて、シュノーケリングやサーフィンなど、このあとの全てのアクティビティを辞退すると決めた。

「僕は、この後は何もやらない」と、カスガ君に伝えた。

カスガ君は驚いて「なにやるの?」と聞いた。
僕は、「読書」と答えた。

その結果、めちゃくちゃ気が楽になった。爽快感が半端ない。

僕は、自分を少しビビリだと思っていたが、かなりビビリかもしれない。
でも、それでイイと開き直った。
もう僕は、乗りたくなかったジェットコースターにだって、無理に乗らなくてイイのだ。というか、今まで我慢して乗っていたと気づいて、驚いた。

カラッとした爽やかな風が吹いた。
僕の決断を祝福しているように感じた。

僕は、屋根とサマーベッドのあるエリアに向かって歩いた。
けっこう歩いたのに、まだまだ遠くにある。

このビーチは、見た目以上に広い。
距離感が狂うほどに広かった。


* * *


小上がりの無い海の家に歩きついた。このコミュニティーは、のんびりしていた。

男性たちは、トランプを使って賭け事をしている。たぶんブラックジャックだ。ギラついた空気が一切ないので、おそらく、少額しか賭けられていないのだろう。
奥さんたち女性陣は、そのかけ事を一切止めようとはしなかったし。

女性たちは、のんびりと、ず~っとオシャベリをしている。女性のオシャベリ好きは、世界共通と結論付けて良さそうだ。

僕は、サマーベッドに横になり、本を読んだ。
屋根から外れたベッドを選んだので、パラソルの位置を整えた。
サイドテーブルには、注文したドリンクがある。最高だ。

ちゃんと時間を計ったワケではないが、おおよそ15分に1度、女性陣から「マッサージ~?」と、オススメの声がかかった。
もう、5回以上もオススメされている。

僕は笑顔で、クビを左右に軽く振る。

彼女たちは、それ以上しつこく勧誘しない。でも、あきらめもしない。思い出したように、「マッサージ~?」と、また声をかける。
そして、僕は断る。

何度断っても、彼女たちは笑顔だった。
だんだん、マッサージをやらせてあげたくなってきた。

彼女たちも、断られても、顔をめたりしない。「チェッ」という声を聞いたことがない。明るく屈託がない。
ステキな文化で、ステキな人柄だと思う。

カスガ君がやって来た。マリンスポーツへの勧誘ではなさそうだ。イスに座ってのんびりしている。女性たちと、二言三言話して、やがて僕に、身体を向けた。

そして、小声で言った。
「ニホンのオンナのヒトは、コッチにカノジョがいると、オコル?」と。

カスガ君の頭の中には、日本の彼女のことしかないようだ。

「怒るんじゃなく、悲しむと思う」と僕は言った。

「カナシム…。カナシイ?」

「うん。だから、本当のことは、日本の彼女には言わない方がいいよ」

「ウン。デモ、ボク、ウソつきになる」

「日本の彼女のこと、スキなんでしょ?」

「ウン。モチロン」

「スキな彼女と会えなくて淋しい。淋しくて淋しくて淋しい。それなら仕方ないよ」

「シカタナイ?」

「うん。仕方ない」

「シカタナイ…」

『仕方ない』の意味が通じたのか、僕には分からない。でも、カスガ君の表情は、少し明るくなっていた。


* * *


僕は、少しだけ、うたた寝したようだ。目が覚めたのは、周りが賑やかになったからだ。
カスガ君が車から下りて、こちらへ歩いてくる。その隣を、小宮山さんが歩いていた。

「祖父江さ~ん。マリンスポーツ、楽しんでいますか~?」

明るく大きな声だ。両手を伸ばし、大きく振っている。
僕も手を振った。

小宮山さんは、このようにお客さんのところを巡回しているだろうか。

僕のサマーベッドの近くにあったデッキチェアに、小宮山さんが腰を下ろした。

「マリンスポーツは、いかがですか?」と聞かれた。

僕は、「ええ、楽しんでいますよ」と答えた。

「ゼンゼン、ウソですよ~! このヒト、スキューバダイビング、『コワイ』『コワイ』ぜんぜんモグラナかった~!」

カスガ君は、暴露した。
女性たち全員が、爆笑した。小宮山さんは、少し驚いていた。

カスガ君は、ウケたからなのか、はたまたいつもなのか、とにかく調子に乗って語り出した。

「コワイ、コワイ」と、僕の表情をマネて見せている。

「ボクが、『イコウ』ってイッテモ……、このヒトは、『コワイ!』」

カスガ君は、眉を寄せ、
上目遣いして、
口を尖らせた。
両手の握りこぶしをアゴに持ってきた。
ワキとヒジを絞めて、肩を上げた。

首を左右に振って「コワイ」と言った。僕のマネだ。

また、みんなが大笑いした。小宮山さんも笑っている。
僕も、もう、苦笑いするしかなかった。

僕は、恥ずかしさを誤魔化すために、「マッサージ、頼むよ」と女性陣に声をかけた。
ポケットから千円札を1枚出して、リーダーと思われる女性に渡した。

リーダーっぽい女性は、「タレマカシー」と、ごく普通に受け取った。

僕を、マッサージ用のベッドへ連れて行こうとしたので、「僕じゃなくて、隊長をお願いします」と言った。

「え? わ、わたし~?」と、小宮山さんは驚いていた。

数人の女性たちが、小宮山さんに群がった。小宮山さんの可否など確かめることなく、女性陣は6人がかりで彼女を移動させた。

そして、そのまま6人がかりでマッサージを始めたのだ。

右腕を担当する人は、ず~っと右腕。
左腕を担当する人は、ず~っと左腕。
右脚を担当する人は、ず~っと右脚。
左脚を担当する人は、ず~っと左脚。
肩を担当する人は、ず~っと肩。
腰を担当する人は、ず~っと腰。

