例えば,珈琲を飲んでいるその時に2秒間だけ眠ってしまい,飲んでいる珈琲の味が緑茶だった!っていう夢で,目覚めても口の中に緑茶の味がするという,そんな話
最近、ふと感じた『脳の不思議』から、妄想を膨らませました。
今日の記事は、なんのお役にも立ちません。あしからず。
これも夢?
僕は、湯船に浸かって読書をしています。
湯船では、今は紙の本を読むようにしています。積ん読の消化を、お風呂の中で行なっている、というワケです。
少なくとも10分間、僕は、湯船に浸かります。
たかが10分、されど10分。
塵も積もれば山となるで、確実に、ページが進みます。
ときに、うたた寝しそうになります。
本の世界に入り切っていないとき、どうも今の自分には合わない本だったとき、単純に僕が疲れているときなどに、睡魔が近づいてくるのです。
過去、その睡魔にやられて、本を濡らしたことが何度もあります。
それを強く悔いたからなのか、最近では本を濡らすことが無くなりました。
かわりに、不思議な現象が発生するようになりました。
1度ではなく、もう7~8回、発生しています。
文章が変なのです。
それまでの文脈から考えて、変なことが書かれています。
「え? どういうこと?」と思って読み直すと、
さっき見た文章は書かれてなどいない、という現象です。
映像的に説明しますと、
と、(場所は湯船ですが)普通に読書しているのです。
で、
その状態で、たぶん僕は、夢を見ているのです。
違う文章が見えるのですから。
本を黙読していて、
これが実は、夢という映像に途中から変わり、
(ん? 変だぞ、意味が分からんし)と思うのです。
さっき読んだ文章を覚えています。
文章を見た、活字の残像もあります。脳内で再生可能なのです。
もう1度、読みかけの所を見ます。
すると、まったく違う文字が並んでいるのです。
印刷された文字が、瞬間的に変化したかのような、そんな風にしか思えないのです。
これが、1、2度なら、そこまで気にしません。
しかし、5回を超えて繰り返されると、
「不思議な体験だぞ」
と思い、気になるようになりました。
たぶん、
眠くなった僕の脳が、続きの文章を創作しているのです。
眠りながら。
夢の中で、何かに触れて、
目が覚めて、
目覚めた自分の手の平に、そのモノを触った感触が、ハッキリと残っていることって、ありますよね。
アレの、黙読バージョンです。
文字の残像が、明確に残っているのです。
「いや、さっきココには、『奈緒子が道で飛び跳ねる』って、あったやん」とツッコミを入れてしまいます。
その小説には、『奈緒子』などという登場人物はいません。幕末の時代小説でした。
『奈緒子』とか『飛び跳ねる』という、文字の映像が、さっきココにあったという、本当に、リアルな感覚があるのです。
確かに、その活字を見たという感覚です。
これって、よくあることなのでしょうか。
魂
子どものとき、僕は、こう思ったことが何度もあります。
このようなことを、物心ついてすぐに思ったのです。
たぶん、4歳か5歳です。
おそらくは、「魂」とか「そもそも」とか「可能性」とかという、そのような難しい単語を思い浮かべたワケではないでしょう。
ただ、そのときの気持ちを、今の僕が言語化すると、そういう気持ちだったのです。間違いなく、ウソ偽りなくです。
これって、よくあることなのでしょうか。
遺伝子情報
今、ふと思い、『遺伝子情報』というワードで、ネット検索してみます。
検索してみたら、余計に分からなくなりました。
分かったのは、とにかく「凄く膨大な情報量」ということだけです。
すごく膨大な遺伝情報を、僕たちは両親から受け継ぐ。
その両親は、そのまた両親から受け継いでいる。
ということはです。
ご先祖様の記憶も、うっすらと受け継いでいたりしませんか?
「受け継いでいる」という科学的発見はなくても、
同じように、
「受け継いでなどいない」という科学的発見も、ないのでは?
まとめると
脳って、メッチャ不思議ですよね。
眠っていて目を閉じているのに、まるで映画のような映像を見せてくれる。
そこには、触った感覚や、音だってあるのです。
そして、「魂」とか「精神」などという難しい概念を理解できるはずもない幼児が、ぼんやりと、そんなことを考える。
理屈で考えたのではなく、そう思ってもおかしくない体験があったのか?
うっすらとした記憶なのか?
遺伝子情報には、膨大な情報量が刻まれていると、現在の科学で言われている。
ならば、先祖の記憶も、ごく少し残っているのでは?
こんなことを考えている人が、この日本だけでも少なく見積もって1万人は、いるのでしょうねぇ。
僕は、1万人の1人かもしれません。
意味は、ほぼ、ありません。
僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです。
チャオ!