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恋愛下手な沖縄娘が、東京で仕事に夢中になり、沖縄に新たな夢と恋人を連れて帰る話(仮)【小説の下書き その11】

下書きです。
あとで書き直します。


5.ひまり バリ島、初日

「隊長~、島田って、知ってます~?」

ツアー客の1人、菅澤さんの奥さんに、私は話しかけられた。私は、あえてクエスチョンマークを顔に浮かべて、首を傾けて見せた。

「島田は、私の兄なんです~」と、菅澤さんは言った。私は、ピンと閃いた。

「ええ~?  島田さんって、あの島田さん?  お兄さんって、じゃあ、妹さんですか~?」

「そうなんです~!  兄から、ときどき隊長のことは聞いていて~。出発前の、あの『隊長と呼んでください』っていうひと言で、間違いないって思ったんですよ~」

「そういえば、目元が島田さんにソックリですね。お兄さんには、ホント、いつもお世話になっています」と私は頭を下げた。

「あっ、この目は母からの遺伝なんです~」

「クッキリな二重瞼で、私、うらやましいです~。ステキです」

「何を、も~ぉ。ありがとうございます。私はむしろ、隊長の奥二重がうらやましいですよ~」と、菅澤さんは社交辞令を返してくれた。

前の席の年配の女性が、上の荷物だなから何かを取り出したい様子だったので、私は、それを手伝った。こういう時、せめて身長があと5センチ欲しいと思う。

私は、良い機会だと思い、菅澤さんに質問をしてみた。

「あの~。菅澤さんに1つ、聞いてもイイですか?」

「もちろんです隊長~。何でしょうか?」

「やはり皆さん、何度もバリ島に来ていて、地理にも娯楽や楽しみ方にも詳しいわけですし…。私が何か企画を考えるって、必要ないですかね?」

「企画ですかぁ。……例えば、一緒に夕食を頂くとか、オプショナルツアーに一緒に行きませんかとか、そういった案内でしょうか?」

「そうです、そうです」

「自由参加なら、呼びかけても、ぜんぜん構わないと思いますよ。ねぇ、あなた?」

「ああ、声を掛けるのは何の問題もないだろう」と、菅澤さんのご主人も肯定してくれた。
「そうよそうよ。もし、内容や日時が合わないなら、参加しないだけなんですから」と奥さまが、素の意見という口調で、後押ししてくださった。

「嬉しい~!   何か考えてみますね~!  もちろん自由参加にしますので!」

「ええ~、私も主人も、興味と都合が合えば、そのときは参加しますから」

「ありがとうございます~! 相談して良かったです~~~!」

私の脳が、やっと回転し始めた。
自分の座席に戻ると、いくつかのアイディアがすぐに浮かんで、その作戦を思いつくまま、私はノートに走り書きしたのだった。


* * *


飛行機は無事、ほぼ予定通りの時刻にデンパサール空港に到着した。

現地ガイドの、ナルマールさんが到着ゲートで迎えてくれていた。外はもう、真っ暗だった。

ナルマールさんが、バスでホテルに向かうと説明を行なった。日本語は完璧で、とても丁寧な語り口調だった。誠実な人柄が伺えた。

ターンテーブルから観光バスへ向かう途中で、数人のバリ人が、ツアー客のスーツケースに近づいてきた。
スリや泥棒ではなく、ポーターを勝手に買って出るという、いわば押し売り的なサービス行為だ。途上国にはアルアルの光景だった。

私は、少し心配になって、若いカップルと祖父江さんを目で追った。若いカップルは問題なかったが、祖父江さんは、スーツケースをバリの青年に任せて歩いている。

祖父江さんは呑気な表情をしていて、私は可笑しくなってしまった。

バスに着き、青年に祖父江さんが「ありがとう」と言っていた。
青年は「せん」と言って手のひらを出す。
祖父江さんが「え?  なに?」と尋ねるが、青年は、それには答えずに、「せん」という言葉に手のひらの動きをシンクロさせ、それを繰り返した。

祖父江さんは、やっと、有料のサービスだったのかと、気づいた様子だ。


全員がバスに乗ったハズだ。私は、バスの中で人数確認を行なう。全員そろっていたので、運転手さんに、ホテルへ向かってくださいと告げる。

「千円も上げたの?」
「もったいない~」
「ルピア、持ってなかったの~?」

という会話が聞こえてきた。

「両替所は現地がお得だと、『地球の歩き方』に書いてあったんですよ~」
という、祖父江さんの声が聞こえた。きっと全員に聞こえている。

誰かが、「そうやってだまされる日本人がいるから、彼らは日本人にまとわりつくんだよ」と、ややキツイ口調でボヤいた。

一瞬、ホンの少しだけど、車内の空気が冷たくなった。

「確かに!  その通りですよね。ありがとうございます」という祖父江さんの声が聞こえた。「勉強になるな~。助かります」と、さらに言っている。

バスの中の空気が、通常に戻った。いや、少し柔らかくなった気がする。
長いフライトで疲れているだろう常連さんたちの表情が、少し明るくなっていた。わずかな微笑みが見てとれた。

(あっ!)