まさか、6人がかりとは! これは僕の想像を超えていた。

「わ~、めっちゃキモチイイ~」

小宮山さんは、目を閉じて、本当にココチ良さそうだった。


* * *


バリのカスガ君が、ワンボックスカーを運転してる。僕たちは、ビーチからホテルへ帰る途中だ。

若い2人は、当然のように3列目のシートに座った。荷物が無くなり、3列目のシートが復活していたのだ。
僕は、助手席に座ろうかと思ったが、淡い期待を抱き、2列目に座った。
小宮山さんは、残念なことに助手席に座ってしまった。

右ハンドルを握るカスガ君は、ときどき横を向いて小宮山さんに話しかけた。やはりバリ人の男性はオシャベリだなぁ、と思った。
小宮山さんがカスガ君に顔を向けると、カスガ君の後ろの僕にも、小宮山さんの顔が見えたから、その点、オシャベリなのは悪くなかった。

カスガ君は、どうしても、蕨市の彼女のことが気になるらしかった。さっきから、そのことを語っていた。

「ボクは、バリにもカノジョがイマス。これは、ニホンのカノジョはオコル?」と、小宮山さんにも聞いていた。。

「怒るというか、悲しくなると思うなあ。辛くなる、かな? でも、少し、予想してるんじゃないかなぁ?」と小宮山さんが言うと、最後列の彼女さんから声が飛んできた。

「ダメ~ッ! 浮気なんて絶対にダメなんだから~! カスガ君、そんなのダメよ」と。

そのセリフは、どう考えても隣の彼氏さんを意識していた。
そりゃあ意識するよなぁと、僕は思った。

「でも、ソブエさんは『シカタナイ』って、イイマシタ」と、カスガ君が言った。

僕は、まずいなと思った。案の定、後ろの彼女さんから追求された。

「祖父江さん、仕方ないって、どういう意味ですか?」と、彼女さんは鼻声になって、僕を問いただした。

彼氏さんが、「僕は浮気なんかしないから、安心して」と、なだめた。
「うん。信じてる。でも、祖父江さんの『浮気しても仕方ない』って考え方は、私はイヤなの」と、彼女さんは、僕の発言にこだわり続けた。

僕は、自分の妄想を説明した。

「僕、想像したんです。カスガ君は日本の彼女が好きなんだなって。でも、年に1週間か、多くて2週間しか会えない。年間52週だから、50週か51週間、ず~っと淋しいのかなって思ったんです。結果的に、バリ人の彼女ができて、今度はウソを言っているというか、騙しているみたいで、それを苦しんでいて。なんか、本当のことを、日本の彼女に言っちゃいそうで……」

ここまで、小宮山さんが口を開いた。

「カスガさん。本当のことを言ったら、あなたは楽になる。でも、日本の彼女は辛くなるの。心が痛くなるの。そして、莉緒さんが言う通りで、浮気はダメ」

カスガ君が「ボクハ、どうすればイイですか」と聞いた。

「どうすればイイかは、カスガ君しか決められないんだけど、私は、バリの彼女も、日本の彼女も、傷つけないでほしい。だからね、カスガ君は、『自分は嘘つきだ』と自分を責めて、それでイイの」と、小宮山さんは言った。

莉緒さんという名前らしい彼女さんが、「ええ? 隊長、浮気したままでイイんですか~?」と言った。

「どちらかと別れてもイイと思う。でもね、別れる女性を傷つけて欲しくないの。傷つけるくらいなら、絶対にバレないように隠し通して、2人とも大切にしてほしい」

「隊長~、それって浮気じゃないですか~」

「バレなきゃ浮気じゃないわよ。だって、何も知らなかったら、悲しむことも、怒ることも、傷つくこともないでしょ」と、小宮山さんは言った。

これは、僕には意外だった。女性はみな、莉緒さんのような反応をするものだと思い込んでいたのだ。

僕は思った。
小宮山さんは、恋人が浮気や二股をしていた場合でも、決して自己中心的な考え方にはならない女性ひとなのだと。
浮気した恋人の心にまで、ちゃんと思いを巡らせる。恋のライバル(あるいは泥棒猫)の、その人の心にまで思いを寄せる。そういう性分なのだろう。

