本来勉強は楽しいはず
2023年5月13日 雨
今日から、中村桂子先生の『生命誌とは何か』の扉を開きました。また、新たな知に触れられる高揚感に包まれております。
生命誌とはなにか。基本を科学に置きながら生物の構造や機能を知るだけでなく、生きものすべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業とあります。
“科学”から“誌”への移行にどんな意味があるのか、生命誌から生きものやヒトについてどんなことがわかるのか、次いで、それが、自然・人間・人工の関係づくりにどうつながっていくのか。
そして、そこからどんな社会をつくるのかという課題に考えを進め、なにより、そこからどんな世界観を組み立てられるのかを考えるのが、最も大事なテーマとのこと。
科学は、どういうわけか社会の中に文化として存在していないが、音楽、絵画、文学、スポーツなどと同じ文化として捉え、他の文化活動とも結びつけて、生命誌を豊かなものにする努力もしていきたい、と筆者は言います。
どう生きていくか迷える私に、また新たなヒントを与えてくれることでしょう。昨年から自分の無知を恥じて、慌ててさまざまな知に触れてわかってくる確かなことは、知ることの気持ちよさ。遅ればせながら、勉強が楽しいです。
ところで、なぜ私はこれまで勉強を楽しいと思ってこれなかったのだろう?
我が子に目を向けてみると、長女は、掛け算を学びたい、絵が上手くなりたい、クロールを泳ぎたいと言い、次女も、ひらがなを学びたい、ダンスがうまくなりたいと言い、それぞれに学びたい、できるようになりたい気持ちに溢れています。
知りたいと思う気持ちは普遍的なもので、私も子どもの頃は、なんで?なんで?と、好奇心に溢れていたはずだけど、私の場合は、なぜか大きくなるにつれ、知的好奇心が薄れていってしまったように思います。
その原因を学校教育のせいだと言うつもりはないけど、その一つではあると思うし、子どもの近くにいる大人は、もっと子どもの知的好奇心を刺激するような言葉をかけるべきと思ってきてるんですが、どうなんでしょう?
本来勉強は楽しいもののはずですものねぇ。