マイナス思考の幸福論 【#幸せをテーマに書いてみよう】
その休日は、よく晴れていた。
明るい朝陽がリビングダイニングいっぱいに心地よく充満している。
夫と子どもたちはいつもよりゆっくり寝ていて、私はおだやかな気持ちでキッチンに立つ。手でちぎったキャベツと鶏肉のそぼろがはいった透明なスープにふうわりと卵を落としてスープをつくった。
みんなが起きた頃、ごりごりとお気に入りの珈琲豆を挽きはじめる。あつあつのお湯を注ぐと、香ばしい香りが部屋に立ち込めて、頭のてっぺんからつま先にまで、豊かな気持ちが満ちる。
近所のおいしいパン屋さんで買ったくるみパンを丁寧に切って、お気に入りの黄色いお皿にならべる。
パンと、ちょっとしょっぱいバターの相性が最高だ。スープがじんわりとおなかにしみわたる。
冷え性でスープ好きの夫が、背中を丸めてスープをすすっている姿は無性にかわいい。
長男と二男はあいかわらずふざけながら笑いあっているけど、こんな日は「はやく食べて」はノドの奥にしまいこんでおく。まんまんまー!と誰よりも空腹の三男には、やわらかいパンをもたせてやる。
私と夫は、1週間の会話をうめ合わせるように他愛もない話題を思いつくまましゃべり、今日はどうしよっかねぇ…と、予定のない1日を愉しむように相談する。
しあわせだ。まぎれもなく。
たぶん私は、家族や身のまわりの人々に健康上問題がなく、安全が保たれていて、おだやかな気持ちで過ごせていて、寒くも暑くもなく(どちらかというとあったかく)、おいしい食事がある…という条件があてはまればしあわせを感じられる。このすべてが合わされば最高だ。
けれど、私には頑固なマイナス思考がしみついている。マイナス思考だから、マイミってペンネームをつけたくらいだ。
自慢することじゃないけど、どんなしあわせな風景のなかにいても、小さな心配事をみつけるのが大得意だ。それはもう、重箱の隅をつつくように。
むしろ、しあわせな瞬間にこそマイナス思考は生まれるといっても過言じゃない。しあわせって、なんだか危うくてこわい。
気づけば私の思考は遥か上空へと飛んでおり、地球をみおろす形で宇宙にふわふわ浮いている。
ふと視線を横にずらせば、オレンジ色に光るしっぽをもった巨大な天体がみえる。
隕石だ。
そろそろ大気圏に突入しようというところ。空気と天体はこすれあって熱を生じ、光と熱をまきちらしなら猛スピードで地表へと向かっている。
強大なエネルギーが爆発し、轟音が鳴り響き、家族の笑顔は一瞬でその光の中に吸い込まれていく。
………
「かっかー、おみじゅ、のみたい」
「まんまんまー」
二男と三男の声に、はっとする。
よかった。隕石、落ちてない。みんな無事だ。
映画『アルマゲドン』や『君の名は。』が好きだからかもしれない。ドラえもんの見過ぎかもしれない。あるいは、子どもたちが好きな恐竜図鑑の影響かもしれない。
現在、恐竜が滅びた原因として最も有力なのは巨大隕石衝突説だ。人類よりはるかに長い間、地球の支配者だった恐竜たちも隕石で絶滅したのだ。
恐竜には文明がなかったとはいえ、人間だって自然の脅威によってあっという間にほろびる日がきてもおかしくない。
むしろ、文明を制御しきれなくなって、戦争や環境破壊で自らの首をしめるのかもしれない。この街だっていつか、風の谷のナウシカみたいに腐海にしずむのかもしれない。
そんなことを、二男のコップに水を注ぎつつ、考える。水のしずくがぽとりと落ちて、シンクに小さな地球ができた。
終始、こんな感じなのだ。ふとした瞬間に、持ち前の想像力を発揮してしまう。
マイナス思考の原因は、過去や未来にとらわれていることだと聞く。
たしかに、そう。
私だって本当は、しあわせな「今」の瞬間をおもいきり味わえればいいのになと思う。でも、どうしても考え方の癖というのはぬけてくれない。
いや、逆をいえば、「今」しあわせだからこそ、とてもしあわせだからこそ、手放したくない、こわしたくない、そんな想いが強くあらわれた結果なんではないだろうか。だとしたら、そんな自分の気持ちを無理やりひっこめることも、したくない。
だから私は、自分にとってのしあわせの定義を広めて考えることにした。
しあわせについては、過去や未来にとらわれてもいいことにした。
しあわせな過去の瞬間を切り抜いて思い出せば、私たちはどんな時もあたたかな気持ちになれるし、「こんなふうだったらいいな」という明るい未来を描き出すときは、もっともっとしあわせになれる。
たとえば、もし「今」しあわせじゃない瞬間を過ごしていたとしても、私たちは思い出と想像力さえあれば、いつどこでもしあわせになれるし、しあわせを創りだすことだってできる。
砂時計の、砂がたまっている上の部分は未来。
真ん中のくびれているオリフィスと呼ばれる部分が現在。
砂が落ちて積もっている部分は過去を表している。
私は、現在=オリフィスのしあわせだけじゃなく、過去も未来も、全部ぜんぶ、しあわせの砂粒をまとめて「しあわせ」と呼びたい。
そんなのは、よくばりなのかもしれないけれど、それでもよくばっていたい。
オリフィスからさらさら落ちる砂の音が、砂の重さが、胸に募って泣きそうになる。
今だって、ほら、聞こえる。静かな砂の音。
さらさら、さらさら…更々…と。
〈おわり〉
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このnoteは、あきらとさんの企画 #幸せをテーマに書いてみよう に参加しています。