僕は、小宮山さんの心が、もっと知りたいと思った。

最後列のシートから、「ええ~」と、莉緒さんは不満の声を上げている。

「ただし」と小宮山さんは言って、カスガ君を指さし、僕も指さし、最後列の彼氏さんの顔にも、人差し指を向けた。

その動きで、車内に静寂が生まれた。

「女の勘を、舐めないでね」

そう言った小宮山さんは、カスガ君、僕、彼氏さんと、順々に顔を向けながら、「バレないと思ったら大間違いよ」と、付け加えた。

小宮山さんの迫力は、車内の空気をズバッと切り裂いた。
僕は、首筋に冷たい何かを感じた。

カスガ君も、最後列の彼氏さんも固まっている。
車内の気温が、2~3度下がったと思う。

僕は、映画『鬼龍院花子の生涯』で啖呵を切った、夏目雅子さんを思い出していた。

最後列では莉緒さんが、「カー君、分かった⁉ 女の勘、舐めないでね!」と、彼氏さんの顔に人差し指を近づけて、可愛らしくニラんでいた。

莉緒さんは、「隊長~さすが!」と言って、キャッキャ、キャッキャと、笑っていた。


ひまり

カスガ君の運転で、私たちはホテルに戻ってきた。これからロビーで、ヒアリングを行なわせていただく。

カスガ君には、もう、上がっていただいた。

それにしても、オプショナルツアーの様子見で行ったのに、まさか、マッサージを受けることになるなんて。

思い出すと、ついニヤニヤしてしまう。想像以上に気持ち良かったのだ。
私はニヤニヤする顔を、両手でパンパンと挟むように叩いて、気持ちをいましめた。

参加者の3名に、「今後の、サービスの向上のため、本音の感想を教えてください」と、私は言った。

カップルの2人は、「楽しかった」の連呼だった。ボキャブラリーは少ないが、その表情から、楽しかったことにウソはないと感じる。2人とも、満面の笑みで、目がキラキラしていた。

莉緒さんが、「更衣室やロッカーは、もう少し、チャントしてて欲しい」と言った。カー君も、「あそこに貴重品を置くの、ちょっと怖かったね」と付け足した。

私はメモを取り、祖父江さんにも聞いた。

「祖父江さんは、更衣室やロッカーは、どう思いましたか?」

「女性は、覗かれてしまう不安を感じると思います。貴重品に関しては、僕は、不安はなかったですね。だって、バリですから」

「え? バリだから? それって、どういう意味ですか?」と私は尋ねた。

「ロッカーは古くて、鍵の意味なんてないんですけどね。アレ、壊すの簡単だし。でも、あそこには警戒すべき人なんて、1人もいなかったから」

カー君が、「確かに! あの人たち、メッチャいい人だった」と言った。
莉緒さんも、「最初は警戒したけど~。でも途中から、警戒しているのが、なんか恥ずかしくなっちゃったよねぇ~」と言った。

祖父江さんが、「バリ島の本当の魅力って、1番は、バリ人なんじゃないかなぁ」と、嬉しそうに言った。

そして、私に、こう言った。

「もしかして、隊長の故郷の沖縄も、同じなんじゃないですか? 沖縄の最大の魅力って、海じゃなくって……。もちろん、海はキレイで最高だと思います。でも、それ以上に、沖縄の人、なんじゃないかなぁ。沖縄の1番の魅力は、沖縄人。違います? 沖縄人って、なんって言うんでしたっけ? うちなんちゅー、だったかな?」

私の両目から、涙が「ぶわっ」っと、あふれ出た。
一瞬のことで、こらえることができなかった。

嬉しかった。

そして、忘れていた。そうだった。
沖縄の自然の素晴らしさ以上に、うちなんちゅーの素晴らしさを。

そうなの。うちなんちゅーって、最高なの。

言葉にならない言葉が、私の胸の中で喝采を上げていた。

「隊長、どうしたんですか?」と、カー君が言った。
「祖父江さんが泣かした?」と、莉緒さんが言った。
「あ、いや、あ、あ、あ」と、祖父江さんがパニックになっていた。

「大丈夫です。ちょっと感動しちゃった。皆さんが、オプショナルツアーを、本当に楽しんでくださって、嬉しかったんです~」

私は、ノートにペンを走らせた。
「うちなんちゅー」と書いて、それを丸で囲んだ。


* * *


「もしもし」と、私は言った。

「ああ、元気?」と、佐々木さんの声が聞こえた。

「コレクトコールで掛けて、すみません」

「それは、僕が言い出したルールだから、ご心配は無用です。で、何があったの?」

バリ島と日本は、時差はほとんどない。とはいえ、もうすぐ日付が変わってしまう深夜だった。でも、今夜、何とかするしかないと、私は焦っていた。

「佐々木さん、教えて欲しいの。私、分からなくって~。私、自分で作った掟を守って、そのおかげで仕事が上手く行くようになったの。ちゃんと結果も出たの」

「うん、うん。今や会社の、売上ナンバーワンだもんね。大したもんだよ。『ゆ会』もさ、メンバーが増えただけじゃなく、メンバーの質も上がっているよね」

「でもね、私、今、掟を変えたいの。変えてもイイのかなぁ? 変えても良かったら、掟じゃないと思うし……」

「具体的に、どう掟を変えたいの?」と、佐々木さんが聞いてきた。
私は、こうなるのは分かっていた。全部、言うしかないのだ。

「私、お客さんとの恋愛は禁止って決めてたの」

「おっと。前に、相談されて、僕の考えは伝えてたけど? まあ、それは今言っても仕方ないか。つまり、お客さんを好きになっちゃったんだね」

「そうなの」

「これは難しいぞぉ」

「どうしたらイイかなぁ」

「逆にね、僕が、僕の掟に触れてしまうんだ。僕は、結婚とか、家を建てるとか、そのような人生の一大事にはアドバイスしないって、そう決めているんだ。……っていうのはね、結果が上手く行かなかったとき、『あなたのアドバイスのせいだ』って、人はどうしても思ってしまうものなんだ。人生の一大事は、当人が決めるしかないんだよ」

