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実質無料というオタク語を私が好きな理由

「実質無料」というのは、いわゆるアイドルなどのオタク(コアなファン)が
通常の金銭感覚とは異なるお金の使い方をした時、
それでもいいんだ!と表明する言葉です。
つまり、その金額を超える価値を感じている、金額では計れない価値を感じているということです。(と、私は解釈しています。)

この言葉、すごく分かるんです。
最初に使い始めた人、すごいなって。
私もいわゆる「オタク」なので、その立場からの気持ちも実感するのですが
今回は少し違う視点も含めたお話から。

私はまだまだ若輩者ながら、自分の制作した作品を販売して、現在のところ生活しています。
自分が仕入れた材料で、考案したものを形にして、価格をつけ、宣伝をし、パッケージをつけ、販路を見つけ、お客さまにお届けする。
これらを全て一人で行っています。

それが日常になってから、世の中に流通しているものがとても安く感じるようになりました。
どんな時に感じたかをいくつか書いてみたので、読んでもらえたら嬉しいです。

100円ショップのものは、「100円」では作れない

100円ショップに売っているものを見ても、すぐに自分で作ることを想定してしまいます。
例えばポケットがいくつかついた、インナーバッグのようなものがありました。
生地を買って、裁断して、縫い合わせてファスナーもつけて…
自分は裁縫がそこまで得意ではないので、上手くいっても半日くらいかかりそう。
そうなると、ざっくり日給1万円で考えても人件費だけで5000円くらいになっちゃうなあ。
しかも、5000円では全く欲しいと思えないクオリティでしか実現できないかも…。

そうなると、日本中の100円ショップに流通するロットで、効率よく生産できる工場が無ければ、この商品は実在しません。
もしその環境がなければ、私は例え100円を握りしめていたって、このバッグは手に入らないんです。

あれ?これって「実質無料」では…!?

ふと、そんな風に感じました。
世の中のものはたった100円でも、本当に奇跡的に手にできている。
それどころか、見渡してみたら自分一人では作れさえしそうにないものばかり。
(もちろん100円で購入できるように実現されているから、売られているのですが…。)
本当にこの物の価値は100円でいいのだろうか、と考えてしまうこともあります。


大好きなスイーツの「1200円」

とあるショコラトリーで、ちょうど季節のショコラパフェが提供開始されており、私は喜び勇んで注文しました。
涙が出そうなくらい美味しかったのです。
様々な素材を使い、味わいだけでなく食感や温度、ひいては栄養素のことまで考え尽くされたマリアージュに感動を覚えました。
そのパフェは、1200円。
私はその時、安すぎる!と感じました。
もし、倍の価格だとしても私は十分に納得したと思います。(これは個人の価値観ですが。)
この素材の組み合わせを考案できるセンス、提供時に実現できる技術、
それらが培われるまでにシェフが歩んできた時間、努力。
もっと言えば、シェフがその素材の農家さんと出会わなければ、シェフがこの場所でお店を開いていなければ…
全てのことが重なって、奇跡のようにこのパフェができているのだと。
もちろん、自分では到底実現不可能です。
100円ショップの物のように、概算することすらできません。
そう考えた時、価格がいくらだろうとそもそもお金で交換できるということが、あまりに有り難く感じました。
とてもじゃないけどお金で測れる価値ではない、だから思わず「実質無料!」と言いたくなるんです。


お金という共通の価値観で交換できること自体が「尊い」

100円ショップの話をしましたが、今はたくさんの工業製品が安価で手に入る時代です。
先人のアイデアは万人のものにされ、AがなくてもBがある、
そんな世の中です。

では作家の作品はどうでしょうか。
作品というのは、その人が経験してきたこと、培ってきた技術も含め、その人がその時そこに居なければ
この世の中に存在しないものだと思います。

もちろん、それが誰かにとって必要になるかどうかという基準は存在します。

でも、そんな、その人以外が決して生み出せないものを
お金という共通の価値基準で交換できる。
それこそが「実質無料」の正体ではないかと思います。
だって、どんなにお金を払ってもその人が作らなくなってしまえば絶対に手に入らないんです。
(自分の作品にはこんなに価値がある!と言いたいわけではありません。笑
極端な話、全ての作家作品がそうだと思っています。)

先ほど挙げたスイーツもそうです。
クッキー一枚、ケーキの一切れも
レシピがあって、伝える人がいて、修行する人がいて…
シェフが居なければ、お店がなければ
どんなに食べたくても、お金を積んでも、食べられない。

アイドルさんもそうです。
たった一人、そこにいるその人が生み出す時間やパフォーマンス。
それをお金で交換できることそのものが、すごいことだと思っています。
だって、もしその人が存在しても、アイドルじゃなくなったら…お金を払ってももう会えないし、歌も聴けない。

それを交換させてもらえることがもう「実質無料」であり「尊い」ことだと思うんです。

それは、単純にものを買うということ以上に
自分にとってのかけがえのない経験になり、財産になっていく。
それがどんなに他人から見て非常識な金額だとしても、必要とする人にとっては、金額では測り得ない価値がある、ということではないでしょうか。
そんな感覚を端的に表現した言葉だからこそ、「実質無料」という言葉を好ましく感じるのです。

(もちろんそれが付加価値というものであり、商売の基本であることは自分なりに理解しているつもりですが、そういった話は置いておきます。)
(そして似て非なる真逆の概念が「お値段以上」だと思っていますが、長くなるので…。)


追伸

この先、何を交換していくのか

そんな風に思えた今だからこそ、自分がお金を使う時も
「交換させてもらえるなんてありがたいなあ」と思えるものをなるべく選びたい。
だってきっと私の作品を買ってくださった方も、私の作品にしかない価値を感じて、交換してくださっているのだから。
そういった選択が、より良い価値の循環を生み出していくのではないでしょうか。
願わくば、自分も良い循環の中に入れるものを作り続けられたらなあと…。

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