第199話 西野さんのVoicyの『今日のトーク』を【象】とすると
キンコン西野さんのVoicyを、僕は毎日聴いている。
今朝も、最新の配信を聴いた。聴いてて、思うことがあった。これから内容をざっくりと要約するが、リンクを貼るので聴いていただくのも良いかと思う。西野さんの声と話し方は、非常に【ココチ好い】ので、耳も喜ぶと思う。
◆西野さんのトーク
タイトルは【「意見」と「人格」を混同させてしまう人】だ。
では、内容を要約する。
違う意見を、聞けない人っている。「ただ違う意見」「なるほど」「今回は意見が分かれたね」とは、ならないで、「嫌い!」「間違ってる!」と、人格否定する人が、一定数いる。
AorBで、Aを選んだ場合でも、「Aを選んだ」なのに、「Bを否定した」と捉える人がいる。例として、「キンコン西野は、ひな壇に出ないです」と選択したら、「キンコン西野は、ひな壇を否定した!ひな壇を批判した!」と、そうなる人が、かなりの数になる。
なんで、自分の意見以外はアウトなん?
「なるほどね」、っていう、ひと言を持てば良いだけなのに。「なるほどね、あなたはそう考えるのね」と。
ちなみに僕、苦手な意見ってあるけど、嫌いな人っていないんです。
意見と人格は別だから。だから、執拗に嫌がらせをする人以外、嫌いには、普通、ならないと思うんです。
以上、Voicyの内容を、僕なりに要約した。
◆僕はバッシングしていない
前にも書いたが、僕は、西野さんが世間から、あるいは芸人仲間から、叩かれまくった時期というのを知らない。僕の、ワーカーホリック時代と重なり、当時僕は、TVを観る時間が、極端に少なかったのだ。
知らないくらいだから、僕は、バッシングなどしていない。
◆このトークを【象】とすると
ちょっとまえの僕が、このトークを聴いたとする。第136話「嫌いという言葉」、という記事を書いた、その直後だとする。
すると僕は、このトークの、2つ目の太字に注目すると思う。2つ目の太字は、【嫌いな人っていない】だ。
そして、「ゆかりちゃん、このVoicy、聴いてみたら」と、言っただろう。僕は、「苦手な意見ってあっても、嫌いな人って、やはり、作る必要ないんだよ」と、そのように、僕の持論の、正当性をアピールするだろう。
で、(仮に、めずらしく)素直にゆかりちゃんが、このVoicyを聴いたとする。ゆかりちゃんは、どこに意識が残るだろうか?
高確率で、1つ目の太字だろう。
なんで、自分の意見以外はアウトなん? ここだ。
そして、「じょーじは、なんで自分と同じ意見じゃないとダメなん?」って、そこを指摘したくなるはずだ。
これは、それぞれ象の違う部位を触っているのに、「象とはこのようなモノだ!」「私は正しい!」「おまえは間違っている!」と罵りあう、全盲の人たちという逸話と、全くもって、ソックリだと思った。
◆じょーじ、告白
嘘ではなく、僕は、キンコン西野さんを叩いていない。
でも、あのとき、僕がTVを観ていたなら? ・・・自信が無い。
「それでも僕は叩いていない」と、そう言える、自信がない。
なぜなら、今日のVoicyのトークの主題は、【「意見」と「人格」を混同させてしまう人】だ。僕は、僕の意見が100%正しいと思ってしまう人間だった。だから、僕が理解できない新たな行動は、おそらくは、否定したと思うのだ。
たまたま、僕は、西野さんを叩いていないし、インターネットでの誹謗中傷は被害者になったこともあり、コメントで叩くなどという行為は、行わなかったとは思う。
でも、一番大事なマインドは、どうだろうか?
精神は?
根幹は?
僕のマインドは、叩く側のマインドだった。
そっち側の、人間だった。
自分で、そう思う。
自分で、そう分析する。
今日のトークを聴いていて、それがハッキリとわかった。僕は、僕の意見と異なる意見の人を、受け入れなれない人間だった。
相手の意見を「尊重する」ということが、ちっともできない人間だった。
◆結論&〆
モーニングページと『反応しない練習』の掛け算が、もの凄いことになっている。その効果があって、今日のVoicyも、これまでとは違う聴き方ができたと思う。
* * *
西野さんは、映画「えんとつ町のプペル」の本予告が、20日から始まると言った。
そして、映画館に行けば、本ポスター(メインビジュアル)が貼りだされていて、声優さんがわかるという。気になって気になって仕方がない。
ゆかりちゃんに「ポスター見るだけだけど、映画館に行かない?」と提案してみたら、「え~よぉ~」と言ってもらえた。
僕は、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。