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夢が詰まった色とりどりの風船はどこへ?

親愛なる陽気を楽しむ友たちへ

私は「夢」ってキーワードをあまり好んで使用しない。なぜならば、「夢」って見るものであって叶えるものではない気がするからだ。
なんとなく「夢」という単語を使って表現すると、叶う可能性が20%位にしか感じられないからだ。
皆さんはどうだろう?

若い頃は、夢や希望を沢山抱くだろう。しかし、成長していくにつれて、だんだんと夢や希望・目標が遠い存在になっていく。それは、きっと大人になるということなんだ。大人になるとは、夢や希望・目標を忘れなければならない。なぜならば、そんな大人に強要されるのだ。
「そんな夢を見ずに現実を見なさい」
「働くとは耐えることである」
「お金は努力の証である」
その常識にだんだんと知らない間に脳内が汚染されていく。
汚染されて、今度はそんな昔の自分の姿を忘れ、いつの間にか昔の自分によく似た人達を逆に汚染していく。
そうやった歴史の積み重ねに私たちは生きているのだろう。

また、夢や希望を持ち続けるということもすこぶる難しい。
やはり、どこかで自分自身を信じられなくなる時がくる。
自分ができるという自信の風船がどんどんしぼんでいく。
幼い頃はあんなにたくさんのカラフルな風船をたくさん持って遊んでいたのに。
生きていく過程で様々な苦悩や不安に駆られ、一つづつ手放したり、存在さえ忘れ部屋の片隅で寂しくどんどん小さくなっていく私の風船たち。

私の周りには幼い頃の満タンの風船をまだ持ち続けて楽しんで人生を生きている人たちがいる。その人達はしぼんだ風船の持ち主と何が違うのだろう。
空気満タンの風船をもち続けている人たちも生きている間は、様々な苦難や不安な事もあったという。何が違うのだろう?
それは「自分を信じる」ということを実践し続ける事だった。
大人になっても「自分には無限の可能性がある」と信じ続ける能力。

自分の考えを変える。
思考を変える。
これだけで人生は大きく変化できるのだ。
思考を変える。これは難しいようで簡単である。
お金もかからないし、時間や場所を選ばない。どこでもいつでも出来る。
やはり人生は悲観的よりも楽観的のが生きていくこと自体楽しそうである。
どうしても段々悲観的に傾きかけるが、そんな時は思考に注意を払おう。

「私には最高の事しか起こらない」
「万事良好」
「私はできる」
「成せばなる」

私も昨夜、とても悲観的になる事件に遭遇したが、そんな時こそ、悲観的に楽観的に生きようと再度決意したばかりだ。
悲観的な事件でさえ探せば良いこともある。何事も見る視点によって180度違うのだから。
どんな時でも前向きに・愛を持ち・明るく生きよう

今日も友たちに喜びの天使が舞い降りますように
おわり

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