私は、佐々木さんの次の言葉を待った。

「ひまりさん。例えば、あなたの友人がガンになって、Aという治療を行なうか、Bという治療を行なうかで迷っていたとする。ひまりさんに『どっちがイイと思う?』って聞いてきたならどうする?」

「怖くて、どっちって言えない」と、私は言った。

「そういうことなんだ」と、佐々木さんは言った。「僕なら、『自分で決めるしかないよ』と言う。例えば僕は、自分がガンになったならAという治療方法を選択すると決めていた場合でも、僕は、その持論を語らない」

そして佐々木さんは、こう言った。

「その上で、ひまりさん。アドバイスではなく、僕の考えを語るね。僕は、恋よりも重要な事って、ないと考えているんだ。どんな仕事よりも、どんな使命よりも、親の死に目に会えるか会えないかよりも、恋が優先されて当然と思っている。ただし、それが【本当の恋ならば】という条件が付く。善悪は置いといて、事実、恋は殺人の動機にもなっている。もう一度言うと、僕は、本当の恋なら、掟だろうが法律やモラルも、何も邪魔できないと思っている」

「本当の恋……」と、私は言った。

「ビジネスの悩みなら、『選択の問題ではない。選んだ方を正解にしろ』という名言で事足りるんだが、この名言は、恋には当てはまらないからなぁ」

「ええ~、そ、そんなぁ」

「何度も言うが、今、僕が話しているのは、アドバイスではない。僕の持論だ。僕ならば、例えばコインの表裏に賭けるみたいに、何かに賭けて、その結果に従うかもなぁ」

「賭け?」

「ひまりさん。僕が『その恋はあきらめろ』と言ったらどうする? きっと釈然としないはずだ」

「は、はい……」

「逆に『その恋しかない、当たって砕けろ、仕事の掟なんか無視しろ』って言った場合でも、やはり何かが引っかかると思うよ」

「はい」

「僕たちは、田辺さんの言葉を胸に刻んでいる同志だ。3ヶ月の命と思い、後悔しない生き方を選んできた仲だ。そんな、ひまりさんが答えを出せずに悩んでいる。ならばきっと、どっちを選んでも正解で、どちらを選んでも後悔をするのだろう」

私は、考えていた。「賭け」という言葉がヒントになりつつあった。

「佐々木さん、ありがとう。私、賭けてみる」

「そうか。僕は、どんな場合でも、ひまりさんの味方だからね」と、佐々木さんは言ってくれた。

「ありがとう。佐々木さん。お父さんみたいさ~」

「お父さん? 僕、そんな歳じゃないからさぁ、せめて『お兄さん』にしてくれないかなぁ」

「ハハハ、ありがとう。私、少し元気出ました」

「良かった。じゃあ、またね」

「はい、おやすみなさい」


そう言って、私は電話を切った。

「賭けてみる……」と、私は声に出して言ってみた。

恋愛じゃなければ、掟には触れない。

ふと、ベッドに目を向けると、書類が散乱したままだった。
机の上も書類だらけで、私は、その中の1枚を手に取った。

明日行なう企画の、参加者リストだった。祖父江さんの名前もある。
1組のペアを除いて、9名の参加表明があった。
喜んでもらえるだろうか? そう考えると、ちむどんどんする。

明後日の朝で、このツアーは終わる。

私は、人生最大のギャンブルを行なうのだ。
そのことを、具体的に考えなければ……。


9.バリ島、6日目

祖父江

今日は、バリ旅行の最終日だ。

僕は、朝から夕方まで、屋上のプールサイドで過ごした。うたた寝と読書のコンビネーションは、最高の娯楽だと思う。
ときどき、物事を深く考えたり、逆に、どうでもよい仮説を立ててみるのも、けっこう楽しいことだと知ってしまった。

今夜は、小宮山さんの企画に参加する。

企画といっても、ホテルが全力で推しているディナーショーに、「みんなで参加しませんか?」というシンプルなお誘いだった。

僕は、食後のケチャックダンスが楽しみにだった。すごく評判が良いと、フロントの方もナルマールさんも、口を揃えて言っていたのだ。
ナルマールさんが言うには、同じケチャックダンスも、物凄いハイレベルなチームもあれば、小学生の学芸会と変わらないレベルまで、クオリティーには雲泥の差があるらしい。

夕食は、レストランのオープンテラス席が予約されていた。大きな窓が全面開放され、段差なく、室内からオープンテラス席へと続いている。

オープンテラス席からは、徒歩で、ホテルのプライベートビーチへ出ることができた。

食事の前、僕はビーチの方へ歩いてみた。

オープンテラス席の、最も海側の席は、ほぼ砂浜だった。ところどころに篝火があり、赤く燃えていた。その炎は、幻想的に揺れている。

オープンテラス席の端から、プライベートビーチまでの中間。つまり、中間と言っても、そこは完全に砂浜なのだが、そこに、木製のデッキチェアが30~40人分、用意されていた。

