住み込みお手伝いさんの思い出
週末、おいしそうにビールを飲む人たちを見ていて、ふと思い出したことがあります。 アルコール依存症だった、住み込みのお手伝いさんの話です。 子供だった私には「よくわからないけど恐い」としか表現できなかったのですが、大人になるとアルコール依存の恐ろしさを改めて考えさせられます。
住み込みのお手伝いさんとの生活
昭和時代にはめずらしくなかったかもしれませんが、家にはいつも住み込みのお手伝いさんがいました。
運転手さんもいたりして、家族だけで生活したことがなかったのですが、私はずっとそれが当たり前だと思っていたのです。(とんでもないですね!)
そんな生活の中で、私が小学生の時にやってきたひとりのお手伝いさんが衝撃的で、特に印象に残っているのですが・・・
普段はとても優しくて親切な人だったのに、母が留守にしたりすると、急に別人のように変わってしまう。
穏やかなはずの彼女がなぜかハイテンションになり、声が大きく、言葉づかいが下品になるのです。
子供だった私は「こわいな」「どうしてなのかな?」と、その変化が不思議でなりませんでした。
お手伝いさんのひみつ
ある日、母が留守にすると、またお手伝いさんに異変が起きました。
そこへ祖父がやってきて、しばらく様子を見ていたのですが、突然「君はやめなければならないね」と大きめの声でお手伝いさんに言ったのです。
自分の部屋に行くように言われた私は、何が起こったのか理解できず、子供心にとても混乱したのを覚えています。
その日の夜、お手伝いさんがいなくなっていたので、母に理由をたずねると「物置にあったビールケース、こっそり全部のんじゃったみたい。ビール瓶に水を入れて蓋をしちゃって。」とのこと。
なぜか「大人は悪いことをしない」と思っていた私にとって、それは本当に衝撃的なできごとだったのです。
依存症の恐ろしさ
今思えば、彼女はアルコール依存症に苦しんでいたのでしょうね。
普段は良い人だったのに、どうしてもお酒をやめられなかった。
依存症というのは、それほどまでに人を支配してしまう恐ろしいものなのだと、大人になった今だからこそ思います。
このエピソードは、依存症の怖さを改めて感じさせるものですが、同時に、彼女の抱えていた問題の大きさにうも気づかされます。
その時の彼女は本当に苦しんでいたのでしょう。
大人になって思うこと
私たちが子供の頃に何気なく接していた人々には、誰にも見せない悩みや苦しみがあったのかもしれません。
彼女の行動を子供の頃はただ「こわかった出来事」として見ていましたが、何十年も経って、依存症の恐ろしさやその裏に隠された苦悩に対しても、少しだけ思いを馳せることもできるようになりました。
依存症は本人の力だけで克服するのが難しい病気だといわれています。
そして、誰にでも起こりうるものだと。
もし、同じように苦しんでいる人がいたら、一人で抱え込まず、周囲のサポートや専門の助けを求めてほしいと思います。
依存症の根底には、解決すべき何かが必ずあると聞きます。
だからこそ、理解と支えが大切なのです。
人は弱い生き物ですからね・・・