20240627『東京帰ってきました』ほい
東京に戻ってきてから1週間たった
ななみんこないだすぐに泣いてしまうと言ってたけど、わたしも読む本読むまんがで泣いている。ななみんのとちょっと違うかもしれないけど、特別な一節があるとすぐに込み上げてくる。なんか前に比べてそれがすごく容易で、そういえばわたしも泣き易くなってる…って思う、なんやろこれ
感受性のバランス取ってるのだろうか、就活とかと… 鈍くしてる部分の分出せるところで出しているのかな
台湾にいる間にななみんと話したみたいに、就活と自分自身の距離とか、何が求められてるけど何を渡したくないとか、そういう話をたくさんしてそれをまとめて記録したいのに、ほんとうにやりたいことはそれなのに、就活の大きなものに絡めとられるように選考対策ばかりしている日々で、もどかしい。自分がわかりやすい価値(合否とか、GDとか面接でうまく答えられるとかそういうこと)に近づいていって、そこで成功することに喜んでいて、やっぱりそれくらいの強さなんだ自分は と思うし、社会と向き合っていくときにその強力さがからだにしみてくる。攻撃
自分は大学卒業後にそっちにいくのか、絡めとられてわたしも同化していくのか、とかが怖くて、院に行くのがいいのかなとかまで考えなくもないけど、ぜったいにそんな2元論ではなくて、だからこそいろんなことを細かめに知らなきゃいけないよね、きちんと判断したいから、と思ってまた就活を重ねていく日々なんだろうけど、、、なんかえらいけど、えらいんだろうけど、悲しい それにより失われるものが軽視されすぎてて、悲しい。得るものも失われるものもあるっていうことを、フラットに眺めたいのに、社会もわたしの向かっていく方向も、ひとつだけをとても大事にしてる気がする。
なんかいつもと文章の書き方違う気がするけど読み返さないでそのままにするね、東京に帰ってきて思ってることもあって
海外に一定期間いると、まずそこの当たり前に染まろうとして、それに慣れていって、そのころに帰ってくるから、また帰ってきたこの場所で、摩擦、その調整、慣れ、のステップがもう一回ある。カナダの留学で一度やったことだけど、気持ちのよいプロセスじゃない。いろんなことに違和感を覚えて、なんかずれている人として扱われているのとか自分自身もそうやって自分のこと見ている期間があって、今それだからちょっと居心地わるい。もともとそうだけど外見に気を配らないことが加速してるみたいで、きっと親はわたしを留学前の水準に戻そうとしているだけなんだろうけど、ルッキズム的な方面に引っ張られてるようにどうしても感じてしまって悲しいしいやだな〜みたいになる。まあすぐ慣れるしわたしも変わるけどね
空港から東京駅に着いて1番に思ったことは情報の多さだったんだよね…台北の駅とか地下鉄にも広告はあるけど東京のは数としてもかなり多いし、日本語だから日本語だから遮断することもできずに全部入ってくるし、内容がやはりよくない。
はやく会おうね、低予算旅を続けて垢まみれのいまの感じでも撮ってください
ほい