篝火が、大きな円を描きセッティングされていた。篝火とデッキチェアを見ると、ここはケチャックダンスが行われるメインステージなのだと、ハッキリと分かった。

僕は、可能なら最前列で観たいと思った。幸い、満員になるような気配は、今のところ感じない。夕食を早く済ませようと、僕は心に決めた。

僕は、テラス席のテーブルに戻った。テーブルの明かりは、全て蝋燭ロウソクだった。空間に世界観を演出するためだと思うが、かなり徹底されていた。
軽い気持ちで少し観る、という軽薄な観客を、拒絶するかのような空気が漂っている。

後ろを振り返らないかぎり、この光景は21世紀ではない。
何百年も昔に、タイムスリップした。そう言われても大げさではなかった。

テーブルには、ケチャックダンスを簡単に紹介し、鑑賞のアドバイスとなるA5サイズの用紙が数枚置いてあった。それを読むと、ケチャックダンスのストーリーが書かれていた。

僕が座ったテーブルは、6人が座れる丸いテーブルだった。菅澤さんご夫妻と同じテーブルだった。6脚のイスがあるが、予約者のネームカードは3枚だけだった。

菅澤さんご夫妻とは、食事をしながら雑談も行なった。僕の身の上話を聞かれたし、奥さんの弟さんから聞いたという、小宮山さんのロンドンでの逸話も話してくださって、とても楽しかった。

僕は前もって、正直に、「ケチャックダンスを前列で観たいので、早めに移動したいのですが」と申し出た。菅澤さんご夫妻も同意してくださって、僕らは、最前列のデッキチェアを確保することができた。

若く、鍛え上げられた肉体のダンサーが、続々とビーチに現れた。
ショーは、前説や挨拶なども特になく、いつの間にか、という感じで始まっていた。

「ケチャッ! ケチャッ!」

想像の、数倍のボリュームだった。
迫力が凄い。
深く理解はできないのに、なぜか目は離せない。

「チャッ、チャッ、チャッ」という掛け声が、幾重にも重なる。
ダンサーの数もどんどん増えた。

50人以上いるのではないか。

篝火が風に揺れる。炎は全て本物だ。
本物の炎だ。

シータ姫のあでやかな踊り、魔王ラワナの威厳ある姿。
僕は、没頭した。その世界に没入した。

幾人もの男性が、炎の上を歩き、走り、踊る。

え?

火だ……。

炎の上だ。本物の炎のはずだ。

裸足だ。

これは、夢? マジック?
イリュージョン?

いや。
もしかしたらトランス状態というは、こういうものなのか?
彼らは、トランス状態なのだろうか?

ダンサーの声しか聞こえない。
周りに居るはずの観客の気配がない。


いつの間にか、ケチャックダンスは終わっていた。

僕は、放心した。

ストーリーが、ダンサーたちが、最後、何がどうなって終わったのか、ぜんぜん分からない。

菅澤さん夫婦の姿がなかった。
僕に声をかけずに移動するとは思えなかったが、左右を見ても見つからない。

観客が、僕を含め数人しかいない。
みんなどこへ? レストランへ戻ったのだろうか?


気がつくと僕は、ロビーのソファーに座っていた。
おそらく僕は、レストランから歩いて、ここへ辿り着いたのだろう。

酔ってしまうほど、お酒は飲んでいない。しかし、明らかに僕は変だ。
脳がちゃんと機能していない。
ケチャックダンスの記憶が、どんどん曖昧になる。

途中ダンサーは、裸足で、炎の上を歩いたり走ったりしていた気がする。
誰かに聞いて確かめたいのだが、その行動を起こせない。
僕の体はフワフワと浮いていて、床への接地感がない。
脳には、膜のようなものが被せられた、そんなモヤモヤした感覚が付きまとっている。
スッキリ晴らしたいのに、頭を振っても、そのモヤモヤは晴れなかった。

「どうでしたか~?」と、小宮山さんの声が聞こえた。

小宮山さんに、ケチャックダンスの内容を聞いてみたい、と思った。
小宮山さんは、参加したメンバーに感想を聞いて回っているみたいだ。
今、菅澤さんの奥さんにと会話中だ。僕はまだ、菅澤さんご夫婦に挨拶をしていない。

