わーーーーーーーー!


note始めちゃいました!始めてみました!
ぎゃーーーーーーーーーーーーー!

すごい!Instagramともtwitterとも違う
この自由なフォーマット感、
中学生の時にやってたブログとか思い出します。改行の感じとか、くすぐったいです。

日記とかブログとか、自分が昔に書いた文章を後から見返すと恥ずかしくないですか?

実は高校生の時、好きなインディーズバンドの
ライブの感想をぐだぐだ垂れ流す、ただただ自己満足なtumblrをやっていたのですが、あれ、後からみると恐ろしく恥ずかしかった記憶があります。もしまだ残ってたら消したいのですが、それを見て恥ずかしくなるのもつらくて未だ確認できておりません。。(見つけられないと思いますがどうか誰も探さないでください!)

大学生になって、写真で色々活動するようになり、SNSはInstagramをメインで使うようになったわけですが、Instagramを見返してもそこまで恥ずかしさを感じないことに気付き、その違いが生じた理由を少し考えてみました。

やっぱり何よりも、人の目についてものすごく意識してしまった結果、当たり障りのない投稿をするようになっていたのだと思います。

アカウントを見てくれる人が多くなるとだんだん人の目が気になり、不特定多数の人に自分の私生活を見せることを違和感として感じるようになっていました。

小さい頃から注目されるという状態が苦手だったのもあり、ストーリーの閲覧数が表示されるのとか、かなりなストレス。うわ〜○人の人に見られてる〜!そして無視されてる〜!って これかなり自意識過剰?考えすぎ?SNSそんなもんだよってね、わかってまーす!大丈夫!


それでも写真を見てもらいたい、という気持ちと、それに反比例してどこまで自分を見せるべきなのか、という戸惑いが入り混じり、迷っては結局上げられなかった投稿が多くあります。

自分を表現するためのSNSとして使っていたはずが制限されたものになり、自分の首を自分で締めているこの状態、なんか嫌だな苦しいな、ともやもやした気持ちが生まれるようになりました。自分のありのままを発信することがこんなに難しいのか、と大きな壁でした。

そんなことをぽつりぽつり考えていたなか、ひとつのnote編集部の記事に辿り着きました。


そして気付きました。自分の過去のブログやtumblrの文章が恥ずかしく感じたのは、そんな風に思えるくらいには成長したということでもあって、成長の伸び代を測る指標にもなっていたんだ!ということに。

私は言葉に対して少し臆病になっていたのかもしれないです。数字のことも他人の目も気にしない、きちんと自分をさらけ出せている文章は、時間を経てちゃんと意味のあるものに変化していく。それくらい可能性があって重みのあるものだから。

毎日何かを考えながら生きては、それは少しずつ自然に変化して、元々どんな形であったか忘れてしまいます。写真や編みものはそれを残す手助けになったけど、それだけではまだ足りてないみたい。言葉で考えたことをそれ以外のものとして残すのには限度があるので。

自分の気持ちのちょっとした変化に出来るだけいちいち気付いていたいんです。小さな子供とお話しして、忘れていた大事なことに気付かされるような、あの感覚に近いものを自給自足していけたらサイコー!

と、そんなわけで、恥ずかしさを積極的に残していく覚悟を決めました。定期的に見返して、うわ〜この時の私恥ずかしいこと言ってるな〜と思わせられたら私の勝ちです。

どんなnoteにしていくかはまだ全然まとまっていないのですが、とにかく書いていこうと思います。文章力も全然ないし、めちゃくちゃ勝手に書いていきますが、冷やかしでもおせっかいでも意見でもなんでも、読んでくれた人もその人の勝手でコメントくれたら嬉シ〜です。なるべくフラットなコミュニケーションの場をつくれたら良いな〜と思ってます。

一投稿目なのでこう見えても真面目に書いたつもりです。普段はふざけた言葉ばっかり好きなのでさっそく恥ずかしい、、語り口調が自分じゃないみたいでシャキシャキしちゃってます。とりあえず続けることを目標に、メモ程度に、やっていきます〜。よろしくお願いします!

良い時間を過ごせましたら是非投げ銭お願いします😼💞