『幸せになる勇気』を読んで感じたこと
今日やっと読み終えて、読みながら自分のことと重ね合わせたり振り返ったりして読んでた。
そこで気づくことはたくさんあって、自分自身も受け身になっていたところが多々あるなって。最近は特に。
10月に入ってから、いったん仕事の量が減って、圧倒的に自分に使える時間が増えた。働いてる時は、それを望んでいたはずなんだけど、実際に自由な時間を与えられたら、何をしていいか分からないし、周りはいつも通り働いてるから自分以外の生活はなんの変わりもなくて。
そこで、時間をたくさん持て余して、『暇』とか『つまらない』とかっていう言葉を平気で言ってた。
時間はいくらでもあるけど、その時間はその時にしかないし、どうその時間を使うかによって、その日の充実度も変わるし、『暇』とか『つまらない』なんて思う余地もなくなるはず。
それなのに、行動に移すのを躊躇って、1人では何もできないと言い訳をしていただけだって気づいた。YouTubeを開設したいっていう思いも、誰かと一緒じゃないとできないっていう言い訳をして後延ばしにしていただけだし、やりたいていう気持ちは大きいけど、いろんな外的要因を見つけて、『やらない』じゃなくて『やれない』ていう状況を作ろうとしていただけなんだって。
『与えよ、さもなければ与えられん』
この言葉は、これからもずっと胸にしまっておきたい、定期的に自分にリマインドしたい言葉だなって感じた。
今までは、どこかしら、やっぱ承認欲求もあったし、相手側が自分のことを理解できないのは当たり前とか、あの人よりは優れてるとか、そういうことを感じて物事を進めてきてたところはあるなあって思う。
自分の性格上、好き嫌いがはっきりしている。って今までもずっと思っていたけど、それはただ、相手を尊敬できていなかったっていうことだし、まだ本当の意味で『自立』ができていないんだっていうことに気がついた。
好きな人に対しての行動と、苦手な人に対しての行動が180度違うと言ってもいい。今までは、苦手って認識すると自ら距離をとるようにしてたし、相手を知ろうとすこと、友達になることから避けてた。
面倒なことからいつも避けてた。
だからこそ、今までも必ずと言っていいほどどの環境下においても、対人関係での悩みはあった。職場でも、学校でも、家族間でも。
それに対して、『これからどうするか』なんて全然考えてなかったし、いつも『なんでだろう』とかっていう原因を考えては、自分は悪くないとか、自分のことを棚にあげていたなって思うこともあるし。改善を試みようとしていたように見えて、自分をひたすら正当化しようとしていただけなのかもしれないって今はそう思う。
『愛されること』よりも『愛すること』
最近は、受け身になっていたのかなとつくづく思う。
褒められたい、自分のことを見てもらいたい、もっと認められたい。そういう欲求の方が大きくなっていたように感じる。
今までは、相手のことをもっと知りたいっていう想いから、相手の言葉に耳を傾けてしっかりと聞いてたし、自分から好意的な行動を示せば、相手からも自然と好意的な態度が感じとれた。それだけですごく満足してたし、幸せを感じてた。
でも最近では、自分のことで精一杯で、自分のことを愛せていない分、周りと比べてより劣等感を感じてしまったり、自分何してるんだろう。とか思ってよりネガティブになっちゃったり。だからこそ、承認欲求も高くなってた。身近にいる大切な人の話もろくにちゃんと聞けなくなってて、自分のいっときの感情のせいで、相手を不快な気持ちにさせてしまってる。
もっと『わたしたち』の幸せに重点をおかないといけないね。今や自分だけの人生じゃなくて、自分にとっても大切な存在の人と一緒に過ごせているのだからこそ、利己的になるのでもなく、利他的になるのでもなく、『フタリ』で幸せを見つける。
そのためにまず自分に必要なこと。↓
・相手を尊敬する。友達になる。横の関係を作る。
・相手を愛す。
・「原因」よりも「これから」のことを考える。
・過去は存在しない。だから囚われずに、今日から変わればいい。
・褒めない。叱らない。そこには競争しか生まれなくなるから。本来の目的を忘れさせるようなことはしてはいけない。
この本は、私にたくさんのことを気づかせてくれたし、本当に今までの自分を振り返るいい機会となった。
今までの自分がどれだけ、
自己中心的で、自立できていなかったのか。
相手のことを尊重できていなかったのか。
頑固な性格で、芯を曲げるのが嫌いな自分で、この性格を簡単に変えるのは難しいことだなと思うけど、価値観はどんどん上書きできるものであると思ってるから、日々努力と実践して新しい価値観を手に入れよう。