あたしんちから考えるひろゆきブーム
1日のルーティンにアニメ「あたしんち」が食い込みそうです。
幼い頃にお母さんが大好きだったあたしんちを最近見出した。これがまた重すぎないけどちょっと考える心地いい感じのストーリーなんですよね。
多分僕の背伸びしない思考レベルってあたしんちなんですよ笑
見てると考えたことを共有したくなるので書き記したいと思います。
546話「ユズ、カッコよく」
冒頭 給食を食べるシーンにて
ユズ「(これうまいな〜)」
生徒A「このおかず不味すぎだろー」
生徒B「だよなー流石にこれは食えん」
ユズが美味しいと思っていた給食のおかずをクラスの大半がまずいと言っている。これによってユズは周りの目を気にして給食のおかわりができないでいる。
しかし友達の藤野は
「これマジで美味い!!おかわり!!」
みんなの目を気にせず大量におかわりをする。
これを見てユズは、
「他人の目を気にしないやつ!カッコいい!!!」
となって物語の中盤は、藤野の周りの目を気にしないカッコいい行動をユズが「カッコいい!!」と思い続ける話。
物語は、
ユズ「(俺だって周りの目を気にしない!!好きなものは好きと言ってやるぜ…) このミートボール美味い!!」
藤野含める一同「お前まじかよ!!変わってるなー!」
ユズ「(藤野、お前まで裏切るのか…)」
となって頑張って自分を出したら全く共感を得られずしょんぼりするというオチだ。
考察
物語の冒頭でユズは、みんなに左右されずに自分を出せる人=藤野のような人に憧れを抱き、自分もそうなりたいという感情を抱く。
しかし最後自分の感情を周りに言ったら共感されずにしょんぼりするというちょっと矛盾した結果となっている。
この物語は、他人が成功しているのを見て自分もやったら大失敗でしたみたいな
情報商材読んで実践したら全くうまくいかないじゃないかみたいな
単純な構造ではないと思っている。
というのも、ユズは、正直に自分のことを他人に話せる人すごいと思い、最後それを成し遂げて終わっているのだから、大成功として描かれるべきであると思うのだ。
しかし、失敗としてオチがついている。ん?おかしくね??
つまり僕はこういうことだと思う。
ユズは始め、「他人が何を言っても関係なく自分を出せる人がカッコいい」と思っていたのに、物語の終盤では「藤野かっこいい」に変わっているのだ。
これ、ひろゆきブームじゃん。。と僕は思った。
他人になんと言われようが、データと論理を考えて物おじせずに論破できるひろゆきかっけーー!!
俺もやりたい!!
@Twitter民「これってこれこれこうですよね??嘘つかないでもらっていいですか??」
って言ったあと、
「(あれ、ひろゆき全然違う考え方じゃん。しょんぼり)」
思想を崇拝してるつもりが、いつのまにか人を崇拝してしまっている。
今みんなに必要なのはひろゆきじゃなくてあたしんちでは??
そう考える月曜日の午前中であった。