第475話 「みんなちがって みんないい」って、『尊重』って、本当に分かっていますか?
僕は昨年の後半から、「みんなちがって、みんないい派」に、参加させていただくようになりました。
それまでは、「オレ様こそが正しい派」の、おそらく幹部クラスだったはずです。
少し前の記事に、このように書きましたなら、お2人の方から、
「そうだったのですか?!」
「なにゆえ変化が?」
「びっくりです!」
というような意味の、コメントをいただきました。
なので、過去記事も使いつつ、僕自身も、【『尊重』にたいする僕の変化】を振り返ってみたいと思います。
◆キッカケ
2019年の夏。
僕は初めて作詞作曲しました。
譜面など書けないし、楽器も引けなくて、僕は鼻歌で曲を作りました。
ゆかりちゃんの天然エピソード満載の歌詞です。
曲のタイトルは『wife』です。
僕は、作詞の面白さに夢中になりました。
今思えば、この『wife』を作詞作曲したことは、文筆家になるキッカケでもありました。
湘南の藤沢市に住む友人が作曲し、僕が作詞する。
というプロジェクトが、オンラインで始まったのです。
が、
この作曲家の友人は、僕の書いた歌詞へのダメ出しが半端ではありません。ボツの歌詞が、これでもかと出来上がりました。
(1つとして採用なし、オール不採用)
歌詞がダメって、その意味や内容だろうと、そう思うじゃないですか?
違うのです。
「ここの音に『が』は、ふさわしくない」
「この言葉の音では、リズムにふさわしくない」
「この言葉の音では、メロディーにふさわしくない」
と、
音、リズム、メロディーに、マッチしていないというダメ出しなのです。
ちゃんと、文字数(音数)をオタマジャクシに合わせて、数えて歌詞をかいても、
「そういうことではない」というのです。
そんなこんなで、2019年の秋。
僕は、直談判での交渉に挑みました。
愛知県から藤沢市まで、買ったばかりのギターを積んで車を走らせました。
結果は、作詞は暗礁に乗り上げたままでした。
海洋サルベージ船は、仕事を成すことなく引き上げたのです。
ここ、
今、書いていて思い出して面白いので、のちに詳しく、1記事にして書きますね。
で、代わりにというか、友人は『wife』に、ギターのコードを付けてくれました。
カッコイイんです!(友人が弾けば)
でも、
僕のギターは埃をかぶり、今は、押し入れにしまってあります。
ああ、練習しなければ!
話しが、思いっきりずれましたが、この時なのです!
友人が「尊重」を語ったのです!
この日の会話が、1年と数か月後、僕が「オレ様こそが正しい派」を卒業するキッカケだったのです。
◆メモ
このとき、友人が語った言葉です。
僕のスマホのメモに、こう書かれています。
尊重はルールではない
人は成長したいが、成長させられたいわけではない
尊重は積極的なものではなく「知る」が近い
尊重の対義語は「尊重しない」
例として、
「輪廻転生を信じる人が、『え~っ⁈ 人は生まれ変わらないって思っているの?あのね…』って、そんな説得なんてしないじゃないですか」
(※輪廻転生が「ある」も「ない」も証明は不可能)
(※「信じる」「信じない」の問題)
(※ゆえに、「正しい」「おかしい」などという議論は、不毛)
考え方が違う人を説得するのって、そんなことをしようとしているのと同じ
そのくらい相手って、変わるハズないのです
メモアプリには、「2019/11/03 23:09」とあります。
居酒屋で話ししていて、「忘れないようにメモする」「もう一回言って」と、友人の言葉を書き留めたのでした。
正直に言いますと、このメモを書いたときは、正確な意味は分かっていませんでした。
なんか、カッコイイ台詞だなぁ、と思って書いたのが半分です。
もう半分は、僕の本能が「書け」と命じたからです。
◆しばらくは
しばらくは、この「尊重」というキーワードが引っかかるものの、
理解や納得ができませんでした。
考えの違う人の、「考え」を尊重する?
くだらない下劣な考えでも?
考えの違う「人」を尊重する?
くだらないヤツ(人)でも?
そもそも尊重しろって、ならば議論は一切ダメなの?
