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絶対に一番になんかなれない
どうせやるなら上位数%を目指したい!と思えなくなった。
あれは自信に満ち満ちていた小学生くらいだったかしら。当時見えていたちっぽけな世界のなかで相対的に何でもできる(と思っていた)ころは、どうせやるなら1ばんになりたい!と本気で思っていた。それでなんだかんだ達成できていたから、この気持ちを持ち続けられていた。それも小6で終わったけれど。幼少期の万能感ゆえに生まれるであろうこの心持ちを、成人しても持ち続け行動し続けられる人って本当にすごくないか。どうなってるんだ。
ハイキュー!!という漫画の一節に、こんなセリフがある。
果てしなく上には上がいる。たとえそこそこの結果を残しても、絶対に一番になんかなれない。どこかで負ける。それをわかってるのに、皆どんな原動力で動いてんだよ!
これ、初めて読んだとき共感しすぎて泣きに泣きまくってしまった。アニメ化された時もこのシーンに感情移入してほろほろ泣いていた。気持ちが本当によくわかった。どうせやるなら本気でやって一番になってやりたい。けれど現実問題どれだけ頑張ったところで一番になんてなれないし上を見れば見るだけ苦しくなる。足を止めてしまいたいと思う。しまいには何のためにやっているのかわからなくなる。当初楽しんでやっていたものに楽しさを見出せず、苦しいものに変わっていく。その過程をひしひしと感じてしまうのが目に見えている。だったら初めから平均点と少しを狙うのが、自分を苦しませないための楽な方法だったのだ。
つまるところ月島蛍は究極の完璧主義者だったのだろう。
私自身は、究極まではいかなかったが、かつてはそれなりに完璧主義者だった。一から百まで丁寧に段階を踏まないと気が済まなかったし、できないことはダメなことであると思っていた。だけど多感な時期に部活なり学校なり家庭なりで揉まれた果てに、高一くらいにはいわゆる冷笑マンに進化していた。のだと思う。本気で何かに取り組む人を心の底では凄いな羨ましいなと思いながらも、まあ自分にはできないし、と言い訳をかまし続ける毎日だった。これは今も続いている。やめたい。
冒頭に話した「どうせやるなら上位数%になりたい」という言葉は、私の学友が話していた言葉だ。この人は何かに本気になって打ちのめされたことがないんだろうか。そんなことしてなんになるの?(笑)と笑われたことがないんだろうか。もしくは、こんなものでは揺るがない自分の軸をずっと持っていたんだろうか。