フッ……と、真っ暗になった。

僕のノドが鳴った。
闇が濃い。
真っ暗だ。

僕の右肩に、誰かの手のひらを感じた。
チェリーブロッサムの甘く切ない香りを感じた。この香りは、小宮山さんだ。

「停電です。ホテルには自家発電設備がありますので、すぐに明るくなりま~す。動くと危険です、今しばらく、そのまま動かないでくださ~い」

やはり小宮山さんの声だった。
また、チェリーブロッサムの香りを感じた。

僕の唇に何かが触れた。

離れた。
同時に、肩に添えられていた手のひらも離れた。

少しして、明るくなった。
照明が点いたのだ。

小宮山さんは、菅澤夫妻の向こう側に立っていた。


10.バリ島、最終日の朝

祖父江

目が覚めた。枕元にあるはずの携帯電話を手で探したが見つからず、しかし、腕時計に触れた感覚があった。
見ると、時計の針は5時を少し回ったところを差していた。。

うがいをしてヒゲを剃った。時間に余裕があるので、シャワーも浴びた。

その間、昨夜のことを思い出していたのだが、夢のような曖昧な記憶しかなかった。
思い出せない、というよりも、記憶を、ところどころ失っている。

停電があったはずだ。
唇への、あの感触は……。もう、夢か現実か分からない。

幸い、今、僕の足はちゃんと床に接地していた。


* * *


朝のロビーには、やはり、ガムラン音楽は流れていなかった。
しかし、人影があった。

小宮山さんだ。

「おはようございます」
「おはようございます」

少し僕が遅かったが、ほぼ同時での挨拶だった。

自然に、2人でビーチへ向かった。
僕は、バリ島旅行が終わってしまうことを、強烈に意識した。

いつものように、ビーチに出ると左へ歩いた。右手が海だ。


「私、祖父江さんが好き」と、小宮山さんが言った。

それは、あまりにも唐突だった。
僕は、立ち止まってしまった。小宮山さんも立ち止まった。

「あの……」という僕の言葉を、小宮山さんはさえぎって、「最後まで聞いて欲しいの」と言った。

「歩きながら話しましょ」と言って、小宮山さんは、ゆっくりと歩き出した。

「私、祖父江さんのことが好きになっちゃいました。でも……。私は、お客様とはお付き合いしないって、前に、そういう掟を作っちゃったんです」

小宮山さんは、歩き、話ながら、ときどき僕に笑顔を向けてくれた。

僕は、必死で考えた。

色々な言葉が浮かぶ。
それは、僕の感情の爆発のような言葉ばかりだった。

僕は、僕のことしか考えていないのか。
いや、この想いは思いっ切りぶつけても構わない。
掟を守るとか、そんなことは、どうだっていい。
相手の気持ちを考えなくて良いって、自己中心的過ぎるだろ。
好きなんだから、ちゃんと好きだと伝えろ。


いつもの折り返し地点を過ぎていた。

ここまで、ず~っと、堂々巡りの思考を続けていたのかと思った。

「僕は、告白されて、それと同時にフラれたのでしょうか?」

小宮山さんは、なにも言わない。
でも、僕を見つめている。

「僕は、小宮山ひまりさんが、好きです」

「私、お客様とは、お付き合い、……できないんです」と、彼女は言った。

真剣な目で、僕を見つめていた。

どれほど、そうしていたのだろうか。
彼女は、クルリと僕に背を向けた。そして、歩き出した。

離れてしまう。
僕は、彼女を抱きしめたかった。引き止めたかった。

でも、動けなかった。
彼女が、1歩、また1歩と、遠ざかって行った。


ひまり

「賭けに、負けちゃった……」

私は、小さくつぶやいた。

恋愛を飛ばして、プロポーズしてくれることに賭けた。
お客様との恋愛は禁じたけど、結婚は禁じていなかったから。

この賭けは、あまりにもハードルが高すぎると思ったので、もう1つ保険も考えてあった。
でも、その保険もダメだった。
たぶん、もうダメだ。

私は賭けに敗れてしまった。


「ミツアミ~?」

女性のバリ人が、私に近づき、三つ編みの勧誘を口にした。
私は、愛想笑いを返す余裕さえなく、無言ですれ違った。

「おとしタヨ~」と言われた。

なぜか私は振り返ってしまい、彼女を見た。
彼女は私を見て、ギョッと目を見開いた。

「アシ、アト、ネ……」

三つ編みサービスの彼女は、驚きながらも、いつものセリフを言ったのだ。

「あなたもプロね」

そう言った瞬間、ブワッと、私の両目から涙があふれ出た。
私は、涙は放って、鼻水をハンカチで拭いた。


11.ひまり 初めての二日酔い

・翌日

ノドが少し痛かった。トイレにも行きたい。私は、重い身体を持ち上げた。
部屋の時計を見たら、もう10時を回っていた。

身体がだるい。風邪を引いてしまったみたいだ。

昨夜、バリ島から帰国した。

会社へ寄って、それからスナック『縁』に行った。カラオケを歌った。そこまでは憶えている。今、私は、ちゃんとアパートのベッドの上だが、途中から記憶がない。着替えることなく、スーツのまま眠ったらしい。

大家さんに、お土産を渡しただろうか?
ぐるりと部屋を見回すが、紙袋は見当たらなかった。

『縁』で飲み過ぎたのだろう。記憶を失くすまで酔ったのって何年ぶりだろうか。二十歳のとき以来だから、9年ぶりかと、私はもやのかかった頭で計算を行なった。

前半の記憶はあった。ママに、お土産を渡した記憶もある。大城さんも小松さんもいた。カラオケも、けっこう歌った。
「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」という、芸人さんのモノマネがウケた。
何度も言ったという記憶が、薄く朧気おぼろげによみがえった。