私は、声を上げそうになり、それをこらえた。

(私、今、得意気になっている……)

そんな自分に気づいて、顔が熱くなった。きっと、私の頬は、真っ赤になっているのだろう。
冷静にならなければと思い、私は、通路越しのナルマールさんに、小さな声で話しかけた。

「あのう。さっきのような勝手なポーターについて、お客様に前もって注意をアナウンスした方が良いように思うのですが、ナルマールさんは、どう思いますか?」と、質問をしてみた。

ナルマールさんは、私の目を見て、そして視線を落とし、「彼らには、生活が、あります」と、苦しそうに呟いた。ひと言ひと言、かみしめるような話し方だった。

私に、ナルマールさんの気持ちが伝わってきた。ナルマールさんは、お客様を大事に考えていて、同時に、この町の貧しい少年たちも大事に考えているのだろう。その間に立つ人間として、中立に徹しているのだ。

必要なことは言う。でも、余計なことは言わない。
そのような、ナルマールさんの気持ちが、私にじんわりと、しかし、明確に伝わってきた。


* * *


バスがホテルに着いた。
ここインペリアルホテルは、バリ島ではSランクの高級ホテルだ。さらに上のSSランクのホテルもあるが、その数はわずかしかない。

このホテルのパブリックスペースのドアは、全て、人力の自動ドアだった。ドアマンが開閉してくれるのだ。

その、高級ホテルのロビーをお借りして、私は、ツアー全体の説明を行なった。
団体行動は、明日1日だけ。明日の島内観光は、主に寺院を見て回る。ヒンズー教のルールや注意点。そのような説明を簡潔に行なった。

「集合場所は、ココで~す」と、私が言った途端、ロビーが真っ暗闇になった。
「へひっ!」という声が聞こえた。

「停電です」という、ナルマールさんの、落ち着いた声が響いた。ナルマールさんも大きな声が出るのだと、私は少し驚いた。

「ホテルは、自家、発電設備が、あります。すぐ、明るくなります。その場で、動かないで、下さい」と、ナルマールさんの落ち着いた声が広がった。
「動かないでくださ~い」と、私もやや大きめの声で言った。

停電ゆえ一切の照明がなく、暗さに目が慣れていないからか、まさに、鼻をつままれても分からないという状態だった。

パッと、照明が点いた。自家発電に切り替えられたのだろう。
暗かったのは2分程度だろうか? 
電力供給システムの不具合があり、停電があるとは聞いていたし、高級ホテルには自家発電設備があることも、私は、予習して知ってはいた。

でも、町のレストランなどには自家発電設備はないのではないか。ふと、そんな心配が浮かんだ。ディナー中に停電になったら、ちょっと大変かもしれない。あとで、ナルマールさんに対応策を聞いておこうと思い、私はすぐにメモをした。

若いカップルが笑っていた。

「祖父江さん、今、『へひっ!』って言ったでしょ~」と、彼氏さんが言った。彼女さんはお腹を抱えて笑っていた。かなりの笑い上戸のようだ。

あの「へひっ!」という小さな悲鳴は、祖父江さんだったのか。

「僕、暗いの、苦手なんです」と、祖父江さんが真面目な口調で言った。

「さっきの『へひっ!』は、最高でしたわぁ~」と、上品な口調で、米山さんの奥様が茶化した。
「そうそう」と、みんながニヤニヤして、「大きな身体してて、でもビビリなんだね」と、島田さんのご主人も冷やかし出した。

「暗いのだけ、ダメなんです」と祖父江さんは、小さな声で反論した。

若いカップルの彼女さんが、すごくニヤニヤした顔で、「高い所は?」と質問した。
祖父江さんは、「あ、…高い所も苦手です」と、少しうなだれるようにして言ったものだから、みんながドッと笑った。

