私たちは、なれるものにしかなれない
先日、久しぶりにヨガスタジオでレッスンを受けてきた。
ヨガは自宅で練習するものになってから約3年ほど、
ヨガスタジオで誰かのレッスンを受ける機会はめっきり減ったので
自分が生徒になるという体験は久しぶりだった。
渋谷にある、溶岩盤ヨガスタジオ『SiMPLE』
ここは私がヨガの先生の養成講座を受けさせてもらった場所であり、
ヨガの先生のデビューもこのスタジオで迎えた。
12年に渡り、お客さんに愛されてきたスタジオが
この6月でその歴史に幕を閉じるとのこと。
厳しいコロナ禍も乗り切っていたし、
この先もずーっと続くんだろうと思っていたので、
閉店の知らせを聞いた時は衝撃だった。
そんなこともあり、
当時2人しかいなかった養成講座の同期と
久しぶりにレッスンを受けることにしたのだ。
実に4年ぶりに訪れるスタジオ。
しばらく会っていなかった同級生と再会するような
そんな感覚でスタジオに向かった。
スタジオの扉を開けてすぐ、
目に入ってきたのは4.5年ぶりに会う師匠の姿。
当時と変わらない笑顔を見て、不覚にも涙ぐんでしまった。
久しぶりのはずなのに、
当時に戻ったような感覚だった。
レッスンが始まり、さすが師匠。
完璧に組まれたプログラムと、心地よいリズム感で進んでいくレッスン。
1時間があっという間だった。
レッスンの中で師匠が、
『もうスタジオが終わっちゃうからさ、
日常的に取り組めること教えとくね』
と言って、自宅でも取り組めるようなワークを教えてくれた。
正直それはもうヨガじゃないのだけれど、
『スタジオがなくなっても、自身のケアを忘れないでほしい』
というメッセージなのだろうなと思うと、
改めてこの人はあったかい人だなぁと感じた。
ヨガはスタジオに行かないとできないものではなく、
日々のケアとして取り組んでほしいという私の中のスピリットは
この先生から受け継いでるんだなぁと思ったら、なんだかうれしかった。
養成講座の時、師匠からかけられた忘れられない言葉がある。それは、
『私たちは、なれるものにしかなれないのよ』
というもの。
当時20代後半で社会人になりたての私は
『キャリアウーマン』『誰かの妻』『お母さん』
など、何者かになることを成し遂げていく友人たちの姿をみて
「自分も何者かにならなくては。」
と、とにかく焦っていた。
焦りが不安や悲しみになり、それを払拭しようと行動しても空回りし。そんな自分に嫌悪を覚える。
今思えば、悪循環の中にいたように思う。
そんな時にもらったこの言葉を聞いて、
ハッと我に返った感覚は、今でも鮮明に思い出せる。
そうそう、私たちはなれるものにしかなれない。
だから何者かになろうともがいても、
答えが出なかったり、叶わない時もある。
だからこそ、過去や未来に囚われて不安な気持ちでグルグルするよりも
今を見つめて生きていくことの方がシンプルぇいられるのかもしれない。
そう思えたら、途端に気持ちが楽になって
取り戻せない過去や答えがわからない未来に縛られるのではなく、
今を楽しめるようになっていった。
ヨガ講師になって丸7年。今年で8年目に突入。
楽しいこともたくさんあったけど、
挫折経験もたくさんしてきた。
『心理士なんだから、ヨガとかしなくてもいいじゃない』って言われたこともあるし
『何がしたいの?』って言われて
伝えたいことが伝わらないもどかしさを覚えたことは何回も。
だけど、何回自問自答しても、
身体だけ、心だけというような、
どちらかが良ければ良いには限界がある。
本質的に健康でいるためには
やはり両方必要なのだ。
本気でそう思っている。
だから、これからも心理学とヨガを通して
本質的に健康でいられる人を増やしていく
お手伝いができたら良いなと思うし、
お天気のように移ろいやすい日々の中でも
心理学とヨガがセルフケアの一助になってほしい。
そんなことを改めて思った1日だったのでした。
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