枕草子 中宮定子の出産と行啓(1)
清少納言先生:これ、長いからそのまま、現代語訳していいよ
舞夢 :はい、助かります。
大進の平生昌(たいらのなりまさ)の家に、中宮様が行啓あそばれる折りに、生昌の家の東の門を特に四足門に改造して、その門から中宮様の御輿が入りあそばれる。
北の門から、私達女房の乗った枇榔気の車も、まだ警護の者の陣屋も出来上がっていないから、入ってしまえるだろうと思っていました。
髪形が車の揺れで、乱れてしまった人もいたけれど、そのまま直すこともしないで、車を家に横付けして降りるものと(つまり見られることもない)、気楽に構えていました。
ところが門が小さくて私達の車がつかえてしまったので、結局、筵(むしろ)を敷いた道に降りて建物へ入ることになってしまいました。
もう憎たらしいやら恥ずかしいやら、腹立たしいやらだけど、仕方がない。
それで、車から降りたら、殿上人から何から低い位の人が陣屋のそばに立ち並んで、
筵の上を歩くわたくし達を見物しているし、本当に気に入らなかった。
清少納言先生:ああ、長いからそれくらいで止めて
舞夢 :こんなんでいいですか?
清少納言先生:うん、思い出すたびに腹が立つ。
舞夢 :ところでです。(ここで話題をそらそうと思った)
:ところで、大進というのは、中宮定子様の職の三等官で
すね。
清少納言先生:うん・・・まあ、いろいろあってね・・・
本当はね、殿上人ではない身分なの。
だから門も小さいし、こんなところに行啓されるのも不
幸です。
それも第一皇子敦康親王の御産なのに・・・
舞夢 :はい四年前にお父上の関白道隆様がお亡くなりになり、
叔父様の道長様の時代になった。
定子様の御兄弟の伊周様、隆家様も花山法皇様の関係で
難しく。
清少納言先生:中宮様の里内裏も焼失、それで、しかたなく成昌邸への
行啓。
舞夢 :道長様に遠慮して、誰も屋敷を提供しなかったとか。
清少納言先生:あの道長様だって、冷たいなんてものじゃないさ。
行啓の当日ね、わざわざ大勢引き連れて宇治に行くんだ
から。
中宮様の行啓なのに、差配するお役目の人までいなくな
ってね。
舞夢 :でも、そこまでされても、しっかりと行啓は行うべき。
誇りを失いたくないと・・・ですね。
清少納言先生:うん、当り前です。私たちは定子様にお仕えする立場
絶対に恥をかかせてはいけない、負けてはいません。
舞夢 :さすがです、後世にまで残る文にて、キッチリと仕返し
をする。
清少納言先生:うん、少しずつわかってきたようですね。
でも、まだまだです。
舞夢 :はい。
清少納言先生:明日も、キッチリです。
しっかり予習願います。
歴史には、知り得ないこと、知られていないことがたくさんある。
道長には道長の事情もあっただろうが、中宮様の出産にあたり、あまりにも不敬な行為ではなかろうか、清少納言先生がリンとしたこの文を書かなければ、真実は伝わらなかった。