私も笑ってしまった。
ナルマールさんも笑っていた。

私は、また、得意な気持ちになっていた。


6.ひまり バリ島、2日目

早朝、私はホテルの裏口から、ビーチに向かって歩いていた。

ビーチに出て、伸びをして深呼吸した。右へ歩き出すか、左へ歩き出すか、ビーチを遠くまで、左右それぞれ眺めた。

私が、ビーチを左に歩き出すと、すぐに、「隊長~!」と声をかけられた。
振り向くと、菅澤さんご夫婦だった。

私は、足を止めて、菅澤さんご夫婦が追いつくのを待った。

「隊長も散歩ですか?」

「ええ。ビーチは気持ちイイですよね~」と、私は答えた。

「隊長は沖縄出身ですよね。海、メッチャ好きなんでしょう~?」

「大正解で~す!」

「夕方のビーチ散歩も、最高ですよ~」と奥さんが言って、「このレギャンビーチは、世界1の夕日だと、そう言われていますからね~」と、ご主人が付け加えた。

「世界1~?  じゃあ、夕方も散歩しなくっちゃ~」と私は言った。

沖縄でも、ときどきビーチを散歩した。もちろん毎日ではなかったけど。
海は、あたりまえに海だったし、その海の美しさも、また、あたり前だったのだ。

東京で暮らすようになり、海やビーチが疎遠になると、私は、海が大好きなのだと痛感した。今も、この海の美しさに感動し、涙が溢れそうになっていた。

前から人が歩いてきた。Uターンしたのだろう。その人は祖父江さんだった。

すれ違うとき、菅澤さんの奥さんが「おはようございます」と言った。
ご主人も「おはようございます」と続く。
私も「おはようございます」と言った。
祖父江さんも「おはようございます」と言った。

4人は、互いに歩調を緩めた。

「散歩は気持ちイイですよね」と、奥さんが言った。

「ですね。クセになりそうです」と、祖父江さんが言った。

「また」「またね」などと言って、3人と1人は離れた。

私たちはまた、3人でたわいもない話をしながら、時には無言になり、波の音に耳を澄ませ、水平線の彼方に視線を向けて、のんびりと歩いた。

「この辺で戻ろうか?」と奥さんが言った。
私は「そうですね」と答えた。

戻りながら、私は心の中で、明日はもう少しだけ、早く起きようと思った。


7.祖父江 バリ島、2日目

僕は、中学生の修学旅行のとき、ガイドさんの解説を聞く面白さを知ってしまった。ヤンチャな男子からは、女性ガイドさんが好きなのだと冷やかされたが、僕は、そんなことは気にせず放って置いた。

歴史ある建築物の歴史や、それに関連するエピソードは、とても興味深かった。作られた理由や背景などを知ると、その建物は、魅力が飛躍的にアップするだ。

今日は、たくさんの寺院を見学できる。
僕は、メモを取るつもりはない。得た知識ではなく、知識を得て僕の心がどう動くのか。僕は感情を味わい、感情を記憶しようと考えていた。

移動はマイクロバスで行なわれた。駐車場にバスを停めて、そこから寺院まで歩く。
駐車場から寺院までの、そのわずかなチャンスを狙って、少年や少女が声をかけてくる。小学生の低学年と、小学校に上がる前の子供たちに見えた。みんな小さかった。

「コーラ、あるよ~」「エハガキ、キレイよ~」と、子供たちは日本語で声をかけてくる。みんな日本語を、ちゃんと理解して使っている感じがした。

「いくら?」と聞くと、判で押したように「センえん」と返ってくる。

僕は、空港でポーターに、言われるままに1000円を支払った。このことがキッカケとなり、僕は、バリ島の通過に関し学び直した。ちゃんと『地球の歩き方』に書かれてあったのだ。

通貨の価値は、例えば、10万インドネシアルピアは、日本円で約1000円だった。1万ルピアは100円だし、1000ルピアは10円。おおよその目安として、0を2つ消すと良い、と書いてあった。

通貨の価値とは別に、物価の違いもある。物価は、大雑把に言うと10倍の違いがあるようだ。
日本の、大卒初任給は月収は25万円くらいだが、その25万円をルピアに替えると、このバリ島では1年間生活できるという。年収に近い金額なのだ。

バリ島では、高収入のホテルマンの月収が、円に換算すると、約2万5千円くらい。年収なら35万円くらいと『地球の歩き方』に書いてあった。

僕は空港で、ポーターに1000円を支払った。僕にとっては1000円だが、彼にとってはその10倍の、約1万円の価値を手に入れたことになる。たった5分間スーツケースを引きずって、1日の日当に値する1000円(10万ルピア)を稼げたなら、それは嬉しいだろうなぁと、イメージが鮮明になった。

