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村上春樹「アフターダーク」①文体と視点、そして音楽♪

 世の中「騎士団長殺し」で沸き立っていたが、わたしはと言えば、ずいぶん前から読み始めた「アフターダーク」をようやく読み終えたところだ。「騎士団長殺し」を手に入れた人をちょっぴり羨ましく感じながらも、古書待ち、文庫本待ちの予定。

 ハルキストかと問われたら「いや、それほどでも・・」と答えるけど、結構はまっていた時期があった。今でも「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を初めて読んだ時の高揚感は忘れられない。「ダンス・ダンス・ダンス」も好きだった。エッセイや翻訳作品も読み漁った。友人も言っていたけど、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はエンターテインメント性もありながら、しっかり純文学の味わいがあるから楽しめる。

 今回久々に村上春樹を読んでしみじみ感じたのは、村上作品を読んでいるときには情緒が安定するということだ。これはあくまでもわたしの場合であって、他の人がどうかは分からないが、過去を振り返ってみると(全てとは断定できないけど)ほとんどの作品でそうだったと記憶している。
 それは何故かと今回考えてみた。そしてどうやら、村上さんの文体、文章表現がかなり大きいということを再認識した。

 村上春樹の文体は、修辞や比喩が過多でなく、シンプルで美しい。ごてごてと飾り立てても中身がない文章とか煽りたてるような大げさな文章とは対照的だ。シンプルなのに、一つ一つの言葉が意味深く、イメージ豊かで、知的に、且つ美しい佇まいを見せている。・・・そんな風に感じられるから、いつ頁を開いても楽しめる。そして安心して読めるのだ。
 アフターダークでも、冒頭から引き込まれてしまった。

 目にしているのは都市の姿だ。
 空を高く飛ぶ夜の鳥の目を通して、私たちはその光景を上空からとらえている。
広い視野の中では、都市はひとつの巨大な生き物に見える。あるいはいくつもの生命体がからみあって作りあげた、ひとつの集合体のように見える。無数の血管が、とらえどころのない身体の末端まで伸び、血を循環させ、休みなく細胞を入れ替えている。
都市の発するうなりは、通奏低音としてそこにある。起伏のない、単調な、しかし予感をはらんだうなりだ。
私たちの視線は、とりわけ光の集中した一角を選び、焦点をあわせる。そのポイントに向けて静かに降下していく

 太字の部分についてだが、読者を「私たち」という一人称・複数のグループに引き込んで物語を語るという設定が面白かった。

 しかし、終始この調子では単調すぎるし息が詰まる。
そこはさすが村上さん。登場人物たちの生き生きとした会話文がタイミングよく続く。

「あのさ、考えてもみなよ。デニーズに入ってきて、メニューも見ないで、いきなりチキンサラダを頼むのって、ずいぶんわびしいじゃないか。それじゃもう、チキンサラダを食べるのが楽しみでデニーズに通い詰めてますって感じになっちゃうだろう。だからいちおうメニューを開いて、ひととおりあれこれ考えてからチキンサラダに決めましたってふりをするんだよ」
「中学生のときに、中古レコード屋で『ブルースエット』っていうジャズのレコードをたまたま買ったんだよ・・・・略・・・・A面の一曲目に『ファイブスポット・アフターダーク』っていう曲が入っていて、これがひしひしといいんだ。トロンボーンを吹いているのがカーティス・フラーだ。初めて聴いたとき、両方の目からうろこがぼろぼろ落ちるような気がしたね。そうだ、これがぼくの楽器だって思った。僕とトロンボーン。運命の出会い」

 これ、高橋くんて男の子のセリフ。そういえば村上作品では、食べ物が気になる。そして音楽も・・・'Five Spot After Dark'は、タイトルのもとになった曲だ。You-Tube のコメントにはほとんどハルキ・ムラカミのAfter Darkからこの曲にたどり着いたみたいなことが書き込んである。

 

 記録しようと思い立つと、わらわらと頭の中で主張するものたちが・・・。
ということで、今回もまとまらずに中断。趣味の時間を確保するのは難しいね。続きは次回へ♪