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逆張るしかない漫画描きのエトセトラ【毎日日毎5歳】

はじめに

毎日日毎になった5歳記念して書いてみました。
自分自身(毎日日毎)の環境を卑下することが多いので
そういうのやだな~と思ったらブラウザをバックして
他の方の素晴らしい記事をご覧いただくことを強くお勧めします。
大丈夫な人も途中からやだな~と思ったら以下略、です。

ハウマッチワールド

毎日日毎は田舎生まれです。
といっても、それなりにチェーン店は
あるし、夜は街灯が多いのでやたら明るい町です。
古くから町に根付く家の親の元に生まれました。
つまり、それなりに昔からの風習がある地域と言えます。

ふつうってなに?

毎日日毎は、一般的には「できのわるいこども」で
あったと思うし、親にはさんざん迷惑をかけてきました。
いわゆる「ふつう」とは外れていました。
いい塩梅で天パーなので親が学校に言伝をしなければ
いけなかったり、当時はあまり多くはいなかった
アトピー性皮膚炎患者だったり、活舌が悪かったり。
まず見た目がよくないので、割と早いうちから
いろいろ諦めてました(高校になって別にそうでも
ないということはわかりましたが)
左利きも当時は完全矯正をすることが基本でした。
親は個性ととらえてくれていたので、
字を書くこと以外は左利きのままです。
しかし、世のアイテムは右利き用にできているので、
生まれつきの不器用も相まって、ボタンもうまく
閉めれない、ファスナーを上にあげるのも
苦手なダメな自分、と自分をどんどんダメに
思えるようにもなりました
(ファスナーやぼたんも右利きに有利にできてることに
ある日気づきましたが)
なので、自分はふつうの水準に達していない人間
と思っていました、というか今も割と思ってます。
ふつうに生きてはいけないのかな~とふんわり
思ってます。

ふつうがはびこる世界

小学、中学生活のことはびっくりするくらい
憶えがありません。
半年単位で考えると思い出せることも
ありますが、3つ考えていやなことばかり
だったのでちょっと考えるのやめました。
学校生活において、
誰かと同じことをするのがふつうと
定義?すると、そのふつうに対して
学校生活を送らなければいいけないと
いうことで、つまりふつうを
どれだけ高めていくか、みたいな話に
なるので、そういう意味で、
多分小3くらいからひねくれはじめた
と思います。
なんで小3かと言うと、
小3の中盤から手を挙げて発言したり
することがなくなった、と
後に担任の先生から言われたことがある、
と母親に聞いたからです。
手を挙げて発言することがふつうで、
先生のいうことがふつうという解釈でした。
そのふつう力(ふつうりょく)が
ないなら自分は底辺だ~という理屈??です。
それを裏付ける(勝手に裏付けたんですけど)
ことが、中2の時にあって、
クラスの中心、しかし陽キャ所属ではなく、
いわゆる頭がいい子、担任の期待に
応えることができた子たち3人くらいが、
よかれと思ってやったこと(どんなことかは
忘れました)に対して担任はよいこととは
思わなかったらしく、わざわざホームルームの場で
事と顛末を説明し、
その3人を名指しで起立させ、
「おまえらがそんなことをやるとは思わなかった、
見損なった」と言いました。
彼女らがやったことは結果だけみれば
迷惑だったかもしれないけど、そこに至る
経緯は悪いものではなかったのでは?
もうちょっと言い方があるんじゃない?
なるほどここでは先生の考え方が
スタンダードなんだね、ふつうなんだね、
そういう世界なんだね、
と謎に悟ってしまいました。たぶん。
そんな日々でしたが、
仲良くしてくれた子、それですごく楽しかったことは
けっこう覚えています
唯一、小学1年の時に知り合って、
中学3年の時にちゃんと友だちになった(?)
Aくんのおかげで中学3年の時、Aくんのおかげで
楽しかったことや、Aくんが辛い思いを
したことはしっかり覚えてます。
生まれてこの方、物心ついてからず~~っと
絵を、わりと孤独に描いていたので、
元から絵を描くAくん含め、他2人、よく
つるむ友だちも絵がうまくて、
(自分以外の学年トップ3がそろった)その中で
いちばん絵が下手だったので
劣等感はありましたが、
ケント紙につけペンで描いた自分の
漫画を見てくれて、「俺もやる!!」って
言ってくれて、みんなに画材屋さんを
紹介してみんな画材をそろえて、
みんなで漫画を描くのは
ものすごく楽しかったです。
みんなペンを握った瞬間から強烈にうまかった
のでさらに劣等感は乗算されましたが。
よくつるむようになった自分を合わせ4人で、
卒業式の後、グラウンドでAくんが
学ランをブンブン振って校舎に向かって
「ありがとう!!」ってやろうぜ!言ってくれたけど、
自分は一緒にそれができたか、覚えていません。
今この記事を打っててびっくりしたんですが、
学校にはお礼は言えないと断ったのか、
いやだけどやるかWWって言って一緒にやったのか、
どっちだったか、今度Aくんに会ったら
聞こうと思います。
Aくん的には、もっといろんな意味で
ありがとう、だったのかも、と
今では思うので。
きっとそれはいやなことだったので忘れて
たのかと。

まとめると、
基本的にはみ出ることをよしとしないし、
がんばることを型に嵌められる
みたいな感じに思ったのかもです。

これが個性か


高校生活もクラスの事はびっくりするほど
おぼえてないし、クラスメイトの名前も90%は
おぼえがないし当時もおぼえてなかったけど、
Aくん含め大人になってずいぶん経つ
今でもたまに顔を合わせる友だちができたこと、
イラストの部活で自分の絵の描くスタンスの
ようなものが見えたので、そこらへんは
充実していました。
中学まで自分がTHE底辺と思っていたところ、
イラストの部活に入って2か月で次期部長に
決まって(1年なんだけど)
「え?なんで?」と部長に聞いたところ
「お前が現状いちばん実力的にも
参加率もちゃんとしてるから」とのこと。
先輩に漫画や絵の描き方も教わったけど、
「お前は個性がすごいからあんまり
いじくりたくない」といわれたときは
そうなんだ…とは思いました。
少なからず自分を好いてくれる子もいたり、
それで人間関係がちょっと変になったりしたことも
あったけど高校は得るものがたくさんあったように
思います。

逆張りと言うと聞こえはいいけど


逆張り、つまり奇をてらうということは、
正攻法ではかなわない、
つまりがんばりが足りないから
敵がいないところを探していること、
逃げであること。
型に嵌ったがんばりが自分にはできなかったし、
これからもできないので、
ふつうではない思考で、
誰もやらなこと、
つまり逆を張って行こう
これを自分はがんばるんだ!!
と最近は特に思っています。

ここに住んでるけどここじゃない場所で自分は芽吹いた

それでもここで逆張る材料は
手に入っていると思うと
皮肉のようなかんじもします。
高校はこの町から
一歩出たところだし、
それ以降社会に出ても
いろんなところでいろんな人あって
友だちも増えて、大事な人もできて、
自分を評価してもらえたおかげで
こうして生きています。
いまや田舎でもSNSのおかげでチャンスも
動けば手に入るし、
悪い意味で自分は地産地消で終わらない。
そんなわたくしのエトセトラでした。
文章にしてみるとまあまあキモいですね。
こんな長文にお付き合いいただきありがとうございました!


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