『縁』で暴れたとかはない、と思うけど、迷惑をかけたかもしれない。
お昼を過ぎたら、ママに電話して聞いてみよう。

私は、またベッドに入った。風邪は寝て治すが基本だから。


* * *


次に目が覚めたのは、午後1時に近かった。私は、空腹も感じた。ノドの違和感や身体のだるさは、まだ少しあったが、午前中と比べると、かなり良くなっていた。

昼食は、冷凍パスタをチンして食べた。お風呂に入って、散らかっている部屋を少し片づけてから、私はママの携帯に電話をかけた。

ママは出るなり、「大丈夫?」と聞いてきた。
私は「風邪を引いたみたいで。でも、少し良くなりました」と言った。

「ひがちゃん。それ、風邪じゃなくて二日酔いよ。あなた、昨日のこと憶えている?」

「あちゃぁ~、私、なんか、やらかしちゃいました? 後半の記憶が何もなくて……」

「ひがちゃん、最後、眠ってしまって、ぜんぜん起きてくれなかったのよぉ~。大変だったんだから~。あなたみたいに小柄でも、眠っている人って、すんごく重いの」

「わ~っ。ご、ごめんなさい」

「そんな、イイからイイから」と、ママは優しく言ってくれた。

「私、記憶がないのが怖くて。失礼とかなかったですか?」

「そんな、心配することはないわ。ただ、大城さんと小松さんには、ちゃんとお礼とを言うべきね。ええっと、ひがちゃん、今夜って来れる? 来れるなら、昨日のこと、全部、説明するけど?」

「行きます。7時くらいでいいですか」と私は言った。ママが、その時間で良いと言って、電話は終わった。


* * *


私は、7時ちょうどにスナック『縁』のドアを引いた。
店内には、ママと、大城さんと、小松さんもいた。

「昨夜は、ごめんなさい」

私は頭を下げた。

「そんなのイイから、こっちに来て」とママが言った。大城さんはニコニコして迎えてくれた。小松さんは難しい顔をしているが、それはいつもの顔でもあった。

ママはカウンターの中にいる。カウンター席に、左から、小松さん、1つ空けて大城さんが座っていて、やはり1つ空けて、私は座った。

大城さんが、「わんは最初、ひがちゃんが気を失ったと思ったさ~」と、いつもの沖縄なまりで言った。「さっきまで話してたのに、見たらテーブルに突っ伏しててさ~。『どうした?』って声をかけても、ナンも反応がないのさ~!」と、身振り手振りを加えて教えてくれた。

「私も、何度も声をかけて揺すったの。でも、ピクリとさえ動かなくてね。救急車を呼ぼうか迷ったの。そうしたら、小松さんが『眠っているだけだ』って、そう言ったのよ」と、ママが言った。

「寝不足の人間は、時に、あんなふうになるって知ってたんだよ。ちゃんと呼吸もしていたし、脈も正常だった」と、小松さんが言った。小松さんは、本当に博識だ。

「それからが大変でねぇ~」と、ママが詳しく教えてくれた。

私が目を覚まさないので、まず大城さんが、私のアパートの大家さんに電話してくれた、らしい。
次に、担架を作って、私を乗せて運んだ、…らしい。
担架は、大城さんがご自宅から、物干し竿を4本と、毛布を2枚持ってきて、小松さんの指示で作られた、…らしい。
合鍵を持って駆けつけた大家さん、大城さん、大城さんの息子さん、小松さんの4人で、担架を担ぎ、私をアパートまで運んだ、…らしい。

「階段が、大変だったさ~」と、大城さんが言った。

「私も頑張ったのよ。スーツケースや荷物を持って、一緒にアパートまで行ったの」と、ママが付け加えた。

私は、カウンター席から立ち上がって、「ほんと、ごめんなさい」と、もう1度、頭を下げた。

ママと大城さんが、いいから座って、と強く言ってくれた。
私は、穴があったら入りたい、という気持ちを初めて知った。

「一発ギャグは、面白かったぞ」と、小松さんがボソリと言った。口の片方だけを、ニヤリと上げた。

間髪入れず、「あれは、デージおもろかったさ~」と、大城さんがはしゃぎ出した。

大城さんは、わざわざ立ち上がって、私のマネを行なって見せた。

「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」と、全身を使ったフリも付けて実践した。
「わ~、恥ずかしい~!」と私は叫んだ。顔が熱い。きっと真っ赤になっている。

ママも小松さんも笑っていた。
すると大城さんが、完全に調子に乗ってしまった。

「ほかにも、いろいろ言ってたさ~」
「純粋無垢でぇ~、あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」
「無謀な賭けでぇ~、あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」

私は必死で「恥ずかしい~、もうやめて~」と言った。

「あと意味は分からんけど、これもオモロかったさ~」
「足跡ねぇ~、あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」

私は、そんなアレンジを加えた記憶などなかった。

「もうやめて、ね、おねが~い」と私は、大城さんの手を握って動きを封じ、拝むようにして懇願した。

小松さんが、ママを見て、「飲ませ過ぎだったな」と言った。
それに対しママは、「時にはね、飲み潰れた方が良い時って、あるのよ」と返していた。

「ほかに、私、何か言ってませんでしたか?」と私は、恐る恐る尋ねた。

「あと? あとは、カラオケを歌ってぇ~、タンバリン叩いてぇ、BOX席で『バリの春日君が面白かった』とか言ってさ~。で、なになにって聞いたら、ひがちゃんは、こんなふうになって、突っ伏してたんだよ~」と、大城さんは、BOX席に行って、私の寝姿を実演してくれた。