友人の意見を聞いたときには、納得しかかっていたのに、なぜか、
1人で思考すると途端に難しくなりました。
ヘ理屈に思えてしまうのです。もしくは「キレイごと」です。
でも、僕の中のリトルじょーじが、「尊重は大事だ!」と、「忘れるな!」「考え続けろ!」と、警戒アラートを鳴らし続けました。
心の奥底から、「絶対に大事なんだ!」「これは重要だぞ!」と、強く訴えるのです。
かなりの圧と、かなりの本気で、訴え続けてくるのです。
◆なんだかんだで1年経過
キッカケは得て、ときどきモヤ~っと思考して、でも「尊重」を理解することはできずに、約1年が経過しそうになりました。
ちなみに、辞書でいう「尊重」は理解しています。
尊いものとして重んずること
僕は、僕が「尊い」と思えば重んじます。
僕が「尊い」と思えないときには、「尊いものとして重んじたフリをする」ことが尊重なのか?
そんなことはないだろう。
ならば、「尊いもの」と自分に言い聞かせ、「重んじるのだ」と言い聞かせることが尊重なのか?
どうも、しっくりしないなぁ。
このような思考を、グルグルと行なった1年弱です。
そして、あるワークに出会います。
◆モーニングページ
2020年10月2日です。
友人からキッカケを得て、11ヵ月が経過しました。
僕は、2020年9月25日にkindleで購入した、ジュリア・キャメロン著の
『いくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。』を、5%読み、即、ワークを実践しました。
そのワークが、モーニングページです。
記事に書きました。↓
この3記事は、モーニングページの体験記になっています。
◆尊重村、傲慢村、卑下村、という出身地
僕は、間違いなく、生まれも育ちも「傲慢村」だと思います。
なので、ちょっとくらい尊重を理解しても、チラチラ傲慢さが出てしまいます。
そこで僕は、「僕にとって『尊重』は、生涯かけて取り組むテーマだ」と思い定めるようになりました。
モーニングページを皮切りに、僕は、人生を180度変える名著 に出会いまくります。
2020年10月13日に購入しました、草薙龍瞬著『反応しない練習』をAmazonオーディブルで聞いて、僕はひっくり返りました!
2020年12月7日に購入しました、岸見一郎、古賀史健共著『嫌われる勇気』をAmazonオーディブルで聞いて、僕は地球を突き抜けました。
(ブラジルかアルゼンチンを「チラ」と見て帰ってきました)
さらに、岸見一郎、古賀史健共著『幸せになる勇気』も読みました。
「これ以上の名著に出会うことはないだろう」と、3回連続で思いました。
どんどん、記録が塗り替えられたのです。
そして、初めて、
「みんなちがって みんないい」
という境地が理解できるようになったのです。
ちなみに、ゆかりちゃんは自称「尊重村」出身ですが、僕は「卑下村」出身ではないか?と睨んでいます。
いっとき、この「尊重」や「尊重村」がマイブームになり、いくつか記事を書きました。
マガジンにまとめてあります。
が、完成度は低いので、どうしようもなくお暇なときにでもご覧くださいませ。(忙しいときに読むほどのものではありません)
◆尊重とは
僕の歌詞を、すべてお蔵入りにした友人の受売りになりますが、
僕の「尊重」は以下になります。
ブッダ(お釈迦様)の言った、
「天上天下唯我独尊」
が、尊重です。
唯一、僕だけが尊いのです。
そして、『あなた』も、あなたにとっては唯一、あなただけが尊いのです。
僕が「くだらないヤツ」と思うAさんも、Aさんにとっては唯一、Aさんだけが尊いのです。
みんなが、唯一尊い僕と、まったく同じに尊いのです。
◆〆
最近、ゆかりちゃんが「卑下村」から「傲慢村」に引越したような気がします。
ウソだと思った方は、ここ最近の僕たちのラジオ(stand.fmかYouTube)をお聞きしてみてください。
そこそこに、面白い内容になっております。
どんなにボディーに攻撃を受けても、耐えます!
僕は、ゆかりちゃんが大好きなのですから。
PS.ゆかりちゃんのアメブロはこちらです