今、僕の頭の中には、そのような予備知識がある。

ペットボトルのペプシコーラ1本に、「センえん」と言われたら、反射的に「高い」と口ずさんでいる。
ペプシコーラ1本と、1万円の価値がある1000円札とを交換したいと言うのか?  それは図々しいぜ、少年、と僕は思った。

僕に「高い」と言われた少年は、手のひらをパーにして見せた。おそらくそれは「5」を示している。
僕は、ニヤリと笑った。きっと少年は、高いか、ならば半額でイイけど、と交渉を行なっているのだ。
500円なら出しても良いような気持になったが、物価を考慮すると、少年は5千円の価値を手に入れることになる。僕は、首を横に振った。

いたずら心が生じた僕は、わざと、「千ルピアにしてくれる?」と聞いてみた。

少年は、首を左右に振った。1000ルピアは約10円。ここの物価では100円の価値。それでは赤字になるのだろう。しかし少年は、怒りだすこともなく、落胆することもなく、そして、あきらめることもなく、歩く僕についてきた。

なぜだろうか。
僕は、少年が愛おしくなった。

頭の中で計算する。100円でペプシコーラを買ったなら、少し安いと思った。200円ならちょっと高いけど、まあイイかと思える。200円は0を2つ足して2万ルピアだな。

「2万ルピアなら買うけど」と、少年に言った。

少年は笑顔になった。日本語の「万」の意味が、ちゃんと分っているのだ。僕は、もっと大喜びするかと思ったが、少年は普通の笑顔で「タレマカシー」と言った。
僕は、お金を支払い、ペットボトルのペプシコーラを受け取る。僕も「タレマカシー」と言った。

少年は、はにかんだ。その笑顔は、やはり愛おしかった。


* * *


その日、何度目かの寺院の見学の後だった。

駐車場のバスへ戻る道すがら、僕は、1人の少女から絵葉書を買った。
やはり、最初の「センえん」では買わずに、ちゃんと適正価格と思われる価格を提示して、交渉を成立させた。

5枚セットの切手のない絵ハガキだから、300円が妥当だと考えた。それが、少女には3千円の価値だろうが、そこはもうどうでも良かった。僕にとってはちょうど良い価格なのだ。

少女は、はにかんでいた。

僕に渡す絵葉書は、握りしめて半分丸くなった絵葉書ではなかった。ちゃんとキレイな絵葉書が、たすき掛けのカバンの中から取り出された。つまり、その握りしめていたハガキは、サンプルだったのだ。

誠実な商売じゃないか、と思った。丸まった、少し汚れた絵葉書だけど、まあ目をつぶってあげようなどと、上から見下ろすような考え方をしていた自分を、僕は恥じた。


ガイドとして同行していたナルマールさんが、僕に近づいてきてこう言った。

「彼らは、小学校へ、行けません。彼らの親は、お金が、ないのです」と。

僕は、すぐに返す言葉を見つけられなかった。

「バリでは、普通です。バリの子供は、だいたい、80パーセントは、小学校に、行って、いません」と、ナルマールさんは、淡々と説明した。

たまたま、前を歩いている小宮山さんが、別の少女から絵葉書を買っているのが見えた。
僕は、嬉しかった。話しかけるキッカケになるなと、そんなことも思った。

小宮山さんは、キレイな絵葉書を拒否して、少女が握りしめて曲がった絵葉書を指さした。
「こっちをちょうだい」と、言っている。

少女は不思議そうな顔をしたが、それに応じた。
やはり喜びの表情は、はにかみだった。

「隊長」と、僕は声をかけて、絵葉書をヒラヒラさせて見せた。

「祖父江さんも買ったんですね」と聞かれたので、僕は、ええと答えた。

そして、「隊長は、あえて丸まっているサンプルを買ってましたね?」と、言ってみた。

「そうなの。たぶん、旅の思い出として、部屋のどこかに置くと思ったんです。私、絵ハガキを書いて誰かに送ることは、きっとしないと思って。それならば、あの子の手のひらに握られて曲がった絵葉書の方が、その方がイイって、閃いちゃったんですよ~。ナイスアイディアだと思いませんか?」