テーブルの手前にオデコを乗せて、右腕は真っすぐで、左腕は曲がっていたらしい。

「ほかに、私、変なことを言ってませんでしたか?」と、私はもう1度聞いた。
3人は、それ以上の失言はなかったと言った。

「私、お土産、ママに渡しましたよね? 大家さんへのお土産って……知りませんか?」

「大丈夫よ。私、見せてもらって知ってたから、大家さんに渡したの」と、ママが教えてくれた。

今夜、部屋に入る前に、大家さんにもお詫びしなくっちゃと、私は思った。


12.祖父江 帰郷を決心

12月

「お疲れ~」
「お疲れ様です」

僕は、いつもの居酒屋で、芳賀部長とビールジョッキを合わせた。部長は店員さんに、茄子の一本漬けと、焼き鳥の盛り合わせと、お刺身の盛り合わせを頼んだ。

「今年も、あっという間に師走だな」と、部長が言った。
僕も、そうですね、早いですよね、と言った。

「で、話ってなんだ」

「来年の3月末で、退職させてくだい」と、僕はストレートに言った。

「これは相談か? それとも報告か?」と部長は確認した。
僕は、報告です、と答えた。

「それは驚いた。どういうことなのか、説明してくれ」と部長は、お通しのキャベツを食べながら言った。
「驚いた」と言いながらも、部長の表情は、まったく驚いているようには見えなかった。

それで僕は、つい、少し笑ってしまった。
それから僕は、簡潔、かつ、過不足のない説明を試みた。

会社と部長のおかげで、高収入を得られ続けたことへの感謝。
来年4月からは、岐阜県の田舎に戻る。
アパート経営を始めるための、充分な貯金がある。
アパートは当社に施工依頼する。
喫茶店経営も始める。
喫茶店は母親に手伝ってもらう。
「喫茶店をやりたい」というのが母の夢で、かつ、口癖だった。

部長は、僕の説明が終わるまで、ひと言も挟まなかった。
焼き鳥を食べ、ビールを飲みながら、いつもの自然体で聞いてくれた。

「親孝行だな」と、部長が言った。

「母の淹れる珈琲は、本当に美味しいんですよ」と、僕は言った。


部長は、「お前のおかげで、わが社の社風が変わった」と言った。

「うちは売上至上主義だったが、祖父江は顧客満足第一主義だったな。そして、それを貫いた。俺も最初は、キレイ事を言いやがってと、そう思っていたよ」と、部長は言った。

「僕は、運が良かっただけです。良い地主さんにたまたま出会って、あとは部長がクロージングをして、決めてくれました」

「祖父江。お前、担当エリアでジョギングしてただろ」

「あ、はい。走ったり、散歩したり。走ることは僕の趣味なんで、どうせなら担当エリアを走った方がイイかなって……」

「あの種まき活動は最強だったな。特に早朝の散歩は、お爺さんたちのウケが抜群に良かったよ。そして、あれは本来ならば仕事だ。俺はそれを知っていながら、知らないフリをした。もし、あの担当エリアでの散歩やジョギングを仕事とカウントしたなら、その場合、間違いなく祖父江は、働きすぎだと人事部からブレーキがかかっただろう。ダントツの労働時間になってしまうからな。
 年末年始も走っていただろ?」

「箱根駅伝の時期は、どうしたって血が騒ぐんです。走らずにはいられないんです。それに、部下は時間外で走ったりはしていません。規定の稼働時間内で結果が出ています」

「ああ。部下が時間外労働を一切していないことは、ちゃんと知っている。いずれにせよ、君の仮説通り、種まき活動や顧客第一主義の方が、俺たちが教わった旧式の営業活動より優れていた。部下をインセンティブという飴と、ノルマという鞭で管理する。そんな売上至上主義の敗北が明白になった。祖父江が、数字で証明して見せてくれた」

「部長が、僕と本部長の間に入ってくれたおかげです。ありがとうございます」と、僕は言った。

芳賀部長は、僕が思うまま何でも自由にやらせてくれた。古い営業手法を強制したがる本部長に対し、芳賀部長は、あらゆる手段を使って僕を庇い、そして守ってくれた。

僕は、本部長の命令に背く場合、「今回の本部長の命令には従いません」と芳賀部長に、正直に報告した。芳賀部長は見て見ぬふりをしてくれた。
僕は、会社には背いていないという免罪符を、その都度、部長から発行していただいたのだ。

「祖父江」

「はい」

「ならばまず、岐阜県に転勤しろ。会社員の方が、圧倒的にローンが通りやすい。そして1棟目のアパートで黒字を出すんだ。そうすれば2棟目は、会社員を辞めていても、ローンが通りやすくなる」

「部長……」

「人事部には俺の方から話す。そうだな。君のおふくろさんが、少々体調が良くないらしいと、そんな方便も使う。もし聞かれたら、上手く話しを合わせてくれ。ポジションは、今と同じ課長だな。君のやり方を、田舎でも見せてやるといい。まだウチの支店以外で、君のやり方を正しく理解している人間はいない。他の支店でも、同じ結果が出ると証明されたなら、会社の改革に加速する」

「ありがとうございます」

「移動したなら、すぐ店長に、アパートを建てたいと相談するといい。新しい店長への、良い土産になる」

芳賀部長はそう言って、ビールを飲んだ。

僕は、やはり幸運だ。
上司に恵まれ、部下にも、お客様にも恵まれた。

例外は、1つだけだった。





第5章につづく


いいなと思ったら応援しよう!

奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
コメントしていただけると、めっちゃ嬉しいです!😆 サポートしていただけると、凄く励みになります!😆