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子どもに教えてもらった勉強する理由
2025年2月17日 晴れ
子育てってなんなのか考えを深めたい、子どもたちとパパのありのままの成長記録を残したい、自己顕示欲を満たしたい、ってあたりが目的で、この日記をはじめて早3年が経過した。
3年の間、こうやって日記を残したり、鬱々としたり、書物に解決策を求めるようになったり、働き方のマイナーチェンジをしたり、いろんなことがあったけど、少しだけ、楽しく生きるってこういうことなのかもって、思えるようになってきた。
現実を疑う、偉人から学ぶ、正解がないことを楽しむ、考えることをやめない、できるだけ多くのヒトと対話する、なにかを表現する、このへんが自分のすべきことで、家庭や仕事は、その延長線上にある。
どうしても、周囲と比較したり、お金含めて、あらゆる数値に一喜一憂したりしてしまうのがヒトってもんだと思うけど、そんなことで、自分の行動指針を決めるのはもったいない。
本質的には、そんなことどうだってよくて、確かなのは、楽しく毎日を過ごしたいってことだし、そんな楽しいをみんなと共有できるような、そんな存在に各人がなれるといい。
だけど、それはとっても難しいことで、そのためには、現実を疑う、偉人から学ぶ、正解がないことを楽しむ、考えることをやめない、できるだけ多くのヒトと対話する、そんな努力を続けることが必要なんだろう。
この努力をつまり勉強というんだと思うけど、その本質に気が付かないと、勉強はつまらないものだと思ってしまう。現に私は、これまで学校で教えてもらう勉強を楽しいと思ったことがなく、勉強はつまらないものと思っていた。
しかし、学校で教えてもらう勉強が悪いわけではないだろう。この長い歴史のなかで、よく練られたメソッドに決まっている。だけど、子どもたちが、勉強をつまらないと感じてしまうことがあるなら、それは教える親や先生に責任がある。
世界を理解するために勉強しているんだと腹落ちすれば、いま先生から教えてもらっているそれに、自然と興味が湧くのではないだろうか。少なくとも、テストの点を取るため、いい大学に進学するために勉強しているわけではない。
昨夜、ベッドの中で、長女に、学校の勉強は楽しい?と聞いた。少し考えて、彼女はこう言った。「この間、磁石のSとNはくっついて、NとN、SとSはくっつかないって習ったんだけどさ、それはいいんだけどさ、なんでそうなるんだよ!!って思ったんだよね」
「おー。いい疑問だよな。ちゃんと勉強してこなかったから、パパにもわからないんだけど、それは、きっと世界を理解することにつながる疑問だと思うよ。明日、一緒に調べよう」と、情けない父は言って、眠りについた。
子どもと向き合うことで気がついた、もう一つ確かなことは、難しい本読んで、わかった気になって、偉そうなこと言ってないで、そもそも小学校の勉強からやり直した方がいいってことだった。
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