小宮山さんは、満面の笑みで、そう言ったのだ。

僕は、鼻の奥がツンとしてヤバかった。
なぜか感動している。

物ではなく思い出を大切にしているからだろうか。たぶんそうだ。
あるいは、少女から絵葉書を購入する、その小宮山さんの姿がやさしさに満ちていたからか。たぶんそうだ。
あるいはあるいは、ステキなことを思いついちゃったと、臆面もなく自慢した小宮山さんの表情が、とてもキュートだったからか。たぶんそうだ。

「そのアイディアは凄いなぁ。僕も交換してもらおうかなぁ」と、僕は頑張って、平静を装った。

何とか、普通に言えたはずだ。


* * *


夜、僕は1人で街に出た。商店街を散歩して、どこかで晩ごはんを食べるつもりだ。ホテルからは、タクシーに乗ってやって来た。

タクシーも土産屋も、レストランも、ほぼ日本語が通じるので、前に行ったハワイより、楽に買い物ができた。レストランでの注文も。困ることは何ひとつ発生しなかった。

課員へのお土産は、チョコレートやピーナッツにした。賃貸部門の女性スタッフには、フェイシャルマスクやリップクリームを買った。
設計・施工部門のスタッフや、上司たちへの土産は、今夜はあきらめ、また別の日に買うこととした。

タクシー乗り場に行って、タクシーに乗る。値段交渉を行ない、合意となって、僕は、後部座席に座った。
バリの運転手は、陽気に話しかけてくる。明日はどうするのかと聞かれ、答える間もなく、観光地のキンタマーニには行ったのかと聞かれた。それは、来るときの運転手も、まったく同じだった。

どうやら、私は1日観光の運転手ができるよ、というアピールなのかもしれない。

タクシーがホテルに着いた。僕は、交渉済みの金額にチップを加えて支払った。
運転手さんは、満面の笑みで「タレマカシー」と言って、このホテルの待機タクシーの輪に加わっていた。

ホテルは、あちこちでガムラン音楽が流れている。全て生演奏なのだ。心を浄化してくれる心地良い音色が、ちょうど良いボリュームで流れる。

BARへ誘導する立て看板があり、僕は入ってみることにした。

バーボンウイスキーとミックスチーズを注文した。バーボンウイスキーをロックで飲みながら、僕は、コーラ売りや絵葉書売りの、子供たちのことを考えていた。

彼らは、本当に千円で買ってくれるとは、決して思ってはいない。
それが僕の結論だった。

土産屋でもタクシーでも、バリ島のサービス提供者は100%の確率で、高額すぎる価格を吹っかけてくる。
それを無視か拒否すると、即半額になり、さらに無視すると、その半額になる。それは挨拶のようなもので、本当の交渉はそこからという感じだった。

子供たちの「せんエン」は、年に1度か2度あるかもしれないマグレ当たりなのだろう。とりあえず言って見ているだけだと思う。言わない限りマグレ当たりは無いのだから、必ず、言うだけは言ってみるのだ。

千円札をゲットしても、ボッタクッタという罪悪感は、きっと抱かない。
そして、大はしゃぎなどもしない。
幸運を神様に感謝し、堂々と受け取る。僕は、そのように感じた。

大幅に値引きされたのに、「ちぇっ」という類の、負の感情を現すバリ人を、僕は1度も目撃していない。
騙そうと思っていないから、騙せなかったという落胆は無いのだ。

「エクスキューズミー」という声で、僕の思考は中断された。

3人の男性が、英語で話しかけてきた。彼らは楽器を持っていた。ギターやタンバリンが見える。
1人が日本語で、「歌っていいですか?」と言われたので、僕は頷きながら、「どうぞ」と言った。

その場で、洋楽が演奏され歌われた。どうやら、流しのバンドらしい。1曲歌い終わると、僕はリクエストを聞かれたが、彼らがJ-POPを演奏し歌えるとは思えなかった。

ホテル・カリフォルニアは歌えるかと聞いてみた。
彼らは「イエス」と頷いたので、「ホテル・カリフォルニアを、ホテル・インペリアルで歌って」と、僕は言ってみた。

「オーケー」と言うなり、彼らは演奏し、歌い出した。
ボーカルは、「ホテル・インペリアル」のところを強調して歌ったので、僕の席の近くにいる、周りのお客も注目し出した。

歌が終わったとき、僕以外にも、10人ちょっとが拍手をしていた。

「チップ、プリーズ」と言われ、僕は10万ルピア紙幣を差し出した。

バリ島に慣れてきた自分に、僕は、ひとりで得意になっていた。





その12へ つづく


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1543話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです


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奈星 丞持(なせ じょーじ)|文筆家
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